第10話 『湯けむりに潜んで』
「サンちゃんお風呂いこー」
姫を誘うパキラ嬢の腕には、タライ桶にギュウギュウにせっけんやタオルが詰め込まれている。
姫には、日に一度のシャワーが認められており、パキラが就業時間後に姫を誘うのが通例となっていた。もうそんな時間かと、姫がいそいそと支度を整える。
そうして、ガーゴイルのアロエに見送られ二人は牢獄をあとにした。
シャワー室は運動場に併設されており、ダンジョンの上層に位置する。しかし、パキラの足取りは違う方向へと向いていた。
「どうしたの? お風呂はあっちじゃ?」
たまらず、姫が声をかけるがパキラは。
「ふふふ、まあ黙ってついてきなさい」
と、ウインクして見せるだけであった。
しばし、二人は他愛もない会話と共にダンジョン内を進むとそこは見えてきた。
ダンジョンに似つかわしくない、純和風の門。その必要もないというのに、屋根まで精巧に作られている。通路を照らすランプも、門にあわせてか提灯へと置き換えられていた。
「こ、ここは?」
「じゃじゃーん、完成したばかりの
門を進むと、やはり和風な脱衣所が見えてくる。入り口がふたつあり、それぞれに赤と青ののれんが掛けられている。パキラは、迷わず赤ののれんをくぐっていき姫もそれに続いた。
衣服を脱ぎ、生まれたままの姿となった二人は脱衣所の奥へと進む。
引き戸をあけると、温泉から沸き上がった湯気がもうもうと二人に絡みつく。その湯気をかき分けた先には、見事な岩風呂が二人を出迎えるのであった。
岩風呂の周りには、竹で植栽がされておりダンジョンの岩壁は綺麗に隠されている。天井は、魔法によるものだろうか蛍のような光が満天にひろがっており、まるで夜空のように輝いていた。
「ダンジョン内なのに、まるで露天風呂みたい」
姫の言葉に、パキラが満足げに頷いた。
「地熱を利用した温泉なんだ~」
かっぽーん。
何処かで、桶が心地よくなった。
身体を洗い湯につかったパキラが、頬がスライムのごとく緩んでいく。
「ふわーきもちいー」
そんな、パキラの様子を姫がじーっと見つめた。
その視線の先には、サキュバスがサキュバスたる所以である胸や臀部に向けられている。
「な、なに! そんなじろじろ見ないでよ」
姫は、嫌がるパキラ嬢を無視し観察をつづける。
豊満であることはもちろんのこと、まるでつきたての餅のような滑らかさをもった肌。
世の男たちが、決して抗うことのできないその美しさのなんたるものか。
恐るべしサキュバス。
対して、姫の胸のはかなさよ。姫は、自身の胸をひともみふたもみし、あまりの差に絶望を禁じ得なかった。
男性が妄想する、女子風呂のテンプレートがまさに実践されている中、竹林を隔てた岩風呂で息を殺す二人の男がいた。
魔法によって、人の姿に化けたダンジョン
「まずい、タイミングで来てしまったのう」
「何らやましいことはないのに、この背徳感は何なんでしょう」
二人は、存在を知られぬよう声を潜める。
対して女風呂の二人は、当然そのような配慮に思い及ばずキャッキャウフフと女子風呂テンプレトークを続けている。
「しかし、やたらと声が響きますね」
「まあ、洞窟の中じゃから仕方あるまいて。いかんな、別の意味でのぼせてしまいそうじゃ」
ペディランサスが腰を上げると同時のことであった。
突如、女湯より甲高い悲鳴があがったのだ。
「きゃーーー」
ペディランサスと、トックリが目をあわせタオルを腰にあて慌てて女湯へと駆け付けた。
「なにごとだ!」
「ペペペディランサス様変態が現れました!」
「いったいどこに!?」
「それが、私が声をあげるやいなや姿を消してしまって」
トックリが、目を閉じ全神経を鼻と耳に集中させる。
そして、獣の特出した感覚が獲物をとらえるやいなや桶をつかみ壁へと投げつけた。
「そこだっ」
壁がグエっと声をあげ、ヒラリと岩肌に擬態した布が舞い落ちた。
そこに現れたのは、青い忍び装束を身に纏ったガジュ丸であった。
「貴様は、いつぞやの変態! 姫を追ってここまできたか!」
トックリからバスタオルを受け取ったパキラ嬢と姫が、おもむろにガジュ丸に蹴りを入れはじめた。
ガジュ丸は、抵抗することなく体を小さく丸めひたすらに蹴りを耐え続けた。
「ペディランサス様、こやつをご存じで?」
「ああ、姫を王国よりさらってきた際に姫を追ってきた変態だ」
「なるほど、風呂場にまで忍び込んでくる始末。まさに変態に相違ありませんな」
と、止まるところを知らない蹴りに耐えながらガジュ丸が弁明の言をあげた。
「ワシはただ姫の成長を見守るべく! ただそれだけで、他意はござらん! だがしかし、サキュバスのボディライン恐るべし!」
「爺の恥さらしっ!」
ペディランサスとトックリが見守る中、しばしのあいだ二人の折檻が続いた。
そうして息が上がった二人の足が止まった時、ガジュ丸は縮こまったままピクリとも動かなくなっていた。
よもや殺してしまったか。と、ペディランサスの心に一瞬の不安がよぎった。
と、思いきや皆の不意をついてかガジュ丸が溜めた足で全力で逃げにかかった。その速さに、誰一人反応することができなかった。ただ、トックリを除いてである。
急に動き出したガジュ丸に、トックリが即座に組み付き、その動きを止める。
巨大なイノシシの全体重をかけられ、ガジュ丸は今度こそ完全に動きを止められてしまった。
「おい! オーク、当たってる! なにか変なのが当たってるから!」
「問答無用」
ガジュ丸は、これまでになく顔を真っ赤にさせ激しい抵抗をみせた。しかし、抵抗虚しく遂には泡を吹いて沈黙した。
変態の最期を見届けた、4人は何を言うでもなく静かに解散するのであった。
◆
ダンジョン内食堂にて、ペディランサスが姫に茶をすすめた。
「姫よ。あの男、あの身のこなしただの変態とは思えぬ」
「……」
「何か知っているのであれば話してほしい。決して悪いようにはせん」
ペディランサスの問いかけに、姫はうつむいて応えることはなかった。
姫にとってガジュ丸は身内のようなものである。それが、風呂場にて出歯亀を働いていたなどどうして言えようか。身内の恥を晒すなど、王族でなくとも無理からぬことであった。
一方で、自由に生きると言って姿を消したがガジュ丸が、何故ダンジョン内にいたものかという疑問が残る。しかし、それは実のところ大した理由ではない。
それは我が孫のように思っていた姫を、そばで見守っていたいという願望にガジュ丸が自由な心を持って従ったに過ぎないのだ。
何も答えない姫に、ペディランサスが困ってしまっていた矢先、食堂にトックリが駆け込んできた。
「変態が逃げ出しました!」
ペディランサスが怒りの声をあげる。
「うちのダンジョンの牢獄は、いったいどうなっとるのだ!」
思わず立ち上がったペディランサスに、姫が寄り添い肩にポンと手を置いた。
「たぶん、また現れる。その時は、二度と逃げ出せぬよう私が協力する」
姫からの謎の申し出に、ペディランサスが困惑する。
あのジジイを好きにさせていたら、恥を上塗りするだけだ。ならば、なんとしても牢獄にしばりつけていた方がいい。その思いが、姫を駆り立てたのだ。
「お、おう。その時は、力を借りよう……」
「ああ……任せてほしい」
この日、人類は歴史的な一歩を踏み出した。
《変態》という共通の敵を前にして、魔物と人類が初めて協力体制を築くに至ったのである。
そしてそれは、師とその弟子の激しい戦いの幕開けでもあった。
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