壁の向こうから声が聞こえる「て…て…」

狩込タゲト

少しヘンな会話と日常と私

 商店街の福引きで、温泉旅館宿泊券が当たった。

「自分はいらないから」と福引き券をくれた友人よありがとう、心の中であがめつつ、さっそく私はその足で温泉街へと向かった。


 新緑の草木に覆われた山の中に築き上げられ、下から上まで続く石段が美しい温泉街は、雨だった。

 どしゃぶりだ。

 宿についてから本降りになったのが不幸中の幸いだった。しかし、その甘い考えは女将が申し訳なさそうに告げてきた内容で霧散した。

 私が宿泊する宿は温泉街から少し離れていて、静かに過ごせつつ温泉街へのアクセスも簡単というのが売りだったのだが、そこをつなぐ唯一の道が土砂崩れでふさがってしまったらしい。

 明日の午後には通れるようになるという話だったが、宿泊予定は一泊二日、明日の午後には帰り支度をしなくてはならない。

 とても残念だったが、私の出費はほぼ0なのだし、女将には「気にしなくていいですよ」と言っておいた。

 ごはんも用意されるし、小さいけれど宿の温泉にも入れるのだから、優雅なホテル暮らしの気分で楽しもうと決めた。

 それに、私はスマホもタブレットも持ってきている。見ようと思っていた動画を、この機会にまとめて見ることにした。ネット回線はつながっているようで安心した。

 女将が「これでも食べて」といって渡してくれた、ちょっとお高そうなお茶菓子をほおばりつつ、ゴロゴロと寝転がる。クルミの風味とあんこのハーモニーが最高である。


 ゴロゴロと雷が鳴り出した。黒い雲がもくもくと空を厚くしていき、窓の外は真昼間だというのに暗くなってくる。

 部屋の照明をつけるため、立ち上がる。そのときちょうど雷の音が止み、動画も静かな場面だった。だから聞こえたのだろう。

 誰かの声、が聞こえた。

 どこから聞こえたのか、あたりを見渡す。部屋の入口は開いていない。

 私が背中を向けていた壁からだ。正確には壁の向こう。

 近づき、耳を澄ましたがはっきりと聞き取れない。この向こう側は別の部屋があったはずだった、なんとなく気になり廊下に出た。

 すると、ちょうど従業員さんが通りかかったので、隣に人は泊まっているかと聞いてみた。泊まってる人はいないという。首をかしげていると、何かあったのかと尋ねて来た。

 さっきあったことを話すと従業員さんは「ここだけの話なんですがね……」と前置きをして語り出した。

 この部屋で人が死んだというのだ。その人は若かったがもともと体が弱くて、ここへは湯治を目的として来ていたらしい。何度も足を運ぶうちに、従業員たちには元気になっているように見えた。でも、去年の今頃、その人は突然亡くなってしまった。医者の見立てでは心臓発作だったという。

 それからだ。この部屋からすすり泣く声が聞こえるようになったのは。

 旅館はこの部屋を誰も泊まらせず、開かずの間のような状態にしているのだという。

 従業員さんは、話しすぎたと思ったのだろう、しくじったという顔をして、「いやー、でもたぶん勘違いだと思うんですよね。もう古い建物ですし、きしむ音がそうきこえるだけだとかなんとか」ごまかそうとしているが、もう遅い。

「私が言ったって言わないでくださいね」そう捨て台詞を残して去って行ってしまった。

 自分の部屋に戻った。少しささやき声が聞こえる程度だ。動画の音量を少し上げ、カミナリも相まると、全然気にならなくなった。なので、またゴロゴロすることにした。


 それからしばらくして、通話の要請が来た。福引券をくれたオタクの友人からだ。ゲームのイベントがあるとかで忙しく、福引きをしに行けないので、私に券をくれたのである。温泉旅行が当たったとメールをおくっておいたので、その返信だろう。さっそく通話をすると、最初は「うらやましい!自分が温泉に行きたかった!」と悔しがっていたが、私が雨で旅館に閉じ込められてる話をすると同情してくれた。そして、変な声が聞こえるという話の段には、かなり引いていた。

「え?なんで部屋を変えてもらわないの?」

「あ、その発想は無かった。特に実害も無かったから……、めんどーだし」

「面倒くさいで済ませるようなことじゃないでしょ……」

 ちなみになんて言ってたのかと、興味津々に聞いてきた。

「手を繰り返し言ってる」

「どうしてだろう。その人が手を痛めてたとか?……ま、まさか、手だけ見つかってないってことはっ!」

「そういうことは無かったみたい」

「えー……、うーん、意味とか無いのかな?ちょっとマネして言ってみてくれる?」

「て-、てー。てー、てー」

 友人が静かになった。どうしたかと聞けば、なにか言いにくそうにうなっている。

「えっとさ、『てぇてぇ』って聞いたことある?」

「いや?無いけど。なんだ?それ」

「なんと説明していいものか……」

 友人曰く、『てぇてぇ』というのはネットの動画サイト界隈で流行っている言葉らしい。尊いがなまって、てぇてぇになったらしい。ある対象へ向けられた好意的な感情を表す言葉の一種で、似たような『萌え』と違うのは、神や神聖なものなどに対するような感情だということらしい。

「宗教みたいな?」と問うと、もっとフランクなやつだという。

「自分らも『アイツまじ神!』みたいに使うじゃん?『すごすぎてまぶしい!』って感じ」そんなあいまいな説明をされた。

「そういえば、福引券をくれたことに対してあがめたてまつっていたのだけど、そんな感じかな?」

「いや、なんか違うけど、それをてぇてぇと表現する人がいても不思議はないから難しいというか」

 友人自身がその言葉をそう捉えてるっていうだけで、新しい言葉ってのは特に意味が広がりやすいもののため、明日には別の意味が付け足されて定着しているかもしれない。だから、なんとなくわかれば今日はいいから、ということになった。

 何の話だったか忘れるところだった。壁の向こうから聞こえてくる声は『てぇてぇ』と言っている、そう友人が主張する。まさか。ネットスラングを幽霊らしきものが使うイメージが無く、私は困惑した。そんな私のことなど気にも留めず、友人は「今も声は聞こえてくるのか」と問う。

「そういえば、聞こえなくなった」と答えれば、声が聞こえてた時と同じ動画を流してみろと指図をする。私が大人しく従ってみると、小さな声が聞こえて来た。

「てぇてぇ……、てぇてぇ……」

 今度は事前知識があるために、はっきりと聞きとれた。

「すごいぞ!ほんとにそう言ってる!」

「あてずっぽうだったが正しかったみたいだな」友人はしたり顔で頷いた。「ただのカンだったのか」褒めて損した気分だ。

 そんな私の気配を察した友人は、一応考えはあったという。あくまでも憶測だがと友人は前置きした。

「幽霊がその動画投稿者たちの大ファンだったんだと思う。なぜなら、お前が声を聞くのはその人たちの動画が流れているときだけだ、ずっと聞こえてたのなら、動画や雷の音の邪魔が無いタイミングなんていくらでもあったのに、お前は気づかなった。声に気づいたのは動画を見てる時になってからだ。それに、従業員さんが幽霊はすすり泣くと言っていたのに、お前が聞いたのはてぇてぇという声だけ」

 説明を聞いたら、その考えにたどり着くのもわからないでもない気がしてきた。

「まあ、何かに対して『てぇてぇ』と強く想う気持ち、それを持ち合わせている自分だからわかったことだけどな!」

 友人の鼻にかけた言い方にはちょっとイラッときたが、やはり私だけではわからなかったようだから感謝しておいた。


 去年の今頃、その動画投稿者たちはケンカして解散してしまったらしい。もしかしたらそのことがショックで幽霊さんは……。しかし、友人曰く、心臓発作は健康な人でもいきなり起こるものだから、関連があるとは限らないのだそうだ、悲観的になりそうだった私の考えにくぎを刺してくれた。好きなものが原因となって亡くなったなんて思われるのは嫌がるかもしれないのだ。

 最近、その動画投稿者たちは仲直りして再結成し、ファンたちはみんなとても喜んだそうだ。ゲーム好きの仲間たちの、わきあいあいとした雰囲気や、馬鹿馬鹿しいやりとりが人気の人たちだったようだ。動画のコメント欄には「元気が出ました!」みたいなコメントが多く、「てぇてぇ」も見かける。この視聴者たちと同じように幽霊さんも動画を見ていたのだろう。

 そして、新しい日付で投稿されている動画を見て、なかよく笑いあう投稿者たちの声を聴いて、再結成したことを理解し、おもわず「てぇてぇ」という言葉が出たのだ。


 私は滞在している間中、その動画投稿者たちの動画を順に流し続けた。

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壁の向こうから声が聞こえる「て…て…」 狩込タゲト @karikomitageto

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