39話 魔に堕ちた者
「ぐっ……何故…‥助けた……」
痛みに悶えながら、震える腕で回復魔法をかけるギリウス。
しかし彼は回復魔法があまり得意では無いので、血の勢いこそだんだんと治りつつあるが傷口はちっとも塞がらない。
こういう時のための救護班がいるはずなのだが、なかなか出てこない。
「――誰か、回復魔法が出来る方! 早く彼を
「無駄だ。この場に強力な結界を張った。誰も入っては来れない」
「――ッ!」
気がつくとアドニスから吹き出していた黒いモヤモヤはやがて一つの箇所に集まり、人の形を成していた。
まるで光源に群がる蟲の如く、足元から順々にモヤが集合し、現れたのは少し前に見たフェルマの如く深くフードを被った長身の人間が現れる。
そしてゆっくりとそのフードの端を掴み、その素顔を露わにする。
「答えろ、クロム……ぐっ……」
暗闇のような髪色に生気の薄い真っ白な顔。
だがその顔半分は黒く塗りつぶされており、頭部には物語に出てくる悪魔のような角が片方だけ生えている。
人なのか、化け物なのか。
どちらにも例え難い歪なその姿を前に、クロムは息を呑んだ。
「改めて名乗ろう。俺の名はアディオ。クロムと言ったか。素直に退けばお前の命は見逃してやろう」
「アディオだとッ……!」
「……断る、と言ったら?」
「その場合は仕方あるまい。その男の命と共にお前も喰らってやる」
そう言って再び人差し指をギリウスに向けたので、クロムは瞬時に妖刀を抜き、アディオに向けて斬りかかる。
しかしその刃に肉の感触はなく、ただ空を斬るに留まった。
「…‥一応聞いておきます。何故その人を狙うんですか」
「何故その男の命を狙うかだと。くっくっくっ、良いだろう。聞かせてやる。その男はな――」
一体何を言い出すのかと思えば、彼の姿が突如としてブレる。
直感で危険を察知したクロムは即座に妖刀とリンクし、超スピードを以ってギリウスの前に割り込んだ。
そして、
「――この俺から婚約者を奪ったんだよッ!!」
「――っぐ!」
振り下ろされた漆黒の刃を妖刀で受け止める。
凄まじい重さだ。
まるでアルファンの大剣を受け止めているような感覚。
ギシギシと刃が擦れ合う音が響く。
先に引いたのはアディオだった。
くるくると縦に回転しながら後ろに下がり、着地する。
クロムは、彼の視界からギリウスを隠すように向かい合った。
「婚約者を…‥奪った?」
「そいつの婚約者……ソフィア第二王女殿下はなァ! 元々は俺と付き合っていたんだ……相思相愛だったよ……俺は伯爵家の次男だったからよ。身分違いの恋だってのは分かってたけど、彼女は俺となら駆け落ちしたって良いって言ってくれたんだ」
「…………」
クロムにとって色恋のことは正直よく分からないが、彼の話をそのまま信じるのであれば、二人はお互いのことを大切に思っていたという事になるのだろう。
しかし、ソフィア王女は現在はギリウスの婚約者となっている。
つまり何らかの圧力がかかって、二人の仲は強引に引き裂かれた、と解釈するのが正しいだろう。
「だが結果はどうだ……彼女は、ソフィアはまんまと言いくるめられ、政略結婚の道具にされちまった! あと少しもすればそこで情けなく蹲ってる男のモンになっちまうんだよ!!」
「何を戯言を…‥王侯貴族に生まれたのならば 政略結婚の一つや二つは…‥当然だろう……」
「あァ! そうだな! そういうと思ったよお前なら!」
そう言うとアディオは懐から何やら小さな箱を取り出して、その中身を指でつまみ取った。
黒い錠剤のようなそれを持ち上げると、アディオは箱を再び懐にしまい、それを口の中に放り込んだ。
「外野どもがうるせえな。少し静かにしてもらおうか。
周囲を覆う薄い赤色の結界の外で、巨大な魔法陣が複数形成される。
そしてその魔法陣から這い出てくるように巨大な岩で出来た生物――ゴーレムが召喚された。
大量に生み出されたゴーレムは、外部から結界を破ろうとしていた騎士や冒険者たち目掛けて一斉に襲いかかる。
あろうことか、片手間に召喚したゴーレムにも関わらず、彼らはAランク冒険者と同等以上の戦闘能力を持っていた。
「クロム!」
「ルフラン! こっちは大丈夫だから、そっちでみんなを守ってて!」
「――分かった! でも必ず勝って帰ってきなさいよ!」
そう言ってルフランは悲鳴を上げながら慌てふためく観戦者たちを守るために戦い始めた。
名のある冒険者たちが苦戦するほどのゴーレムが相手なので少し不安ではあるが、ルフランは強いのできっと大丈夫だろう。
それよりも問題なのは、これほど強力なゴーレムを何体も呼び出しておきながら、未だ平然としているアディオの存在だ。
「…‥気に入らねえ。生まれがそんなに大事か。身分がそんなに大事かよ。ギリウス、お前は俺よりも弱い。さっき戦っててよく分かったよ」
「…………」
「俺もこれでも1年前まではな、エリート街道を辿っていたんだ。成績は学年トップ。武闘大会でも優勝し、宮廷魔導師団への入団も約束されていた。足りねえ身分は努力で補える。頑張ればいつか胸を張って王女様の隣に並び立てる男になれると、そう思ってた。あの日まではな……」
そう言うと、何かを思い出すように彼は天を仰いだ。
思い返すのは、ソフィア王女に別れを告げられたあの日の事だった。
ジーヴェスト公爵家の嫡男との婚約をしなければ、アディオの家に不幸なことが起きると、そう脅された彼女は従うしかなかったのだ。
「……あの日から全てが変わった。抗えない現実に絶望した俺は、何も出来なくなった。まともに魔法も使えなくなり、勉学にも手がつかず、結局宮廷魔導師団に入ることも出来なくなった」
絵に描いたような転落人生だよな、と自嘲するアディオ。
この独白に挟み込む適切な言葉が浮かばなかったクロムは、ただ黙って聴くことしかできなかった。
そして散々
「……それでも、ソフィアを任せられるだけのいい男が相手ならば、諦めようと思った。だがどうだ。その男は生まれ持った地位と才能に
「ぐ、言わせて、おけばっ……私は……」
「なァ、聞かせてくれよ。何でそんな奴を守るんだ。何でそんな奴を守って命懸けで俺と戦おうとしてるんだ」
「それは……仕事だからですよ。ここの学生を守ることが、冒険者たる僕の仕事だから」
「――ふっ、ははははははははっっっっ!!! 面白い、面白いぞ! そう言う男は嫌いじゃねえ。良いだろう、守ってみせろよ。この俺から、その男を!」
その言葉が、開戦の合図となった。
アディオは一瞬にして距離を詰め、大上段から漆黒の刃を振り下ろす。
クロムは瞬時に妖刀を上に構えてそれを受け止め、波流しの要領でその勢いを横へ逸らす。
「至天水刀流・
「ふんっ!」
クロムも負けじとアディオの背後に回り込み、その背中に勢いよく刀の鋒を突き立てた。
しかしそこにアディオの姿はなく、彼は再びクロムの上を位置取っている。
そして急降下。凄まじい勢いで重力を乗せた刃が迫り来る。
クロムは地面を勢いよく蹴って、転がるようにしてそれを回避したが、黒の刃が着地した地点はまるで爆発が起きたかのように激しく抉り取られていた。
そのままクロムは超速を持ってアディオに対して前後左右、そして上の五方向から紫の刃を飛ばす。
しかし彼は謎の力でその飛ぶ斬撃をかき消すと、お返しと言わんばかりに黒の斬撃を飛ばし返してきた。
クロムは回避しようと思ったが、後ろには足を奪われ這いつくばっていた審判がいたので慌てて妖刀で受け止め、空へと弾き返した。
直後、猛スピードでアディオが迫り来る。
クロムは大きく息を吸い込み、妖刀を鞘へと収め、居合の構えをとった。
「至天水刀流奥義・
「もらったァ!」
一瞬、世界が音を失った。
真正面からの突撃。それに対してクロムが用意できる最高の回答。
それこそが反撃の極意である
しかし、その手応えはあまりにも軽すぎた。
(……防がれたか!)
再び妖刀を抜き、振り返ると、そこには服だけが横に薄く切れたアディオが立っていた。
「やるねえ…‥口先だけの実力じゃねえってことか」
「あなたこそ、僕の剣にこうも簡単に対応するなんて、やりますね」
「
「
聞きなれない単語に困惑するクロムだが、アディオはこれ以上詳細に答えてくれるつもりはないらしい。
再び漆黒の刃と共に猛スピードで突進してきた。
「認めてやる。お前は強ぇ! そこのクズと違って
「ぐ、ぅ……!!」
流石に次は凪の構えが間に合わず、普通に刀で受け止めることになった。
しかし、それを好機と捉えたのか、アディオの口角が僅かに上がった。
「忘れてるかも知れねえが、俺ぁ剣士じゃなくて――魔法使いだぜ」
魔法名の詠唱は省略されたが、向けられた指と殺気を察知したクロムは即座にその射程から逃れる。
しかしそれはアディオの剣を受け止める体勢を崩すと言うことで、生まれた隙を付くように腹に強烈な蹴りが飛んできた。
「っく、がはっ……!」
危うく腹に溜めたものを吐き出しそうになったところをグッと堪え、受け身と共に着地した。
そして即座に立ち上がり、妖刀を構える。
(紫奏剣冴でもダメなのか……?)
クロムは現在、妖刀とリンクしたことで絶大なスピードとパワーを獲得している。
それに合わさって鍛え上げた剣技を以って戦っていると言うのに、戦況は相手の優勢だ。
しかし考えていても仕方がない。現在出せる最大の力で相手をするしかないのだ。
クロムは地面を強く蹴り、一瞬でアディオとの距離を詰める。
そして激しい斬り合いに持ち込んだ。
斬り合いならこちらに分がある。そう判断してのこと。
しかし、アディオは剣を振る合間に的確なタイミングで多様な魔法を混ぜ込んでくるせいで、非常に攻めにくい。
(魔法剣士が相手だと戦いにくすぎるっ……!)
「よそ見してるんじゃねえぞッ!!」
「あガァッ!!?」
そしてついに、決定的な一撃が入ってしまった。
クロムの腹に強烈な横薙ぎ。
内臓ごと腹の肉を抉るかのような、強烈な一撃だった。
無理矢理回避しようとした勢いでクロムの体は激しく後方へと飛ばされていく。
そして端の方へ避難していたギリウスの目の前に叩きつけられた。
「げほっ、がはっ……くそっ!!」
「もう良い……私を庇うな! "出来損ない"の弟に庇われるなんぞ……我が人生最大の恥となる……!」
「うるさい、ですよ……」
「さっさと視界から消えるが良い! ぐっ……魔法使いのなり損ないなんぞに守られるほど私は……」
「うるさいっっっ!!」
苦悶の表情を浮かべながらも、クロムに暴言を吐くギリウスを、クロムは怒鳴りを持って黙らせた。
その額に汗を滲ませながらも、妖刀の力を持って急速に傷を塞いで立ち上がる。
「……確かに、あなたはもう僕の兄でも何でもない。守る義理なんてない。だけどこれはBランク冒険者である僕が請け負った仕事。ここであなたを死なせたら、僕は依頼失敗の不名誉を授かることになる」
「Bランク冒険者、だと……」
「……それと、一つ訂正してもらいますよ」
クロムは今一度、大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「僕は"魔法使いのなり損ない"なんかじゃない。僕はいずれこの世界で"最強の剣士"を名乗る男――
その言葉と共に、クロムは再び勢いよく駆け出した。
再び始まるアディオとの斬り合い。
もはや目では追えぬその早業を、開いた口が閉じないままに眺めるギリウス。
直後、またも大きな
しかしすぐさま立ち上がり、果敢にアディオに挑み続けた。
何度も何度も。時には焼かれ、時には体を貫かれ、様々な傷を負いながらも倒れることなく戦い続けるクロム。
このまま負けるつもりはない。しかし、このままでは勝てない。
ならばどうするか。クロムは必死に頭を捻らせる。
そんな事をしているうちに、クロムの視界がある強烈な違和感に襲われた。
(……えっ?)
遅いのだ。何もかも。
アディオの動き。一挙手一投足が、全てスローに見える。
だが、自分の体は何故か軽やかで、アディオの剣が振り下ろされるよりも前にその腕に刃を差し込むことができた。
そして、
「ぐおおおっ!?」
その腕ごと、空を舞わせた。
アディオは何が起きたのか理解が追いつかず、遅れて来た激しい痛みに驚き腕を抑える。
そしてクロムの様子を見て、震えた。
それはまるで、悪魔に魂を売った自分のよう。
顔に深く染み込んだ異形の模様。
とりわけ目元が深く紫に染まり、瞳は紅く輝いていた。
(……おかしいな。体が変だ。でも、不思議と嫌な気分じゃない)
そして紫の光がクロムの体を包み、激しく発光した。
直後、そこに立っていたのは――
(……? 妖刀がいつもよりさらに軽い。視界も高いな、何でだろ)
「な、何だそれは……急に成長しやがった……」
そこに立っていたのは、金色の髪を風に靡かせ、細身で引き締まった長身の体を紫の衣で隠した刀使い。
その体格に合わせて刀はやや大きさを増しており、彼の貌もあいまって凄まじい威圧感を放っていた。
(……今なら何でも斬れそうだ)
一瞬にしてクロムの姿が消える。
「ガァっ!?」
直後、焼けつくような痛みが胸を襲った。
(いくら何でも速すぎる…‥全く見えなかったぞ!?)
またもクロムの姿が消える。
次の瞬間、今度は腹を斬られた。
ギリギリ致命傷は避けているが、深い傷だ。
猛烈に命の危険を感じ取ったアディオは、すぐさま懐から
どくん、と心臓が跳ね上がる。
そしてその鼓動は瞬く間に凄まじいスピードへと辿り着き、全身が作り替えられていく。
気が付けば、腕の切断面からは真っ黒な悪魔の如き細い腕が生えていた。
歪なる生命。魔の力にその身を堕とした狂人同士の戦いが始まる。
しかしその結末は、あっけなかった。
「ガァあああああああっっ!!」
もはや理性すら吹き飛ばしたアディオが、複数の大魔法を乱雑に解き放ち、剣すら放り投げて鋭い爪で襲いかかる。
だが、クロムは一言。
「紫閃」
その言葉と共に、刃が流れるように滑った。
「あ、ガ……」
気が付けば悪魔の体は、上下の繋ぎ目を失っていた。
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