第412話 無意味か否か
不意にクインが囁きを零す。
「精霊が惹かれ合ったのかもしれぬな……」
「え? どういう意味ですか?」
何を指してそう言ったのか。アルは問いかけてから察した。
「——あぁ……僕だけが、この香りに気づいたのは、人間だからじゃなくて、精霊としての核も持っているから、ということですね」
甘やかな香り。これに危険を感じなかったのは、種族として近い精霊の導きだったからなのかもしれない。
「うむ。ソーリェンは同種族たる精霊を愛していた。アルにそれを感じて、引き寄せようと思ったのかもしれぬ」
「なるほど。……歓迎されているのなら、嬉しいですけど」
だが、ソーリェンが何かを語ってくるわけではない。ただ静かに花を散らすばかりだ。
アルはふと、この風情はサクラの名の元になった桜の花に似ていると思った。この世界ではあまり見かけないものだ。
『精霊の木とは、花をつけるものだったのか』
ごく当たり前の疑問を呟いたブランは、納得いかなそうに首を傾げている。
「……いや、普通は咲かない。木は精霊の本体だぞ。散らす意味が分からぬ」
「でも、人間で言うなら、髪の毛みたいな」
そう考えると、花が舞い散る様の幻想性が途端に台無しになる気がして、アルは途中で言葉を止めた。
そもそも人間と精霊を同じとするのも違う気がする。
「……髪の毛かどうかはともかく」
クインが複雑そうな表情で首を振るので、アルは気まずくなって目を逸らした。ソーリェンに知られたならば、どんな反応をされることか。
「——これが異様であることは、吾が保証しよう」
「つまり、実際にはソーリェンではない可能性もある?」
「……うむ」
悩ましげに頷くクインの様子を横目で眺めながら、アルは改めて巨木を見つめた。
ここに来て、白い森に変化を見出したが、だからといって何が起きるわけでもない。これからどうしたらいいのか、と頭を悩ます。
『むむ……うーん? あー……どういうことだ?』
束の間の静寂を破ったのはブランだ。
不思議そうに首を傾げては、周囲を眺めて、呻き声のような思念を漏らしている。
「どうしたの?」
手がかりを期待しながら問いかけたアルに、ブランはしばし悩んだ末に口を開いた。
『ここは、我の管理する森とは違った次元にある』
「それはどういう意味……?」
『我の分身の状態が確認しにくいのだ。妨害されているというよりも、異なった次元であるがゆえに、手間が生じていると見做すべきだろう』
ブランの感覚はいまいち理解しにくい。だが、ここがアカツキのダンジョンや異次元回廊のようなものであったとしても、さほど不思議はなかった。
「結界で分断されているというだけじゃないんだよね?」
『うむ。空間そのものが違う』
断言を受けて頷く。ブランがそう言うならば、きっとそうなのだ。根拠がそれしかなくても、アルにとっては十分だった。
「じゃあ、ここはどこ?」
あまりにも基本すぎる疑問。これに答えはないかと思われたが——。
「……おそらく、記録の中ではないかと思う」
「え、何か分かったんですか?」
アルはパチリと目を瞬かせた。そして、考え込んでいるクインの横顔を見つめ、首を傾げる。
どうにもクインは自信がない様子だった。とりあえず推測を述べてみたのだと考えるべきだろう。
「この状況は、吾が聖域で記録を読み取った状態と似ている気がする」
「先読みの乙女の情報を探しに来たときのことですね」
念の為確認しながら、アルは周囲を眺めた。
記録の中にいる。この聖域での情報の確認方法について、クインが記録に呑まれると表現した意味が分かった気がした。
これほどまでに本物そっくりの中で過去の記録を追うならば、それは記録の中に自分が入り込んだと感じても仕方ないだろう。
「だが、そうなるとさらに疑問が生まれる」
その先の言葉をアルはすでに察していた。
「——これは何に関する記録であろうか」
ポツリと呟かれ、アルも思考してみた。
聖域で知識を得るには、まず何に関する知識を得たいか、明確に提示する必要があったはずだ。アルはそれをした覚えがない。
「……いや。ここに来たのは、特殊な転送陣を使って、だ。元々あの転送陣はこの記録を見せるためのものだったということかな」
『なるほど。そういうことか。……だが、わざわざ見せるほどの情報がここにあったか?』
ブランの疑問に、アルは答えようがなかった。
強いて言うならば、ソーリェンと思しき精霊の木が、それにあたる。だが、見たからといって、アルが必要としていた情報が開示されたわけではない。
「つまり、無駄足……?」
そうは考えたくない、と思いながらも口にせずにはいられなかった。
ブランが『えー』と不満を告げるが、アルにそれを言われても困る。アルだってこれを望んでいたわけではないのだから。
「いや、待て。……聖域の核とは、それほどまでに軽い存在ではないぞ」
クインは友を貶されたと捉えたのか、少しムッとした様子で呟いた。アルは慌てて「いえ、そういう意味では」と宥めることになる。
アルだって、ソーリェンらしき精霊の木を見られたのは嬉しかったのだ。それに嘘はない。
「えっと……この場ではやっぱりこの木が重要だと思うので、一周してみませんか?」
すいっと指さしたのは太い幹。地を這う根っこも太く、近づくのも容易ではないだろう。必然、遠巻きに木を窺うことになるので、一周するのも時間がかかりそうだ。
『うむ。それがいいな。この森を闇雲に探索するよりよほど希望が見える』
すかさず同意したブランと、無言で頷くクインを連れて、アルはゆっくりと歩き始めた。
「この木も白いんですよねぇ。もしかして、聖域の木が白いのは、ソーリェンに倣ってのことですか?」
「そうであろうな。そも、聖域すべてがソーリェンと言っても過言ではないのだ」
「聖域の結界の核なんですよね。空間自体を形成しているのもソーリェンということですか」
クインと話しながら、知識の穴を埋めていく。
わざわざ精霊がその身を賭して核になってまで創られた場所なのだ。きっと重要な意味があるはずである。
「——……うん?」
真っ先に変化に気づいたのはアルだった。続いてブランが足を止め、マジマジと巨木の幹を見つめる。
クインが「どういうことだ……?」と困惑の声をこぼすのが聞こえた。
巨木を三分の一ほど回ったところで、幹になにやら扉のようなものがあったのだ。
精霊の本体と思しき木に扉。まさかの存在である。
「あー……雰囲気は、精霊の森で寝泊まりさせてもらったところに近い……?」
『というか、ドラグーン大公国近くの精霊の住処のようなものではないか』
「大きさはだいぶ違うけど、そうかも」
扉は幅十メートル、高さ十五メートルほど。開けるのも苦労しそうなほどの巨大さである。幹の太さを考えるとそう大きくはないように見えるが。
「——これは、あれだ……城の門みたいな」
『数人がかりで開けるやつだな』
「ブラン、開けられる?」
『紐をくくれる場所があるのか?』
やってくれる気はあるらしい。だが、残念なことに、扉には取っ手さえないように見える。
「……そもそも開けさせる気がない?」
『扉の存在意義を消失させているな。それならば意味深に用意するな』
理不尽な不満を口にするブランに、アルは苦笑してしまった。
「そもそも、やはり、精霊の木に扉があることがおかしいのだが……」
クインが控えめに指摘する。
「そうですよねぇ。これ、人間で言うなら、体に穴を開けている状態では?」
『穴ではなく、装飾品なのかもしれんぞ』
「投げやりな感想ありがとう」
ブランは真実の追求を諦めたようだ。
アルはクインと視線を交わし、首を傾げる。せっかく生じた新たな変化だが、打つ手なしに見えた。
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