森に生きる者 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です。

ゆるり

グリンデル国

第1話 婚約破棄と除籍

「婚約を破棄しますわ」


 こう言われたとき、普通の人はどう思うのだろう。何故だと嘆くのだろうか。許さないと怒るのだろうか。 アルはなんとも思わない。むしろ嬉しいくらいだ。


「承りました。ご用件は以上で?」

「……ええ。陛下には既に了承されているわ。今頃公爵家にも連絡がいっているはずよ」

「では、失礼致します」


 彼女の嫌悪に満ちた表情は見慣れている。彼女は昔からアルを見るたびにこんな表情をする。仮にも婚約者だったのに。


 アルフォンス・ラナ・ユークリッドはグリンデル国公爵家の嫡男である。そして、王女の婚約者であった。


 幼少の頃に決められた婚約は政治的なものだった。

 アルの母は隣国の末の王女で、本来グリンデル国王のもとに嫁ぐはずだったのに、公爵に惚れて無理矢理婚姻を結んだ。その後生まれたのがアルだ。母の容姿を受け継いで、黒髪紫目で色白の美人な雰囲気だが、この国の貴族男子としては少し頼りなさげに見られる。何故ならこの国は武を重んじる国だからだ。

 グリンデル王家には現在王女しか子がいない。アルは王女と婚姻を結び、王配になるはずだった。それにより隣国の血を王家に取り込もうとしていたのである。


 しかし、王女は剣に向かない体つきのアルに不満があったらしい。いつだったか、理想の男性は王立騎士団の団長だと言い、アルに鍛えるよう要求した。

 アルは別に王女に気に入られたいわけではないが、言われたことには従うことにしていた。反抗するのも面倒なので。しかし、骨格の違いはどうにもできなかった。


 そして、本日、めでたく婚約破棄と相成ったのである。本当にめでたい。これで汗臭い訓練所からおさらばできる。


 政略結婚の本義はどうなるかって?現在隣国は帝国からの侵略の憂き目にあっている。そんないつ滅亡するか分からない国の王家の血に何の価値も見いだせなくなったのだろう。グリンデル国としては、もっと優秀な血を王家に入れたくなったようだ。


 アルは能天気なグリンデル国を軽蔑している。隣国が侵略されようとしているということは、グリンデル国にもその危険があるということなのだ。しかし、グリンデル国はなんら対策をとっていない。隣国からの援軍要請を断り、自国に引きこもるだけである。それでいて、自国の騎士団は世界一だと嘯くのだから、失笑してしまう。


「この国は先がないな」


 公爵家へと進む馬車の中で呟く。御者にも聞こえないだろう声だ。


 隣国は魔法技術に優れた国だった。王侯貴族は非常に高い魔力を持ち、庶民でも魔法を行使できるのだという。それゆえ、世界一と言われる魔法師団を抱えていた。

 そんな国が滅亡の淵にある。それは、強者の慢心もあったのだろう。近年は新しい魔法技術が生まれていなかったようだ。しかし、それよりも帝国の魔法技術力や軍事力の大きさが理由だと思う。隣国もこの国も、本当の強き者を知らずに『世界一』と宣い驕っていたのだ。


 

「到着致しました」

「ご苦労」

 

 差し出される手を断り、さっと馬車から降りる。玄関広間に入ると、中年の筋肉達磨な男が仁王立ちしているのが見えた。ユークリッド公爵だ。一応アルの父親である。彼はアルが帰ってくるのをわざわざ待っていたらしい。


「アルフォンス、王女殿下から婚約破棄されたそうだな」

「はい、その通りです」

「……貴様がそんな軟弱な体格だからだ。努力しようとは思えないのか」


 蔑む眼差しがアルの体を突き刺す。だが、アルはこういう視線には慣れっこだった。


「努力はしています。実際、剣術の技能では学園で1番でしたよ」


 ついでにいうと、学力でも1番だったし、魔法技術に至っては他の追随を許さない圧倒的実力で1番だった。この国では剣術が最も重要視されているから他はどうでもよいのだろうけど。


「ふん、学園で頂点になろうが実戦では使えない技術だろう。お前はもっと見た目をどうにかすべきだった」

「……そうですか」


 使えない筋肉がついたって、実戦では騎馬の負担になるだけだろうが、それは彼にとってはどうでもいいことらしい。


「ここまで言っても改心しないか」

「……」


 一体何をどう改心しろと?相変わらず公爵の言葉は理解しがたい。公爵がアルを蔑むためだけに話しているからだろう。


「貴様をユークリッド公爵家から除名する。今後ユークリッドを名のることを許さない。次期女王に厭われている者を公爵家においておくわけにはいかないからな」

「……貴族籍を消すということですね」

「そう言っているだろう。愚鈍め」

「分かりました」


 アルがあっさりと了解すると公爵が理解しがたいと顔を歪めた。

 アルにとってユークリッド公爵家であることは重荷でしかない。不本意な婚約は押し付けられるし、公爵家内では肩身が狭い。

 アルの母が亡くなってすぐに娶られた義母は、公爵の相愛の婚約者だった人だ。彼女が来てから、アルの居場所は公爵家になくなった。


 階段の陰から腹違いの妹と弟がアルを見てニヤニヤと笑っていた。彼らはアルを嫌っていた。それは公爵夫妻を見倣ってのものもあるだろうが、そもそもが生理的に合わないのだ。


「……追い出しても食うに困ろう。公爵家の魔法師団に勤めろ」

「いえ、ご心配無く。公爵家での籍がなくなる以上は好きに生きさせてもらいます」

「なに?!」


 心配はしていないだろう。内心ではアルの能力を手放すのは惜しいと思っているのだ。だからこそ、魔法師団に繋ごうとしている。

 だが、公爵家という貴族の責務から解放されるならば、新たな檻に閉じ込められるいわれはない。


「貴様、私に逆らうつもりか?!」

「私は貴族籍を失う身です。公爵に仕えているわけではありませんから、その命令に従ういわれはございません」

「平民ならば従え!」

「嫌です」


 公爵の意思に従わないのは初めてだ。これまでは貴族の義務として不遇に耐えてきた。どれほど嫌われようと折檻を受けようと、義務を果たすことだけを考えて耐えた。それから解放されるのだ。


「……おいっ、こいつを捕らえろ!貴族に歯向かう無礼者だっ!」

「「はっ!」」


 玄関脇に控えていた騎士達が威圧的に近づいてくる。武力でアルを従わせるつもりらしい。

 アルを掴もうとした手を逆に握り、クルリと回した。重い鎧を纏った体が嘘のようにあっさりと床に倒される。ガシャンッと鈍い金属音が広間に大きく響いた。

「ぐあっ」

「ぎゃあっ」

「なっ!お前たち、なにやってるんだ!」


 驚愕と怒りで顔を赤くする公爵を見据える。

 アルの心に公爵家への未練など存在しない。ただ自由への渇望だけがある。

 騎士達が警戒して動きを止めている隙に、公爵に向かって笑んだ。


「これまでどうも。お世話になった覚えはありませんが」


 騎士が集団で迫ってくるのを感じて、脳内にひとつの魔法陣を完成させる。アルが独自に生み出した魔法陣だ。


「さようなら」


 視界が歪んだ。音が消える。








 深い闇が覆う深い森のなか。そこかしこに魔物や動物が蠢く気配がする。


「新しい人生、よろしくな」

『ふん、我にとっては暇潰しだ。付き合ってやってもいいぞ』

「うん」


 アルが長い時間をかけて用意していた秘密基地で待っていた相棒に微笑んだ。


 




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