恋の水蒸気爆発

まきや

第1話



「このたち、やっぱとうといわぁ」


 俺の心と瞳はMyTubeマイ・チューブの動画に釘付けになっていた。


 映っているのは落石坂RSS48のPVプロモーション・ビデオ。それも今日発表された新曲の為に作られたプレミアムお披露目映像だ。


 特にセンターとその両脇にいる2人の女の子が、推し中の推し。3人とも好き過ぎて、誰かを選べと言われても答えられない。


 ベッドのヘッドボードに背を預けながら、俺は手だけでボックスティッシュを探し当てた。


 興奮した俺には、絶対にこいつが必要だった。


 いや、違う。


 待ってくれ。


 ほんと頼むから。


 変な想像をしないで欲しい。


 俺は特殊な人間なんだ。本当に。


 だからその目は止めてくれってば。嘘じゃない。


 歌でも、小説でも、映画でも。


 俺はその存在が『尊い』と感じると、鼻から血が出るんだ。


 いわゆる鼻血ってやつだ。それも感動の大きさに比例して出血量が増える。


 この前もデパ地下でうっかり餃子を試食したら、あまりの旨さに床が血まみれになった(販売応援の店員がパニクったのは言うまでもない)。


 普段から気をつけるようにしている。だが大ファンである落石坂のPVとなったら絶対にやばい。耐えられない自信がある。


 尊さは血しぶきと化して吹き出し、自分の部屋を血まみれにする自信がある。


 はたから見たらただの変態だが、この熱い液体は俺にとって、尊いものに捧げる聖なる供物なのだ。


 座ってくれ。頼む。もう少しだけ付き合ってくれ。



「ママー、お兄ちゃんの部屋がうるさーい! 何か女の人の声がするー!!」


 不肖ふしょうな妹よ。俺の崇高な時間を邪魔するんじゃない!


「マサフミ、レンタル屋で変なビデオ借りてくるんじゃないの! ミカの教育に悪いでしょ!」


 昭和生まれの母よ。これはスマホだし観ているのはサブスクだ。それと変な想像は止めてくれ。


 いかん! 映像に集中しなくては。


 俺の焦りを洗い流すように、アイドルたちは画面せましとダンスを披露してくれる。


 PVが中盤を迎えると、メンバーのズームショットが中心になってくる。いわゆるファンサービスというやつだ。


 センターの『石灰岩ライム』。ショートカットの健康的な笑顔が万人を魅了する。


 右の鼻から大量の鼻血が流れ出た。俺はティッシュを棒状にして押し込んだ。


 センター右をつとめる『火山岩シリカ』。切れ長の特徴的な目に射止められるファンは多い。


 あふれる想いはひとつの穴では収まらない。左鼻からも熱い血しぶきがほとばしる。


 左でジャンプする子は『変成岩シスト』。天然さではお馬鹿タレントを超える素質を持つくせに、ときおり見せる知性とのギャップがたまらない。


 凄すぎる。このPVは伝説になるだろう。俺の感動はもう薄い鼻紙だけでは押さえきれない。


 枕が、シーツが、毛布が、俺の寝場所が真っ赤に染まっていく。


「ママー! お兄ちゃんの部屋から、変な臭いがするんだけど! なんか生臭いっていうか、鉄臭いっていうか」


 母親が血相を変え、俺の部屋のドアを叩いてくる。


「ちょっと、マサフミ! 開けなさい! あんた真っ昼間から何してるの!」


 昭和の母よ。なぜに我が息子を信じられぬのか。


 彼女いない歴25年、ニート歴3年の長男だからといって、昼間からそんな元気ないわ。



 ベッドの上の血溜まりに座りながら、俺は絶頂の時を迎えようとしてた。


 新曲PV『恋の水蒸気爆発』の再生時間が、残り30秒を切った。この神聖なプロモージョンは、どんな最後を迎えるのだろう。


 それまで背景だったCGの火山が、いきなり爆発した。水蒸気が作り出した霧のカーテンがセンターの3人を隠してしまう。


 シルエットだけになった推したちの仕草を見て、俺は思いっきり鼻を押さえた(もう手遅れだが)。


 ぬ、脱いでいる! どうみても衣装を脱いでいる! これはまずい! 聖なる尊さが妄想に侵食されていく。


 そのままでも十分に刺激的な赤のジャケットが空を舞い、超ミニのスクール調スカートが地に落ちる。


 霧の裏で何かが起きている……とんでもない事態が起こっている!


 一度しか押せないと知りつつ『いいね』ボタンを連打する血だらけの指が止まらない。


 残りはあと10秒。水蒸気はどんどん風に流されていく。3人の全てが白日の元にさらされる時がやって来る!!


 もう追加のティッシュなどいらない。手で鼻を押さえなくても構わない。俺の視界は歓喜の涙と鼻血の赤に覆われた。


 霧が完全に晴れた。


 映し出されたのは、ライム・シリカ・シストの体を隠す巨大なパネルと、そこに書かれた手書きの文字だった。


『この続きは握手券付きのDVDでね(ハート)』


 ショックのせいか、出血多量のせいか。


 俺は池となった尊い血溜まりに、前のめりにぶっ倒れた。





(恋の水蒸気爆発     おわり)

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恋の水蒸気爆発 まきや @t_makiya

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