36話 アステル王立学園3
広大な土地にぎっしりと詰め込めまれた長身の建物群。
その中心は広場のようになっていて、飲食スペースなども設けられている。
その一角でクロムとルフランの二人は昼食を取っていた。
「もうっ……なによ! 武闘大会の日までは特に何もしなくていいって……あっ、これ美味しい」
「はは……何もしなくてもいいってのは一番困るよね……」
フルーティな紅茶をやや雑に流し入れたルフランは、その独特な風味に満足したのか目の力が少し緩んだ。
二人は早速先んじて潜入しているというギルド関係者と接触し、話を聞いてみたのだが、どうやら二人には学生としてこの近辺を
気になる授業があるならこっそり潜り込んで受けても構わないと言っていたが、これまで学校というものに通ったことのない二人にとってどれが面白い授業なのか判別がつかなかった。
だが、そんな二人でも目に付く授業が無かったわけではない。
「とりあえずこのあとは火属性魔法・上級の授業に行く、で良いわね?」
「そうだね。よく分からない変な名前の授業にいくよりは、そういう分かりやすいヤツの方がいいと思う。まぁ僕は魔法がさっぱりだから学ぶことなんてないと思うけど……」
「オッケー、決まり! ちょっとの間だけど、どうせなら学生生活ってのを楽むわよ!」
半ば強引にテンションを上げるルフランを片目に、クロムは先ほど手渡された要警護対象者の学生のリストに目を通すクロム。
もちろんほとんどが知らない人だらけなのだが、その中にクロムがよく知る名前が一つ存在していた。
(ギリウス・ジーヴェスト……僕の、兄だった人)
顔写真付きのデータを見る限り、その人物がクロムのよく知る元兄であることは間違いなかった。
彼との思い出は嫌な思い出しかない。いや、それ以前にまともに接したのがただの一回しかなかったか。
家を追い出される直前に、訳もわからず決闘をさせられ、ボロボロにされた。
クロムにとって魔法使いという存在に対する軽いトラウマを植え付けた相手。それがギリウスという男だ。
(なんだかんだ、あれから1年近く経ったんだな……)
思い返せば、この1年間は人生で最も充実していた。
エルミアに拾われ、ルフランと出会い、アルファンを師事し、忙しくも濃密な経験を積んだ。
叶う事ならば、この素晴らしい出来事を、今は亡き母親に聞かせてあげたい。
叶う事ならば、強くなった今の自分を、いなくなった師匠に見てほしい。
だけど、それは叶わない。でも、それで良いのだ。
今のクロムは母と師匠思い出に縋り付かなければ、生きていけない程弱くはない。
決して忘れることはない大切な二人だけども、今のクロムには隣で一緒に歩いてくれる人がいる。
その人たちがいなくならない限り、自分はきっと前を向いて生きていられる。
(今ならきっと、あの人達ともまっすぐ向き合える)
もしこの先、兄ギリウスや父グラウスと対面することになったとしても、きっとクロムは臆することなく立ち向かうことができるだろう。
あの日までは疎まれつつも彼らに頼らなければ生きてはいけなかったが、今は違う。
もう捨てられることを恐れる必要はないのだ。
「……クロム? 大丈夫? なんかちょっと怖い顔してるけど
「え、あっ、ううん。なんでもない!」
「そ、ならいいわ。でもあんまりゆっくりしてると授業始まっちゃうわよ」
「だね。急いで食べちゃわないと」
そう言ってクロムは資料を封筒にしまい、食事に手をつけ始めた。
そもそも、今回はあくまで学生に紛れ込むという形で、万が一の事態に備えて待機しているだけの仕事だ。
武闘大会本番は自分たちよりもランクが上の人達が警備に当たるわけだから、それほど気負う必要はないだろう。
それに同じ敷地内にいるからといって、実際にギリウスと対面するとは限らない。
そう自分に言い聞かせるようにして思考を止め、箸を進めるクロムだった。
♢♢♢
ブルームキャンパス南東。
冒険者ギルドが所有する訓練場によく似た、攻撃魔法を行使しても良い施設の一角で、クロムとルフランの二人は授業を聞いていた。
数十人近くの学生がいたのだが、その中でも特に背が小さく幼なげな二人は少し目立ってしまい、直接声をかけられる事こそなかったものの、二人の存在について疑問を抱く声が小さくも聞こえてきた。
そもそも二人はこれまでの授業には一切参加していなかったので、あんなヤツらいたっけ、と不思議に思われるのも仕方がないだろう。
そんな居心地の悪さに耐えながら待っていると、開始のチャイムと共に授業が始まった。
どこからか、まるで刺すような視線を感じながらも二人は人生初の授業を体験する。
「――ここまでが前回までの復習だ」
(……分かりきってたけど何一つ分からなかった!)
黒を基調とした教師用のローブを纏った男が、延々と火属性魔法の極意について語っていたのだが、クロムには当然何が何だかさっぱり理解できず、眠気すら覚えていた。
一方で隣のルフランは、クロムとは別の退屈さを覚えていた。
(……何か学べるかなって思ったけど、期待してたものとはちょっと違ったわね)
難しい顔をしながら、やや厳し目な視線で教師を見つめるルフラン。
そして二人は教師の話に一区切りがついたのを確認すると、顔を見合わせて頷いた。
もうこの授業はいいや、と。無言ながら二人の意見は一致した。
早速隙を見て抜け出そうと思っていると……
「さて、皆、当然各自で反復し身に付けていると思うが、これから早速その成果を見せてもらう」
(えっ!?)
学生達がざわつき始める。
話を聞くだけならクロムでもできるが、実技となれば話は別だ。
クロムは上級魔法はおろか、下級魔法の一つすら使えないのだから、万が一指名されようものなら本当に困ったことになる。
一刻も早くこの空間から抜け出さなくてはと焦っていると――
「ではまず手本を見せてもらおうか。ギリウス・ジーヴェスト。できるか」
「えぇ、もちろんです」
「――ッ!」
その名前を聞き、クロムは硬直した。
教師の指名を受けて前に出てきたのは、己の脳に焼きついた忌まわしき記憶の中の男だった。
長い金髪の美青年。されどクロムはその男の醜悪な本性をよく知っている。
自信に満ち溢れた堂々とした立ち振る舞いで前に出たギリウスは、己が杖を手に取り、高々と構えた。
そして深く息を吸い込み、ゆっくりと集中力を高めていく。
「
魔法名の詠唱が完了すると共に彼の足下に炎のサークルが生み出される。やがてそれはゆっくりと大きくなり、火龍の形をなし、ぐるぐると渦巻かせてからまっすぐ直進させた。
それはまるで本物の龍の如き迫力を持ちながら突き進み、やがて人型の模型に迫り、着弾する。
直後、激しい爆炎を引き起こし、その威力の高さを皆に知らしめる。
「――ふ、いかがでしょう。先生」
「……うむ。見事な魔法だ。威力、精度共に良くできている。だが……いや、何でもない。素晴らしかった」
「くくっ、当然の評価だな」
その言葉と共にまばらな拍手が起こった。
クロムとの戦いでは簡単な初級魔法しか使わなかったが、ギリウスは元々才能に満ち溢れた優秀な魔法使いの種。
改めてその力を見せられたクロムは複雑な気持ちを抱くものの、不思議と恐怖などの感情を抱くことはなかった。
いつもルフランの魔法を見てるから感覚がおかしくなったのかもしれない。
「では次は……む、そうだな。そこの君。出来るか」
「……へっ、あたし!?」
そんなことを考えていると、教師は何故かルフランを指名し実演を要求してきた。
驚くルフランに対して無言で頷き、前に出てくるように促す。
学生達の視線が一斉に二人に集まり、とても逃げられるような状況ではなくなったため、ルフランは仕方なく前に出る。
そしてやや困惑気味のルフランに小声で教師が話しかけた。
「君だろう? ギルドから派遣された凄腕の冒険者というのは。せっかくだから学生達に手本を見せてやってくれないか」
「……それはいいけど、魔法が使えるのはあたしだけよ。クロムには振らないでちょうだい」
「ああ。分かっている。君なりに今のを見て足りないと思うものを補って見せてくれればいい」
「……分かったわ」
教師の要求に対し、ルフランも小声で返答した。
彼はルフランの事を噂で聞いて知っていた。曰く、火属性、爆破属性に特化した天才魔法使いであると。
ならばきっと、今のギリウスの魔法に不足していた最も重要な要素を示してくれるだろう。
そんな期待を込めて彼女を見守る。
「くく、先生。彼女はどうやら自信がないようですね。無理もない。
「うるさいわね。黙って見てなさい」
「――なっ!? キサマ……」
ルフランの攻撃的な返答に怒りを示したのか、ギリウスが声を荒げようとするも、その声は発する事なく喉に押し込められた。
ルフランは軽く息を吸うと、彼女の体は大地の重力から緩やかに解放され、自然とその身を空に預けた。
そして一言、その魔法の名を口にする。
「
魔法名の詠唱が完了すると、彼女から放たれた炎が急速に複数の龍の形を成し、一呼吸のうちにそれらが一斉に解き放たれた。
そして十近くの火龍が、恐るべき速度で対象となる人型模型に喰らい付き、炸裂した。
驚くべきはその威力であり、複数の付与魔法により限界まで耐火性が高められたその人型の模型は、煙が晴れる頃には粉々になっていた。
「――これでいい?」
「なっ……バカなっ……」
自らが自信満々に使用した魔法とはまるで別物。
とても同じ魔法を行使したとは思えない異様な光景に、ギリウスは言葉を失っていた。
直後、先ほどよりもはるかに大きな拍手が巻き起こる。
「ああ。文句のつけどころの無い完璧な魔法だった。ありがとう、下がっていいぞ」
期待通り……否、期待以上ものを見ることができた教師は、満足そうにルフランに礼を言った。
そして不満そうに顔を
(……今のお前に足りないのは魔法発動までの速度、そして回避を想定した2手先3手先の用意だ)
ギリウスが使用した魔法。
それは学生という区分では十分優れた魔法だ。
お手本通り丁寧に、確実に
だが、実戦であんな魔法が通用するはずがない。
あんなに発動に時間がかかり、龍が進む速度も遅すぎる。
あんなのは敵から見たら防いでください、避けてくださいと言われているようなものだ。
その点、ルフランの魔法は完璧だった。
魔法の高速発動、複数起動による実践的な魔法。
威力、精度、速度ともに文句の付けようがない。
もし今後彼らが実践の場に出て戦う魔法使いになる道へ進んだのならば、今のギリウス、そして他の学生たちが扱う魔法の評価は大きく異なる事だろう。
だが残念ながら、この学園では――いや、この国においては、どれだけ魔法を極めるか、ではなくどれだけ多くの魔法を扱えるかが最も重視される。
その都合上、彼はギリウスのことを正しいと認め、誉めなくてはならないのだ。
(これが少し良い刺激になってくれれば良いのだがな)
そんなことを思いながら、やや照れくさそうにクロムの下へ戻るルフランの背中を見つめていた。
一方で、
「いやぁ、凄かったねえ今の
「……くだらん。あんな乱暴な魔法、美しさのカケラもないではないか。あんなのが私の魔法より評価されるなど……認めん、認めんぞ」
「あー……こりゃ聞こえてないな。しっかしあの二人一体何者なんだろ。面白そーだから後で声かけてみよっと」
ぶつぶつと静かに怒りを溜め込むギリウスを片目に、ルフランとクロムの二人を愉快そうに見つめるアドニス。
彼の興味は既に親友から見知らぬ新人二人へと移っていた。
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