第17話 『脱獄阻止講座と姫の誤算』




 その日、サンデリアーナ=ドラセナは自身の生活空間である監獄がいつになく狭く感じられていた。しかし、人化したペディランサス、トックリ、パキラと続いて鎖につながれたガジュマルと。これだけの人数が集まれば、そう感じるのも致し方あるまい。


「しかし、姫よ。本当に良いのか? この変態は聞くところによると姫の縁者なのだろう?」


 最終確認とばかりに、ペディランサスが重苦しい口調で姫へと問いかけた。ペディランサスは既に、姫が王国を逃げ出した経緯やガジュマルが姫の脱獄の師であることを姫から聞いていた。だからこそ、凄惨な現場となり得るこの場に姫が立ち会うことを気にかけたのだ。


 しかし姫は、一瞬の逡巡もなくコクンと頷いて見せた。その様子を見たガジュマルが、猿ぐつわの隙間から唸り声をあげた。


「……このじじいは、私とパキ姉の風呂を覗いた。こんな恥知らずは繋いででおかないとダメ」


 姫の瞳には確固たる意志が宿っていた。


 姫を気遣う一方で、ペディランサスはガジュマルに対しても幾ばくかの申し訳なさを抱いていた。それは、先の戦いにおいて忠臣トックリの命を救ってくれた恩故のものであるが。しかし、そもそもを辿ればこの男。ガジュマルは、ダンジョン内温泉において出歯亀を働き捕らえられた不届き者である。


 加えて、その脱獄の手腕は姫以上であり、更に出歯亀の被害者である姫自らこの男を捕らえ続ける協力を申し出たとあれば最早、手心を加える必要は皆無であった。


「よし、それでは取り掛かろう。まずは身体検査からだ」


 ペディランサスから視線を受けたトックリが、一歩前に出てガジュマルの体を隅々までまさぐった。ふと、チリンチリンと金属音が鳴る。服の袖、ポケットの中、足袋の底、各所に隠された金属片や針金が擦れる音だ。トックリは、的確に音の原因を見つけ取り除いていった。


 全ての作業が終わるのに、さほど時間はかからなかった。


「チェック終わりました」


 トックリの報告に、姫が首を横に振ってみせる。


「まだ終わってない。服を全部脱がせて」


 困ったトックリが、ペディランサスに伺いの視線を向けた。たとえ必要であろうとも、仮にも女性二人の前で男の裸体を晒すことに躊躇が生じたのだ。それを察したパキラが「心配無用」とばかりに、姫の目を両手で覆った。


「サンちゃんに汚いものは見せません。それに私も、サキュバスの端くれ。男の裸体ごとき、何と言うことはありません」


「よし、やれトックリ」


 ペディランサスの命令に、覚悟を決めたトックリが一息にガジュマルの着衣を一気にはぎ取った。と同時に、猿ぐつわが外れたガジュマルが乾いた悲鳴をあげた。


「変態! 恥知らず! えっち!」


「爺や、うるさい。オークさん、その服を私に調べさせて」


 パキラの手をそっと払い姫は、ガジュマルの衣服を丁寧に調べだした。トックリが、その巨体でガジュマルの前に立ちその裸体を隠す。いくら不届きもとはいえ、若い女二人の前で裸体を晒させるのが不憫に感じたのだ。そんなトックリの配慮を察したのか、ガジュマルの頬を、ひとしずくの涙が伝りおちた。


「まずは、この袖のボタン」


 姫が、手にしているのはガジュマルの衣服についた木製のボタンであった。丸みを帯びちょっとした小石程度のそれに、姫がぐぐぐっと力を込める。すると、ボタンが上下に分かれ中に空洞が現れた。


「金属片や、針金はただの囮。本命は、本当に見つかりにくいところに隠してある」


 姫がボタンを振ると、中から錠剤が零れ落ちた。


「中身はわからない。私が使った仮死薬に近いものかもしれないし、また別の物かもしれない。だから、扱いには気を付けて」


 素手で、落ちた錠剤を拾おうとしていたパキラが慌てて手を引っ込めた。代わりにトックリが、それをハンカチ越しに拾い上げ懐にしまった。


「この薬は、あとでポトスさんに調べてもらいましょう」


「次は、この帯。ドラゴンさん、これ裂いて」


 姫から手渡された帯は、麻をいく重にも結って作られたもので厚く硬さをもったものであった。常人であれば、裂くことなど適わないものであるが、ペディランサスは一気に縦に引き裂いてみせた。ペディランサスが、ふふんと得意げに鼻を鳴らしトックリがお見事と手を叩いた。


 裂かれた帯を返された姫は、その切り口をいじくる。そして、中から数本の針金を引き抜いたではないか。


「帯なら多少硬くても疑問を抱かれない。だから針金を隠すのに最適」


「姫の裏切り者! 鬼!」


 ガジュマルの抗議に、姫は眉をひそめながらも講釈をつづけた。


「針金は何にでも使えて便利。だから、体のあちこちに隠してる」


 袖や足袋底の金属片、そしてボタンから転げ落ちた錠剤。そして帯の中の針金と、体に仕込まれた脱獄道具の数は既に20を超えていた。その量に、「なんと、驚いたことよ」とペディランサスが驚いて見せるも、どうも姫はまだ不満げであった。


「じゃあ、これでもう脱獄の心配はありませんね」とトックリ。


「いや、まだ……」


「待て! 姫! やめろっ!」


 ここにきて、ガジュマルが全力で抵抗を始めた。額には冷や汗を滲ませ、鼻息荒く喚き散らし始めたのだ。鎖から逃れようと体を大きく揺さぶるも、人の力で鎖がちぎれるわけもなく、ただガチャガチャと金属音を鳴らすにとどまっている。


「まだ、何か隠し持っているというのか? いやしかし、一体どこに?」


「それは……」


 ガジュマルの抵抗が増し、トックリが慌てて押さえつけた。そのあまりの必死さ。加えて、姫の歯切れの悪さにペディランサスは一抹の不安を感じた。


「こうもん」


 姫の発した言葉に、一同静まり返る。校門? いや黄門? 三人の魔物の頭上に、同時に疑問符が浮かんだ。しかし、ペディランサスとて魔王一の知将と呼ばれるほどの知恵者である。それが、何を指し示すのかはすぐに思い至った。


 遅れて、その意味を理解したトックリとパキラの体がそのおぞましさに震えあがった。


「たぶん……爺やは本命のピッキングツールは、その……体の中に隠してる……」


 明かされた真実に、トックリの足元が揺らいだ。いや、まさか。そのようなことが……。


「トックリ……」


 ペディランサスが、優しげな声で呼びかける。


「お、お待ちくださいペディランサス様」


「兵を下がらせろというワシの命令に、将である己が前に出てワシを守ろうとしたお前の忠義心真に見事であった」


 ペディランサスの言は、先日の勇者の一件を指していた。それは、命令を違えることなく、己の信念を貫こうとした殊勝な部下を褒め称えたものであるが。だが、どうして今。このタイミングで、そのことを持ち出すのか。


「いえ、私は屁理屈を並べ主たるペディランサス様の意図に沿わぬことを致しました。ふ、深く反省しております」


「よい。命令に忠実であったことは間違いない。そしてそれは、今後もそうあってほしいのだ」


「ペ、ペディランサス様?」


「やってくれるなトックリ……」


 トックリの脳裏を、走馬灯が走った。兄弟に囲まれて育った幼少期、魔王軍入隊直後の厳しい訓練兵時代。その力を認められ、魔王軍幹部でもあるペディランサスの側近となった喜ばしい日。そうした過去の思い出たちが一気に思い起こされ、そしてトックリの意識が現代へともどってきた時、もうすでに心は決まっていた。


 口を真一文字に結び、鬼気迫った表情で一歩ずつ近づいてくるトックリにガジュマルは戦慄した。


「待て、早まるな! ワシはお前の命の恩人、恩をあだで返すのか!?」


「……御免!」


「んあああああああ!!」


 その叫びは、ダンジョン中に響き渡ったという。



 トックリが、鍵付きのケースにガジュマルから取り上げた脱獄道具をしまい込む。その目には生気がなく、まるでゼンマイ仕掛けのようにただ淡々と決められた作業を行っているといった様子だ。牢獄からは、ガジュマルのすすり泣く声が聞こえてくる。


「これで、じいやは持ち物ゼロ。あとは、厳重な管理体制で物を持ち込ませなければ大丈夫」


「ようやくか。これで一安心だな」


 ペディランサスが、トックリの肩に手を置いた。


「……さて、それじゃあトックリ。我らは退室しようか」


 ペディランサスのどこかぎこちない様子に、サンデリアーナは気づいた。


「パキラ嬢あとは任せた」


 ペディランサスの言葉に、パキラがコクリと頷いた。その表情は、とても複雑で一言では言い表せないものだ。しかし、姫とて王侯貴族の端くれ人心を読み取ることなど朝飯前だ。パキラの表情から読み取れた感情は、恐れ、哀れみ、そして硬い決意。


 生気のないトックリを連れ、ペディランサスが部屋から出た。残されたパキラが、姫へと近寄る。


「え、え……?」


「サンちゃんが悪いんだよ……。何度言っても脱獄を辞めないから」


「ちょ、なにを!?」


「大丈夫。サンちゃんに教わった通り徹底的に私が調べ上げてあげるから」


 姫はここに至り、ようやくこれから何が行われるかを理解した。迂闊であった。いくら身内の恥を雪ぐためとは言え、姫は魔物たちに大いなる知識を与えてしまったのだ。職業意識の高い魔物達だ。オークがそうであったように、姉と慕うパキラもまたソレをやり遂げるであろうことは明らかだ。


「待って! 早まらないで! 私とパキ姉の仲じゃん!」


「……ごめんっ!」


「んあああああああああああ!」


 うら若き乙女に配慮しペディランサスが魔法で音を遮断したため、その叫び声がダンジョン中に広まることは決して無かったと言う。

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