守銭奴ピアニストは値引き交渉に応じない
田村サブロウ
掌編小説
高い能力を持つ者が仕事に高い報酬を求めるのは当然の権利である。
能力の低い人間に比べれば、能力の高い人間は同じ仕事を任せられても成功率が違う。
高い報酬を要求するにふさわしい、信用の差というものがあるからだ。
これらの説を、女性ピアニストのブルスケッタは信念と呼べるレベルまでに固持していた。
「だから値引き交渉には一切、応じる気は無いわ。報酬が用意できないなら仕事の話は無しよ」
テーブル越しに座る野蛮な雰囲気の男に、ブルスケッタは堂々と言い放った。
「ッ……ああ、そうかい! ならもう頼まねえよ! あとで後悔すんじゃねえぞ!」
「マスター、お客さんが帰るわ。彼の分のコーヒー代は彼が払うわよ」
「あぁ!?」
「なに? 仕事の依頼を撤回しておいて、おごってもらえるとでも思ったの?」
「チッ!」
舌打ちついでに野蛮な雰囲気の男が痰を飛ばしたが、ブルスケッタは軽く避けた。
そのまま彼はコーヒー代を払わず帰ろうと足を進めるが、
「うおっ!?」
ドタン、と大きな衝突音を鳴らして男は転んでしまう。
ブルスケッタが足をひっかけたのだ。
「もう一度だけ言うわ。コーヒー代、払ってから帰りなさい」
「てめぇ、調子に乗ってんじゃ!」
「知ってる? 冒険者ギルドと提携してるこの酒場は、護身目的に銃の所持が認められてるのよ?」
ブルスケッタの言葉に、男はハッと息を呑んだ。
店のカウンター席から、酒場の女店主が男にライフルの銃口を向けていたのだ。
これ以上なくバツの悪くなった男は、テーブルの上に必要分の小銭を置くしかなかった。
「くそ、いいんだろこれで! この守銭奴め!!」
悪態を捨て台詞に、男は酒場のドアを蹴って出ていった。
彼の姿が消えるのを見届けて、ブルスケッタはホッと息をつく。
「ふぅ。ありがとうマスター、助かったわ」
「見慣れた光景だからねぇ。ブルスケッタ、また仕事の依頼を断ったのかい?」
「なによぅ。まるで私が悪いみたいな顔してるじゃない」
「不安にもなるさ、また友人の悪評が広まると思うとね。ブルスケッタ。あーた、チマタじゃなんて呼ばれてるか知ってるかい?」
「守銭奴ピアニスト。私が指定した報酬を用意できなかった依頼人が、腹いせに広めた二つ名でしょ? 私は気に入ってるけど」
「なぁブルスケッタ。もう少し、仕事の依頼料を値引きしてもいいんじゃないかい? あーた、実力は確かでも依頼料が高すぎるって有名だよ」
心配する女店主に、ブルスケッタは口元でいたずらっぽく指をふった。
「一度でも値引きなんて前例を作ったら、そのままズルズルと値引きが続いてもうからないでしょ? そんなの私はゴメンだわ。それに衛兵や医者と違って、私の仕事は断っても誰かが死ぬわけじゃないし。……うーんッ!」
ブルスケッタはイスに座ったまま、のびのびと背伸びした。
男を転ばせた時の豪傑然とした時と違う、かわいらしい雰囲気を醸し出す。
女店主はそんなブルスケッタを見ながら一息だけため息をつくと、
「まぁ、あーたがそれでいいってんならもう止めないわ。だけど忠告。結婚にだけは、その理屈を当てはめちゃだめだよ。自分を安く売るつもりはないとかいって独身を貫いて、今やあーたはもう気づいたらさんじゅ」
「あー、あー!! 聞こえなーい!!」
調子の崩れたブルスケッタの声は、酒場の空気に溶け込んで消えていった。
守銭奴ピアニストは値引き交渉に応じない 田村サブロウ @Shuchan_KKYM
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