The Lighte 〜ザ・ライト〜 《II》玉座乗りと植物公爵

ウツユリン

プロローグ.

 突きぬけた蒼穹のむこうに、土星の環を思わす薄い弧が白い虹を架けている。拡大した虹とおなじく、地球軌道ステーションエオスの環も幾層に別れていて、まわりを白い点がポツポツと散っている。地上から肉眼で見えるくらいだから、点のひとつひとつは高層ビルほどもある航空機なのだろう。

 二十五年を費やしたエオスはテクノロジーの集大成であり、人はそらより高く昇る足がかりを得た。足がかりが次の一歩へつながり、エオスと比べればサッカーボールほどにしかみえない銀の月を、姉妹ステーション、セレネが囲っている。火星の弟、ヘリオスは人類初の複合環ステーションとなる予定になっていて、順調に進めば五年後に完成する。

 人は足場を確かに築きながら、未知へ果敢に挑戦しつづけている。

 大空よりも緑がかった、エメラルドグリーンの澄んだ海洋。

 オーストラリア大陸の北東に広がる珊瑚海コーラルシーの只中でも今、ある意味で挑戦が続けられていた。

「——捕まえられるものなら、ねっ‼」

 "天国にもっとも近い"碧海を、水飛沫を散らして高速飛行する乳白色の長方体、トレーラーハウス〈桃源邸アヴァロン〉。そのリビング兼コントロールフロアで景色を透過した壁が蒼天と海を映し出し、コルクウッドの床をタンッ、と蹴った勝ち気な少女の声が挑発する。

 透き通ったグラスファイバーの髪を炎色に輝かせ、紫陽花ハイドレンジアの瞳がホログラムの相手を睨み返す。その間も、少女は無線接続されたでアヴァロンの操縦をこなしつつ、追っ手を確かめる。キリリとしたその容姿は、さらに特徴的だ。

 アフリカ大陸の地図を見ているような、十字を切る蒼い線。その直線の亀裂が走る小麦色の肌はみずみずしく、手入れを欠かさないアンティークのボーダーシャツが、透過した車内を吹き鳴らす潮風にはたいめいている。

 ヒューマノイドである少女、ブルーテは、トレーラーハウスの外部を映すカメラから直に映像を受けとっている。のだが、「爽快感が好き」だというブルーテは操縦しているときにリビング《コックピット》の壁をすべて透過させ、全天モニター代わりに空と海に溶けこんでいる。縦横無尽に宙を駆ける車体が海面をなぞる度、舞い上がる飛沫が、少女のスニーカーから跳ねているようだった。

 楽しげなブルーテと打って変わって、その隣からキーキーと神経質そうなくぐもった抗議の声が上がる。

「まてっ、ブルーテ。どうするつもりだ⁈」

 仁王立ちした小麦色の肌のヒューマノイドの顔を、忙しなく黒い瞳が見上げてくる。クラシカルな食器——レンゲによく似た玉座スローンに収まり、血色の悪い顔を紅潮させて男——永有珠エイウスは、目の前に展開したヴェールスクリーンで自機を追いかけてくるニョロニョロした複数の機影を見直す。

「いいから口を閉じててくださいよ、仮マス! 舌、嚙んだって知りませんからねッ」

 日光の加減で月白とピュアホワイトに機体が点滅してみえる〈アヴァロン〉の後方に、国際海洋警察機構セオンのエンブレムをまとった十数機の警備艇ウミヘビがけたたましい警告音を発して迫っていた。軌道ステーションが建設できるようになった二〇八七年現在でも、取り締まる側のトレードマークは赤色灯サイレンから変わらない。

 ブルーテを囲うスクリーンでは種々の警告が、言語、信号をとわず割りこんできていた。海洋警察が「投降せよ」と平坦な人工音声で叫べば、だみ声の怒り狂ったヌメア行政長の罵詈雑言がフランス語で響く。パイロットが機械だと知ってか、コードの羅列で制止を求める通信まである。

 ガンガンと頭の中でおこなわれる合奏がうるさい。が、ブルーテの口角はただ楽しそうに弧を描いている。感情をあらわす髪の色は、明けきった空と同じ澄んだ蒼。

 終わりかけた旅が、また始まる。

 その先に何が待ち受けようと、ブルーテは今この瞬間がたまらなく愛しかった。

 だから、ここで捕まるわけにはいかない。

反地磁気AGエンジン出力上昇。〈Protocol Moray《ウツボ》〉、開始Start!」

 十トンを超すアヴァロンを軽々と持ち上げる高出力の推進機構が甲高いうなりを上げていく。体の一部としてアヴァロンとつながったブルーテには、もう一つの心臓コアの早る高鳴りを抑えきれない。

 

 この空の向こうへ——

 二人でどこまでも——

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