ちょっとうちの部長の恋路を応援したりする仕事があるので
@Darmoed
第1話 恋愛戦線異常あり
とある都市の中心部に聳えたつ、高級感あふれるビル。その一角に居を構える部署に綾小路嘉子は務めていた。
高級感あふれるビルに高級感あふれる職場、そこに務める綾小路嘉子も高級感に溢れている。頭脳明晰容姿端麗家柄人柄文句なし。人生どころか生まれた瞬間から勝ち組となることを決定されていた彼女は、しかし、その既定路線に甘んじず、自らを律することを重視し、結果一角の人物と称されている。
今日もまた大きな商談を一つ纏め、会社の躍進に貢献したところだ。
「はい……はい、先方にはそのように……はい、その件に関しましては……」
無線イヤホン型の社内電話を使用し他部署との連携を図っている一方、視線は目の前のPCに固定し、指先は霞むほどの速度でキーボードを打ち続けている。
最新化の著しい昨今、希望すればタッチパネル式も導入されるが、彼女はこのキーボードをカチャカチャするのが好きだった。
閑話休題。
「ふぅ……」
一息ついた彼女が息抜きと言わんばかりに髪をかき上げる。枝毛どころか癖すら存在しないような、それでいて艶を失わない濡れ羽色の長髪がさらりと揺れる。
まるでそこに一枚の絵画がある様な錯覚を覚えさせる美しさ。事実部署に居る何人かはその姿に見惚れ、これで一日やっていけると精神力の補充を行っているほど。
「部長」
すく、と彼女の傍に長身の影が立つ。同じ部署に務める青年で、名を大和武という。本人曰く名前負けしているとのことだが、中々どうして清潔感溢れる好青年である。
「なにか」
応える嘉子の言葉は冷たい。と言っても別段武を嫌っているわけではなく、誰に対してでもこうなのだ。初対面の人間はこの反応に面くらい或いは委縮する物だが、しばし彼女と一緒に働いていればそれが彼女の仕事中の態度だとすぐに理解できる。
「昨日の件ですが……」
例に漏れず、武も初対面の時は面くらったが、既に彼も努めて結構になる。嘉子の態度も慣れたものだ。す、と武より渡された書類にざっと目を通し、問題がないことを確認した嘉子は手早く印を押す。電子書類の増えた昨今でも、この確認作業だけは変わらない。
「ご苦労」
短く、しかし明確なねぎらいの言葉。嘉子は言葉使いこそ冷たいモノの、成果を出した人間は素直に認めるし、もし手間取るようなことがあれば手助けをする。足を引っ張り合ってもなんの得にもならないし、ましてや手柄の横取りなど持っての他、というのが彼女の持論だ。
時には媚を売っているだの外面だけだのと陰口を叩かれるが、彼女はそんな風聞など気にしない。
「大和はこのあとは外回りか?」
視線はディスプレイから外さないまま、嘉子は尋ねる。彼女の審査を通った事に安堵を感じながら、少し饒舌になった武が返す。
「そうですね。そのまま直帰予定です」
「うむ、急ぐ案件も無い。存分に休みたまえ」
「有難うございます。とは言え、急ぎの案件も無いので、何かあればヘルプしてください」
「プライベートを邪魔するほど、野暮ではないよ私は。だが、心遣いは有り難く頂こう」
よく見なければわからない程小さく、しかし確実に目尻を柔らかくする嘉子。では、と言い残し、部署を後にする武。二人のやりとりを見ていた他の同僚が、一斉に内心嘆息する。
(はぁ……まじウチの美男美女カップル尊い。もう無理。今日これだけで生きていける)
そう、この部署、嘉子と武の仲を見守る会で出来上がっているのである。しかも全員が全員有能なだけに始末が悪い。勤務態度が至極真面目なだけに、統括者である嘉子も気が付いていない。
嘉子と武の道は変態に舗装されている。
(やっぱりたけよみよね)
(は? よみたけなんだが?)
(おいおいド素人共が。武誘い受けだろ)
(嘉子お姉さま総受けだろ常識的に考えて)
(お姉さまって年じゃないでしょプークスクス)
最後の一人は残りの全員からブラクラ喰らって残業確定でした。
閑話休題。
さて、何やかんやあり仕事も終わり―――彼女たちの会社は至極健全なので、全員定時に退社出来るのである―――お疲れ様でした、と解散していく同僚たち。最後まで残っていたのはセキュリティ管理も兼ねる嘉子と同僚の―――そして友人であり、昼間に迂闊なことを口走って部署全員からブラクラくらった三条院亜紀である。
「嘉子さぁ、今日大和君にヘルプするよって言われた時、滅茶苦茶喜んだでしょ」
ぎ、と背凭れを軋ませながら嘉子に言葉をかける。部署一番の胸部装甲の主張が激しい。
言葉を放つ亜紀に、普段通り冷徹な瞳を向けながら嘉子は口を開く。
「めっちゃ嬉しかった。嬉しくて変なテンションだった。ほんと呼び出して好き勝手してやろうかって思うぐらい。監視カメラの位置確認したわ、私」
一切表情を変え乍ら、とんでもないことを口走る嘉子。同僚たちに負けず劣らず、彼女もまた、変態なのだ。なお嘉子の口調がだいぶくだけているが、これは学生時代からの知り合いである亜紀相手だからであり、他の同僚や、他部署の人間では有り得ない。
ましてや武にはもってのほかだ。
「あんたほんと大和君のこと好きよね」
「彼の子供産みたい」
冷徹な美貌を湛える表情から放たれるぶっ飛んだ言葉。長い付き合いである亜紀だからこそ、平然と受け止めるが、これが他者であれば、まず自身の耳を疑うだろう。
「ド直球過ぎるわ。ほんと、見た目とか仕事だけで言うなら完璧超人なのに、どうしてこんな変態に育っちゃったのか。学生時代に氷帝女王なんて頭の悪さ全開のアダ名付けられたくせに」
呆れたように嘆息する亜紀だが、実は彼女はその原因の一端を知っている。
前述したとおり、嘉子は家柄がいい。裏を返せば、中々に厳しく育てられた。蝶よ花よ箱入り娘と言わんばかりに育てられた結果、夜遊び恋愛などもってのほか、異性と会話したことすら数えるほどしかない。その抑圧が大人になって解き放たれた結果、嘉子の内面と外面の著しい乖離が発生した。
彼女が仕事中に冷たい態度になるのは、砕けた対応が取れない所為である。
「まぁ確かに大和君、問題あるような子には思えないけど。仕事も出来る、変な噂も聞かない、家族構成は平凡っていっちゃ悪いけど問題があるようなこともない。休日も引きこもってるようなことも無い。というか、かなりの良物件だわ」
「大和嘉子って言い響だと思わない? 綾小路武でもいいけど」
「妄想から返ってこい馬鹿者」
三条院チョップを嘉子の頭部に炸裂させながらも、亜紀の表情は穏やかだ。
確かに嘉子は変だが、と言うか好意表現がぶっ飛んでいるが、それは決して悪い面ではない。そもそも嘉子がこれほど夢中になる対象など武しかいないのだ。
箱入り過ぎて外の世界と接触できなかった友人が、遅まき乍ら手にしようとしている外の世界との繋がりなのだ。
で、あるならば、友人といって憚らない亜紀に、それを止める理由など存在しない。
もっとも、亜紀の前では内心を吐露する嘉子も、武を前にするとただの冷徹な上司に変貌してしまう。とてつもなく不器用なのである。
「で、大和君のどこが好きなのよ」
亜紀の言葉に、嘉子がぐるり、と首を巡らせた。あ、やべ、と亜紀が自身の行動の迂闊さを悔やんだ時には既に遅い。
ぱかり、と人形のように整っている嘉子の口が開く。
「全部。外見も内面も全部好き。仕事に詰まった時腕組んでうんうん唸ってる姿が好き。仕事終えた時に背伸びしてるの好き。休憩中にコーヒー飲もうとして間違えてブラック買って凹んでるの好き。時々凄く冷めた表情してるの好き。挨拶したらちゃんと返してくれるの好き。未だに名前どころか役職でしか読んでくれないの放置プレイっぽくて好き。もうなんか一挙一足全部好き。見てるだけで幸せだし声を聴いただけで幸せだし近くにいるだけで幸せだし5分以上一緒に居たらどうにかなりそうむしろどうにかしてやる」
「せいせい。嘉子、ステイ」
鉄面皮から放たれる怒涛の如き言葉の奔流に、亜紀は少し引いた。そこからさらに10分間、嘉子の「武のここ好きポイント」の波にのまれる亜紀。
傍から見ればただの惚気だが、何せ表情を一切変えずに掘り当てた温泉の如く言葉を吐き出すのだから、その姿はホラーに近い。慣れている筈の亜紀でさえ、少し引くほどである。万が一にも事情を知らない人間が見れば、まず自身の目を疑い、次に嘉子の偽者かと疑い、そしてやがて自身は疲れているのだ、だから変な幻覚を見ているのだと病欠届を出すだろう。ついでに精神外科の診断書も添えて。
結局その後、二度目の三条院チョップにて黙らされた嘉子と、少し強めにしすぎたせいで痛くなった右手に悶える亜紀。二人は警備のおっちゃんに退社を促されるまで部署でだらだらする羽目となった。
今日も今日とて日が昇る。今日も今日とてお仕事。綾小路嘉子はいつも通り、キーボードを猛烈に叩きながら他部署や部下と連絡を取りつつ、業務をこなしていた。
そしてそんな嘉子を眺めながら、部下である亜紀以下一同もまた仕事に打ち込んでいた。
(はぁ、今日の綾小路部長は普段より少し険があって、でもそれもまた美しいわ)
(武君がいないやん!! どうしてくれんのこれ!! 二人のカップリングが見たいから出社してんの!!)
妄想にも打ち込んでいた。
(あいつ体調不良で休みだと。これは綾小路先輩が帰りに寄るパターンだろうなぁ)
(きゃー!! もう二人ともそこまで進んだのね!? これはもう今日宴よ宴!!)
(いや、全然)
(はーつっかえ。やめたら? 妄想)
亜紀を含む部署の全員は、嘉子が武に恋心を抱いていることを知っている。最初こそただの美男美女カップルたまんねぇとか妄想していたのだが、よくよく観察するうちに、嘉子から淡い想いが駄々漏れなことに気付いたのだ。
知らぬは当人達ばかり、である。
(やっぱりたけよみよね)
(よみたけだっつってんだるぉ!?)
(二人新婚にして、嘉子さんがオッサンに、武君がメスガキにNTRされる本書いたら売れたわ)
(は?)
(は?)
(は?)
迂闊なことを口走った一人が全員から囲んで棒で叩かれた以外は特に変化がない。これが日常というのもどうかと思うが。
(ところで今日、部長ずっとスマホチラ見してるけど、何か重要な案件あったっけ?)
部下の一人がふと疑問を呈す。嘉子の面倒見がいいように、部下たちもまた嘉子(と武)の様子をよく見ている。それは嘉子の業務サポートを円滑にするためであり、また全員が仕事を出来る人材であり、そして妄想を逞しくする為でもある。
(あー、あれね。大和君に連絡しようかどうか迷ってんのよ。責任者として部下の面倒を見るなければって内心と、プライベートを邪魔しないと言った手前、変に構うのも迷惑かもっていう内心がせめぎ合ってるのだわ)
(は?)
(は?)
(は?)
何でもない様に放たれた言葉に―――勿論答えたのは亜紀―――何人かが真顔になり、何人かがいじらしさに悶える。
(ちょっとウチの部長可愛すぎへん?)
(知ってた)
(同意)
(否やは無し)
(反論ござらん)
(是非も無いね)
全員が内心でサムズアップする。
「三条院」
「はい、なんでしょう」
唐突な嘉子からの呼びかけに、亜紀が即座に応える。名字で呼ばれるのはお仕事モードであり、その場合亜紀のふざけた態度は鳴りを潜める。
因みにこの部署でまず真っ先に覚えるのは、この妄想モードとお仕事モードの切り替えである。いかに素早く、如何に嘉子に悟らせないか、これが重要視されるのだ。
「昨日の商談だが……」
「はい、それに関しては……」
態度から誤解されやすいが、亜紀は有能だ。と言うか全員、有能な馬鹿ばかりなのである。
「この件に関しては大和の担当に絡んできますね。彼は……病欠ですか?」
「ああ、今朝がた連絡が有った。それほど重篤ではないが、大事を取って、な」
淡々とした言葉に、鉄面皮と殆ど感情の籠らない口調で相当に分かり辛いが嘉子が気落ちしていることを亜紀は悟った。この辺りは長い付き合いである彼女の面目躍如である。
「大和は一人暮らしでしたっけ」
「うむ」
「……一応、連絡ぐらいしておいた方がいいのでは? 彼が絡む案件もありますし」
亜紀の言葉に、それまで猛烈な勢いでキーボードを叩いていた嘉子の指先が一瞬硬直した。それが内心の激しい動揺だと気付いた者はいたかどうか。
「しかし病欠中に上司からの連絡などあっては気も休まらないだろう」
即座に平静を取り戻した嘉子の言葉に、しかし亜紀はちらりと視線を動かし、畳みかける。
「田原」
「あいつもう体調大丈夫らしいっすよー。さっきラインで聞いたらゴロゴロしてるって返ってきましたから」
亜紀からの問いかけに、大和の同期である田原秀郷が軽く返す。やんちゃ坊主がそのまま大人になったような彼だが、そのとっつきの軽さと持ち前の人懐っこさで部署の連絡網を任されている。
「シフト確認も兼て、連絡の一本でも入れても大丈夫でしょう。電話がダメならラインもありますし」
「う、む」
少しばかりキーボードを打つ速度が落ちた。つまり嘉子は悩んでいる。
(ここが正念場)
お節介と思われるかもしれないが、武の前では冷徹な態度しか取れない嘉子だ。彼女が内心に秘めた想いを伝えるには一体どれほどの時間と勇気がいるか。亜紀はそれを少し後押しするだけだ。
それに本当に嫌なら亜紀の提案など一蹴してしまえばいい。彼女は決して強制はしていない、あくまで最終決断は嘉子に任せる。
それが友人として出来る最大限の手助けであり、また見切りでもあった。
(部長、ここが正念場ですよ!!)
(頑張れ!! 頑張れ!!)
表面上は務めて冷静に業務を続けている部下たちも、内心拳を握り声援を送る。
「……そう、だな」
実際の時間にすれば十数秒ほど。しかし体感では何時間にも感じられる葛藤をへて、嘉子は小さく同意した。
「仕事の件もある、あとで一本連絡を入れてみるとしよう」
「ええ。お願いします。では」
何でもない様に嘉子より離れ、自身のデスクへと戻る亜紀。そのまま業務へと戻る彼女だが、内心では歓声を上げていた。そしてそれは彼女だけに限らなかった。
(うっしゃぁあああああああああ!! 一歩進んだぁあああああああ!! あんたたち今の聞いた!?)
(祭じゃ祭じゃ!! 酒持ってこい酒ぇ!!)
(宴の始まりだオラぁ!!)
(いいじゃん、盛り上がってきたねぇ!! これだから面白いんだ、人間ってやつは!!)
騒がしい事この上ない。だがそれも仕方のない事。誰もが望んだ結果なのだ。
結局その後、嘉子を除く全員が嘗てない速さで仕事を片付け飲み会に繰り出したり、武に一言ラインを送るのに嘉子が数時間かけたり、一世一代の勝負と言わんばかりに送ったラインは寝落ちしていた武に未読スルーされたり、ショックのあまりお母さん特製ぬいぐるみを抱きしめたまま嘉子が不貞寝したりするが、それはまた別のお話。
どっとはらい。
ちょっとうちの部長の恋路を応援したりする仕事があるので @Darmoed
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