第40話 働く天使

 記念すべきなんて言い方をすれば天使に怒られるだろうが、今日はあいつがバイトを再開する初日である。


 昨日、最後に彼女が言い残した言葉の意味はよくわからなかったが、綴さんに負けないくらいの気持ちで仕事をするというかそんな意気込みを語ったのだろう。


 その証拠に、今あいつは夜のコンビニでせっせと仕事をしているわけだが顔が真剣そのものである。


「いらっしゃいませ……ってなによ」

「おい、客にむかってそれはないだろ」

「じゃあ何か買いなさいよ。立ち読みすんなし」

「……最悪な店員だな」


 様子を見に来てやったというのに、ぎろっと睨みつけられるものだからたまったもんじゃない。


 しかし他の客に対しては見たことないような笑顔で対応していたのでほっと胸をなでおろす。

 天使様時代の演技力は健在、というわけか。


「やほ、工藤君。天使ちゃんの様子が気になるの?」


 少しだけ立ち読みをしてから帰ろうと思っていると掃除中の綴さんが声をかけてくれる。

 つくづく、綴さんと天使は対照的な人間だなと、二人が同じ制服に袖を通して改めてそんな感想を抱く。


「うちの制服でも天使ちゃんが着たらかわいいよね」

「いやいや一緒でしょ」

「でもさ、さっそくお客さん何人かに言い寄られてたよ?」

「そ、そうですか」


 あの容姿だから当然と言えば当然だ。

 そしてちょうど俺が立ち読みをしている時にも一人、大学生っぽい男から声をかけられていた。


「君、新人?めちゃくちゃ可愛い!ねえ何時あがり?」

「すみません、シフトの話は社外秘なので」


 天使はにっこりとかわす。

 しかしこういう時に声をかける勘違い野郎に空気を読めという方が難しいのか、その男はしつこい。


「じゃあ店の前で待ってるよ。おわったらドライブいこう!」

「いえ、お断りします。私、明日も早いので」

「うちで寝たらいいじゃんか。家、近くなんだ」

「……すみません他のお客様の」

「ねぇねぇ」

「おい、いいかげんにしろ!」

「!?」


 天使が吠えた。

 その声を聞いて慌てて綴さんがレジの方へ戻る。


 こっそりその様子を見ると、男性客はビビるように小銭をレジに置いて商品をもって逃げていった。

 

 入り口まで行きぺこぺこと頭を下げる綴さんとは対照的にふんぞり返り、二度と来るなと言わんばかりに睨みつける天使はやはり綴さんとは真逆の人間だな。


「て、天使ちゃん。い、一応お客様だから」

「あんなの客じゃないし。営業妨害ですよ」

「そ、そうだけど……」


 綴さんもさすがに説教するまではいかない様子だったが、こんなことでやっていけるのかと俺は内心不安になった。

 しかし、ちょうど出勤してきた店長さんがその様子を見ていたようで、笑いながら二人に話しかける。


「いやぁ天使ちゃんいいねぇ。あんなナンパ野郎はバシッと言ってやった方がいいんだよ。もちろん、カナメちゃんみたいなフォロー役がいるから成り立つんだろうけど」

「すみません店長、あいつ生理的に受け付けなくて」

「ははは、正直でいいことだ。ちなみにどういう男が生理的に好みなんだ?」

「それセクハラです」

「む、そうだったな。はっはっは」


 どうやら話の通じる人のようでよかった。

 天使もすこし気まずそうな顔をしていたが、いい職場に恵まれたみたいだ。


 そんな従業員のやり取りに俺が入るのもおかしな話なので、さっさと店を出て先に一人で部屋に戻った。

 

 ベッドに横になると、天井を見上げながら考え事をする。


 なんだかんだで、天使は常に前を向いて進んでいる。

 綴さんたちもああして働いて、大人になる準備を整えている。

 あの店長さんだって、生活の為に今から朝まで仕事をするわけで、みんな自分の為に何かを頑張っている。


 ……俺は、一体何をしているんだ?

 親に甘えて立場に甘えて何もしていない。


 ただ、このまま大学に行ってそこでも色んな人に甘えて適当に社会人になって。

 ……本当にそんな生き方でいいのか。

 いや、もっとやるべきことがあるだろう。

 しかしそれがなんなのか。はっきりした答えも出せないまま眠りについていた。


 

 翌朝、天使が来ないことに違和感を覚えて合鍵を使って彼女の部屋に行った。

 するとグーグーと眠る天使と、ベッドの下にはビールの空き缶が数本。


 晩酌しやがったな?


「おい、朝だぞ起きろ」

「ん……体だるい」

「飲むからだ。まだ週末じゃないぞ」

「だって……帰ったら寝てた」

「は?まぁ昨日は俺も早く寝てたけど」

「飯作って待ってるっていったのに……」

「言ったかそんなこと?」

「知らない、寝る」


 もう一度布団にもぐりこもうとする天使の布団を引き剥がすと、彼女が下着姿だった。

 慌てて布団を天使に投げてから目を背ける。 


「うわっ。す、すまん」

「……寒い」

「い、いいから服着ろよ」

「こんな体だから色気も何もないでしょ」

「そういう問題じゃない」

「はいはい。もう目、覚めたわよ。着替えるからあっち向いてて」


 一瞬だったが、彼女の下着姿の全身が目に焼き付いている。

 見たことのある上半身の傷はやはり酷いものだったが、彼女の足はとても綺麗で細く、つややかだった。


「はい、着替えたわよ」

「お、おう」

「あー、眠い。なんか頭痛いし」

「だから酒飲むなよ。禁煙した意味ないだろ」

「じゃあ今日はちゃんと起きてろ」

「……わかったよ」


 今日も学校は相変わらず。

 天使と登校して、ワーワーとミーハーな連中に俺が話しかけられて。

 そんな何もない日常ですっかり天使様でなくなった彼女も落ち着きを取り戻している様子だった。


 少し眠そうだし酒臭い気もするが。


 しかし、順調に物事が進まないのはいつものこと。

 サッカー部の小林先生から呼び出された俺は、またしても勧誘を受ける。


「なぁ、この前の筒井たちとの試合見てたけど怪我はもう大丈夫なんじゃないか?」


 教官室で、小林先生は嬉しそうに話す。

 この人は俺が戻ってきたらサッカー部が強くなる、というよりは俺自身の事を考えて復帰を勧めてくれていると、それだけはよくわかる。


 しかし


「あれは試合とは呼べませんね。それに筒井たちとチームプレーはできません」


 と俺は彼の提案を一蹴する。


「まぁ、そうだよな。しかしいくら工藤君でもクラブチームで活動するにはお金もかかるし難しいだろ。やっぱり」

「サッカーだけが俺の道じゃないので」


 初めて。そんな言葉が口に出た。


 今まではサッカーが俺の全てで、それを失った俺には何もないと思い込んでいたが随分と変わったものだと我ながら笑いそうになる。


 そう、何もそれだけが道じゃない。

 他にやれることもやるべきこともたくさんあるはず、だ。


 そんな話をして小林先生もあきらめ気味に俺を解放してくれた。

 申し訳ない気持ちは多分にあったが、まだ気持ちの整理がつかないままあの部活に戻ってもトラブルの元だろう。


 これでいいんだと、教官室を出たところで俺は顔も見たくない奴との再会を果たす。


「よう」


 東、だ。

 復学したのか?そんな噂は聞かなかったけど。


「……」

「おいおい、人気者は違うなぁ。無視かよ」

「なんの用事だ」

「いやいや、明日から復帰するから是非よろしくと思ってね。あと、サッカー部に戻る気はないのか?」

「なんだと?」


 一番あり得ない奴から一番あり得ないことを言われて、俺は心底戸惑った。

 東が俺に復帰を勧める?どういう要件だ。


「何が目的だ」

「おいおい、俺はお前の実力を認めたうえで言ってるんだ。うちもこのままじゃ全国に出れないしさ」

「お前、自分が何言ってるのかわかってんのか?」

「お前こそ口の利き方気をつけろよ。お前の彼女、どうなっても知らないぞ」


 醜悪な笑みでこちらを見る東の性根は、結局停学前と何一つ変わってはいない。

 あの理事長も相当甘いのだろう。吐き気すら覚えるほどにこいつの笑顔は汚い。


「彼女じゃない。でも、あいつに手を出すなら容赦しない」

「お、かっこいいねぇ。さすがだ。ま、考えといてくれよ」


 ポンと俺の肩を叩くとそのまま東は教官室に入っていった。

 

 完全に目がいかれてる。

 多分親のコネも使えなくなってやけになっているのだろう。


 ……しかし俺があいつとサッカーを?

 バカ言うな。

 

 昼休みになってもイライラがおさまらず、一人で屋上へ行った。

 寝そべって空を見上げた。

 誰もいない、この広い屋上を独占しているような気分は少し居心地が悪い。


 そんな時、天使からラインが来た。


『今どこ?』


 と聞かれて屋上と答えると、すぐに天使がやってくる。


「なにしてんのよ」

「いや、別に」

「東、復帰するんだってね」

「ああ、聞いたのか」


 天使は会話の途中で浮かない顔をした。

 やはりあいつが戻ってくるのが嫌なのだろうか?


「どうした」

「あいつが戻ってきたらあんた、またサッカー部戻れないじゃん」

「ああ、そんなことか。もういいんだよ、先生にも断ったし」

「でも」

「いいって。それより、今日もバイトだろ?夜、何食べたいんだ」

「……ハンバーグ」

「わかった」


 心配してくれていたというわけか。

 ……ちょっと嬉しいな。


「ねえ、そっち行っていい?」

「ああ、どうしたんだ……っておい」

「いいでしょ。風、強いんだから」


 天使が俺の肩にもたれかかってきた。

 時々吹く強い風になびく赤い髪が俺の体を滑る。


「……俺は大丈夫だから」

「別に、心配してない」

「あ、そ。まぁお前の仕事っぷりの方が心配だな」

「うっさい死ね。死ね死ね死ね」

「死なない。俺はやりたいことを見つけるまで死なない」

「……ばーか、かっこつけんな」


 自然に。そっと天使の肩を抱き寄せた。

 そのまましばらく、二人で屋上の景色をじっと見つめる。


 不思議だ。

 なんでいつもと同じようにこいつと二人でいるだけなのに、こんなにも緊張するのだろうか。


 胸の動悸がおさまらない。

 体が熱い。


 ……そうか。


 俺、こいつのことが。

 

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