第418話 外から来る者
しばらく母への思いに耽った後、アルは気を取り直して質問事項を考えた。
そもそも、アルが異次元回廊の外に情報を求めようと旅立ちを決めた理由はなんだったか。
「——続いての質問なのですが」
『ふむ。声の調子が変わったな』
少し不思議そうにするソーリェンに肩をすくめる。
ここで答えを得られるのではないかという気持ちが、期待として声に滲み出ていたのだろう。
「先ほど、魔族や悪魔族と言われる方々が、イービルによって無から生まれた存在であるというお話がありましたが」
『ああ。正しく言うならば魔素だな』
その言葉に頷きながら、アルは注意深くソーリェンの声に耳を澄ます。言葉だけでなく声に乗る感情も情報になり得るのだ。
「彼らは異なる世界で生きる人間の思いを抱えている可能性があると言っていましたが。彼ら以前に、そのような存在はいませんでしたか?」
『……魔族たちより前に?』
返答に間があった。それは、記録を確認していたというよりも、答えるべき内容を慎重に判断していたためのように感じられる。
「ええ。例えば、魔族たちの故郷と称せる異世界から渡ってきたような魂とか」
『私の記録する範囲はこの世界に留まる』
「分かっています。ですが、この世界でその魂が活動していたら、把握できることもあるのでは?」
やはりソーリェンは答えを躊躇っている。
その理由は神の理に背くためなのか、それともソーリェン自身の事情なのかは判断がつかない。
『……なるほど。魂の把握、か。さしずめ、浮遊する先読みの乙女たちのような存在を逐一記録するようなものだな』
「詳細ではなくても構いませんよ? そのような魂が存在しうるかだけでも」
異次元回廊内で、不思議な風が生じさせた解析不可能な魔法陣。そしてそれが現れた際にアカツキが見ていた雲の形が婚約指輪のようであったこと。
アカツキは婚約者という存在すら忘れ、ヒロフミやサクラは存在を知っていても名を思い出せなかった。明らかに何者かからの干渉が窺える。
それは一体誰なのか。
そこでアルが立てた仮説が三つ。
一つ目はアテナリヤ。異次元回廊の本来の管理主であれば、風を操ることも、それによって魔法陣や雲の形を生み出すことも可能だろう。
だが、それを真とするならば、なぜそんなことをするのか、という疑問が生まれる。
二つ目はアカツキ。一時的に異次元回廊の代理管理主になっていたので、風を操ることは不可能ではない。失われた記憶を無意識に思い出そうとして、風によって魔法陣や雲の形を生み出した可能性がある。
三つ目はアカツキの亡くなった婚約者。もしその女性が死後に魂となってこの世界に渡って来ていたとしたら、アカツキたちに思い出してもらおうとして、風への干渉を行ったと考えられる。
その場合、その女性はそれを可能とする能力を持っている前提となるのだが。
そして、アルが今ソーリェンに問いかけたのは、その三つ目の可能性について探るためだった。
『……そうか。私が言えるのは、この聖域が成立した後に、そのように世界の外から訪れた魂と呼びうるものは存在していないということだけだ』
その答えにアルは僅かに落胆する。
可能性は高いと思っていたのだが——と思ったところで、ソーリェンの言葉の一部が気になった。
「この聖域が成立した後に?」
わざわざそのような言葉で条件をつける理由は何か、と考えれば、自ずと答えは見えてくる。
聖域が成立する前に、そのように魂がやって来る可能性はあると示唆されているのだ。
「——魔族は肉体ごとこちらの世界に転移して来たわけではない。でも、魂として渡ってくることは起こりうる、ということですか」
『その可能性は否定しない。そもそもアルはそのような例を知っているはずだ』
「え……僕が?」
必死に記憶を探る。どこでそのような例について聞く機会があったか。
過去から振り返っていき、最近の記憶まで辿り着いたところで、思わずハッと息を呑んで椅子から立ち上がる。背後でガタンッと椅子が倒れた音がした。
「——それは、アテナリヤ?」
放棄された塔と呼ばれるところの管理主であるオリジネは、アテナリヤを女神と呼び、塔と共にどこかからやって来たという雰囲気で話していた。それによってこの世界が誕生したのだ、と。
そもそもアテナリヤは創世神である。世界と共に生じた存在ではなく、世界を創った存在なのだ。つまり、ある意味異世界からの来訪者である。
『そうだな。アルが求めた存在から外れてはいまい。ただの魂とは厳格に言えば違うのだろうが、外から来た者だ』
「……その外というのはどこなのですか? 放棄された塔の管理主であるオリジネは、なにか風のような響きの言葉で教えてくれたのですが、理解できなかったんです」
ここで答えが得られることはあまり期待していない。あれほどポロポロと情報を零していたオリジネからも、言葉の響きしか得られなかったのだ。
『その者はあまり神からの制約が課せられていないのだな』
ソーリェンの声は少し呆れた雰囲気だった。そして、その評価をアルも否定しない。おそらく、神に関しての話は、他では聞くことができない——つまり制約が課せられるべき話だったはずだ。
「それで、ソーリェンさんはご存知なんですか?」
問いを重ねて答えをねだると、ソーリェンは唸るような声を漏らした。
『私は神が世界を創った後に生まれ、さらにそれから時間が経ってから聖域の礎となった。さすがに創世紀については、神から知らされたこと以外は把握していない』
「あぁ……ですよね」
予想していた答えだった。そのため、落胆もあまりない。
だが、そんなアルの思いをいい意味で裏切るように、ソーリェンが提案をしてくる。
『その風のような響きの言葉を教えてはもらえないか?』
「え、どうしてですか?」
『そのような響きの言葉が、この世界に存在していた記録があるかは探ることが可能だ』
「っ、なるほど、それはありがたいです」
まさかソーリェンがそこまで乗り気になってくれるとは思っていなかったが、非常に助かる。ただ問題が一つ。
「——あの響きを再現、かぁ」
ぽつりと呟いた。オリジネが漏らした言葉は、アルの耳には風のようだとしか思えなかったのだ。再現できる自信がない。
『なんとなくでも構わないぞ』
「分かりました。えっと……【ふぃりーふー】いや違うな。【フィリーいんふー】……なんか違う。んー【フィリーリィンヒュー】?」
『ほう……どこかで聞いた覚えがなきにしもあらず』
「どっちですか」
あまりにも曖昧な返事があって、アルは思わず半眼になった。せっかく頑張って発音してみたというのに、なんの意味もなかったら少し虚しい。
『フィリー、リィン、ヒュー……なるほど。おそらく悪魔族か魔族の者たちに尋ねると良いかもしれぬ』
「えっ、何か分かったんですか?」
思いがけない返事だった。
目を丸くしながら、アルは期待の声を上げる。魔族に聞けばいいというのなら、アルには三人——アカツキ、ヒロフミ、サクラ——あてがあるのだ。
『その者たちがそのような響きの言葉を使っている記録があった。全くの同一ではないだろうが、響きの印象は似ているから、尋ねて損はあるまい』
「そうなんですね! では、後ほど尋ねてみたいと思います」
女神がどこから来たかというのは、白き神殿の情報を探っても分かるかもしれないが、情報は多いほどいい。声での情報のやり取りとなると、アルが異次元回廊に戻る必要があるだろう。
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