第39話 天使の決意
ここ数日で、随分天使との仲に進展があったと思う。
連絡先も交換したし、互いの部屋の合鍵を渡し合った。
だからどうというわけでもないが、信用されていると考えていいくらいの関係性にはなったと言える。
……しかし困ったことがある。
最近の天使が可愛く見えてしまう。
別に急に彼女が色気づいたとか、化粧して化けたとかそんな話ではなく、彼女は彼女、いつも通りのつんけんした天使様なのだがどうも時々見せる照れ顔にドキッとしてしまう自分がいるのだ。
「何?人の顔見てボーっとして」
「す、すまんなんでもない」
「ていうか今日は薄着だからあんま見んな」
「あ、ああ」
今日は特に暑い。
学校も夏服に衣替えとなったが、天使は相変わらず長袖の上に上着まで着て登校していた。
しかし放課後、家に帰ると半袖のTシャツ姿に着替えて俺の部屋でテレビを見ている。
腕の傷は痛々しくはっきりと残っており、彼女に巻きつく蛇のように見えるほどである。
そんな傷を隠さずに俺のところに来るというのも、信用されているという証なのだろうか。
「傷、気になる?」
「……もう痛くはないのか?」
「うん、別に。特にトラウマとかもないし」
「そっか。でも治らないものなのかそれ」
「さぁ。お金ないし」
「そいや明日から早速バイトだろ?頑張れよ」
「売上貢献しにきなさいよね」
綴さんの働くコンビニの面接に行った天使は、その日のうちに採用してもらい明日からバイトを始めることになった。
店長さんや他の従業員は美人な天使が来たと大喜びだったそうで、その様子をあとで綴さんにラインで教えてもらった。
しかし綴さんが教育係を買って出てくれたことと、天使もバイト経験者ということもありスケベな男の毒牙にかかる心配はとりあえずはなさそう。
最も、セクハラなんかしたら天使の根性焼きにでも遭いそうだけど……
「明日からバイト、十時までだから晩飯係はあんたね」
「なんでだよ。廃棄とかもらってこいよ」
「コンビニ弁当って好きじゃないの」
「俺の手料理の方がマシってわけか」
「……まぁ」
また。天使が少し照れた顔をする。
それを見て俺も照れる。
少し沈黙が続いた後、プロ野球中継が始まったところで天使が口を開く。
「あーあ、私も優等生貫いてプロ野球選手とでも結婚するつもりだったのに」
「女子アナにでもなるつもりだったのか?」
「なんでもなれるでしょ勉強すれば。でももう無理ね。体の傷は癒えないし学校でも空気になっちゃったし」
胡坐をかく彼女はやれやれと言った表情を浮かべて首を振る。
「まぁ、金や名誉だけが幸せじゃない、だろ」
「それが言えるのは若いうちだけよ。結局金があればたいていの事は解決するんだし」
「じゃあ金持ちのおっさん見つけて結婚すればいいだろ」
「いじわる……」
「は?」
「いい。試合始まるから静かにしてて」
今度は膝を抱えて座り直す。
テレビを睨むように見つめる天使の話しかけるなオーラはすさまじく、俺は一人でベッドに寝転がり携帯を触る。
時々、びくともしない彼女の方を見てはまた携帯に目を戻す。
一時間くらいそんな空気が続いたが、やがて天使がこてっと横に倒れる。
「お、おい」
慌てて駆け寄ると、どうやら眠ってしまったようだ。
スース―と、寝息をたてながら気持ちよさそうな表情を浮かべている。
こいつって普段寝不足なのかな?
ほんと、どこででもすぐ寝るやつだ。
しかしその無垢な寝顔がまた愛らしい。
腕の傷とは対照的に綺麗な顔には傷一つなく、無防備な彼女を見ていると少しだけ変な気分になってくる。
……俺の事、男として見てはくれていないのかな。
そんなことを考えてしまった自分に気づき首を振る。
わかりきったことだ。こいつは俺に気を許してくれているとはいえ、間違いを起こすような関係ではない。
いや、もし俺が勘違いを起こして彼女に迫ったらこの関係も壊れてしまうかもしれない。
それが怖い。
……だからそっとしておこう。
俺は気分を変えるために部屋を出た。
そして寝起きの彼女の為にと、なにかさっぱりするデザートでも買ってきてあげようと、コンビニに向かう。
「いらっしゃいませ。工藤君、明日から天使ちゃんによろしくって伝えてくれた?」
綴さんは今日も元気に仕事を頑張っていた。
俺は挨拶を済ませてから、ゼリーを二つレジに持っていく。
「あれ、二つもどうしたの?あ、天使ちゃんと食べる分だ」
「あいつのことよろしくお願いします。ああ見えて気が弱かったりするので」
「はいはい。うちの男はみんな独身で飢えてるからね。私が守ってあげるわよ」
「頼りになります。でも今週旅行でしょ?」
「そうなんだよねぇ。だからその間は店長に任せる。てんちょー」
綴さんが呼ぶと、奥から店長と書いた名札を付けたおじさんが出てきた。
「店長の
「おい、こう見えては余計だよ。この子は?」
「明日から入る天使ちゃんのお友達。うちの常連さんだよ」
「ああ、それはそれは」
カウンター越しに、物腰低く頭を下げる店長さんは顔をあげると同時に俺の目を見る。
「な、なんですか?」
「天使ちゃんとは付き合ってるのか?」
「へ?いや違いますけど」
「そうか。でも彼女が言っていた頼りになる人って君だろ?」
「は?」
面接の時。天使は自分の事を洗いざらい話したようだ。
その時に、どうやら頼りになる隣人が云々と話していたようで、どうやら話の内容的に俺のことのようであるがにわかに信じがたかった。
「……お世辞、ですよそれ」
「そうは見えなかったけどなぁ。ま、時々様子見に来てあげなさい」
「営業上手ですね」
「はは、君は高校生らしくないなぁ」
無精ひげの、髪もボリュームが無くなってきたようなおじさんになりかけのお兄さんといった感じの風貌の彼だが、人柄は良さそうだ。
ここなら天使のことも心配ないだろう。
俺は二つのゼリーをもって家に帰る。
帰り際に店長が親指を立ててこっちにグッとしてきたのはよくわからんが、今の孤独な天使にはちょうどいい仲間ができるのではとほっとさせてくれた。
部屋に戻ると、天使がその物音で目を覚ました。
「ん……寝てた?」
「ああ、ぐっすりな」
「……えっちなことしたでしょ」
「するかよ」
「いくじなし……」
「は?」
「それ、何?」
俺の下げたレジ袋を見るなり、彼女は欲しそうに中のものを気にする。
「ああ、ゼリーだ。食うだろ?」
「食べる……でも、あのギャルのところ行ってたんだ」
「あそこしかコンビニがないからな」
「何か聞いた?」
「ああ、店長さんが出てきて明日からよろしくだってよ」
「あのおっさん、なんか言ってた?」
「……別に」
本当はこいつが店長さんに何て話したのか訊いてみたかったがやめた。
どうせ訊いたところで認めないし怒らせるだけだろう。
黙ってゼリーを食べてから、天使も疲れたのか部屋に戻るというので見送ることにした。
「じゃあ、明日また」
「変な寝方したから肩凝ったわ」
「寝不足なのか?たまにはゆっくり寝とけ」
「そうね」
そして玄関を開けて出て行く時、最後に天使がこっちを見ることもなく一言だけ、はっきりと言った。
「私、あのギャルに負けないから」
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