3-3



「ピィー! ピィピィピィィィ!」

 朝日に照らされながら、アールが結界の周囲を走り回っている。

 その様子を眺めながら、レイラは本日のそうに追われていた。

 フレイルの足元がふんよごれていたので、近づいて片づける。その際前足を振り上げられたが、レイラはばやく避けた。

(体が軽いですね)

 昨夜、気づけばレイラは眠ってしまっていた。目を覚ましたときにはアールはもう起きていて、クラウスもいなかった。

 ぐっすりと寝られた自覚はある。だがこの体の軽さの理由はそれだけではないと、レイラはなんとなく察していた。

(きっと……団長のおかげ)

 アールに与える生命力が分散されたに違いない。今朝からアールは元気いっぱいだ。

 レイラも、ここ最近感じていただるさがなくなっていた。

(団長には申しわけないですが……正直これは助かります)

 気持ちとしてはアールの面倒は一人で見る気満々だ。だが体力が追いつかない以上、クラウスの協力はひっだろう。

(とはいえこれからもアールが眠るまで一緒は狭いですし……いっそ……)

 考えをめぐらせていれば、カルムが甘えるように擦り寄ってきた。

「おはようございます、カルム」

「キュウ」

 鼻を鳴らして応えるカルムが笑っているようにも見えて、レイラもしょうを返す。

(全員一気に慣れるというのはぼうでした。であれば、まずは一頭ずつ)

 一晩寝て思考はリセットされた。どれだけクラウスが嫌がったとしても、レイラの仕事は変わらない。

(カレンベルク様も協力してくださると仰っていましたし)

 クラウスとアノンには一日も早くドラゴンに慣れてもらいたい。

 その交流内容を考えながら、レイラはカルムの体を撫でるのだった。



 クラウスとアノンがやって来ると、レイラが声をかけるより先にアールが反応した。

「ピィ!」

「うわっ」

 クラウスの足に飛びつき、すりすりと頰を寄せる。

「ピィィ」

「放せ! おい!?」

 引き剝がそうとするクラウスだが、アールはひっしと摑んで離れない。

 むしろキラキラした目をクラウスに向けて「ピィピィ」と甘えたように鳴く。

「放せ! この!」

「えー、クラウスいいなー。アール、オレのとこにも来ない?」

「がうッ!」

 アノンがアールに両手を伸ばしたが、案の定嚙みつかれそうになっていた。

「くそ〜、甘えたい期かと思ったのに!」

 その様子を見て、もしかして、とレイラは思う。

「昨夜、団長と一緒に過ごしたから、余計に甘えているのかもしれません」

 足を振ってアールを落とそうとするクラウスを横目で見やりながら、レイラはアノンに気になっていたことを尋ねる。

「そういえば団長、特に変わった様子はありませんでしたか?」

「レイラちゃん、それどういう意味?」

「アールと一緒にいたことで、団長もつかれたのではないか、と」

 レイラの体は軽くなったが、それはクラウスにも負担がかかったということだ。

「確かに、今日一日眠そうだったかも」

「やっぱり……。アールがずっとくっついていたからかもしれませんね」

「え、もしかしてあいつ、アールと一緒に寝たの?」

「はい。あと私も一緒に寝たので狭かったのではと」

「えっ!?」

 アノンがとんきょうな声を上げる。

「クラウス、お前」

「おい、何をペラペラと余計なことを! こうりょくだ! それにお前が想像しているようなことは断じてないからな!」

 ぜえはあと肩で息をしながら、こちらの話を聞きつけたクラウスが怒鳴った。

「いい加減離れろ!」

 子どもといえど、さすがドラゴンである。アールはくっついたままだ。

「ピィッ!」

 断固拒否! のアールを見ていると、昨夜無理やり引き離そうとしなかった結論は正しかったと思えた。もしそうしていたら、今頃ろうと寝不足で倒れていたかもしれない。

「昨夜もあの通りで……。アールが寝たあと移動するつもりだったのですが、つい……」

「レイラちゃんは眠れたの……?」

「はい。朝までぐっすり」

 申しわけなさにまゆじりを下げながら答えると、アノンが思いきりき出した。

「カレンベルク様……?」

「はいはい、そういうことね。うん、OK、分かった。あいつ、意外とヘタレだからな」

 どうしてアノンが肩をふるわせてまで笑っているのか分からず、レイラはなんともいえない表情をかべるばかりだ。

 ひとしきり笑ったあと、アノンは涙の浮かんだ目でレイラを見る。

「気にしなくてだいじょう。騎士って体力だけはあるから。で、今日はどんな予定? 昨日と同じ?」

「おい、先にこいつを」

「いえ、今日はやり方を変えようと思いまして」

「おい!」

「こちらへ」

 二人を結界内へ案内する。クラウスは舌打ちし、仕方なくアールを足にくっつけたままあとをついてきた。

 ドラゴン達を外に出さないための結界ではあるが、アールは通れるようにしてもらっている。ちなみに特定のドラゴンを外に出したいときは、術具を操作すればできるようにもなっていた。

「こちらから先は行かないようにしてください。フレイル用にもう一つ結界を張っていまして、ここまでであれば、あの子から攻撃を受けることはありません」

 フレイルが自由に動けるだけのスペースを確保しつつ、ギリギリまで近づけるようにする。クラウスとアノンが帰れば解除する予定だ。

 フレイルがおとなしくなるまでは、しばらくこのやり方をためすつもりでいる。

「カルム」

 すみで草をんでいたカルムへ、レイラは歩み寄った。

「キュ」

 近づいてくるレイラ達を、カルムはなごやかにむかえてくれる。

「団長にはまず、この子と仲良くなっていただきます。勝手ながら昨日、団長が魔物を嫌う理由を聞かせていただきました」

 レイラの報告に、クラウスがギロッとアノンを睨みつけた。誰がレイラに言ったのか、すぐに察しはついたらしい。

「理解もなっとくもできました。ですがやはり、貴方が竜騎士団団長である以上、ドラゴンとの触れ合いを拒否するのは、職務たいまんであると思われます。術具なしで竜騎士団としての活動を促すのが私の仕事であり、そのためには、団長とドラゴンの交流は絶対です。カルムは私やカレンベルク様にも慣れていますし、団長にも心を開いてくれると思います。歯向かわなければ問題ないんですよね?」

 歯向かえば容赦はしないと言ったセリフを逆手に正論で論破され、クラウスは反論ができないようだ。押し黙っている。

「術具があればドラゴンに乗れる、ということは、彼らに触れること自体は問題ないということでもあります。なのでまずは、カルムから」

 カルムを手招きし、クラウスの前へ連れていく。

「キュウ」

「っ」

 がおで近づいてくるカルムから、クラウスはあと退ずさろうとした。が、そんなクラウスをアノンがめにする。

「アノン!?」

「やー、これも大事なお仕事だし」

「てめっ」

 アノンの腕から逃れようとするクラウスだが、アノンも負けてはいない。

 身動きのとれないクラウスの手に、カルムが自ら頭をり寄せる。

「おい! やめろ! 命令だ!」

「聞こえませーん」

「私も、おいという名前ではありませんので」

「お前ら……ッ」

 ギリッとみしたクラウスが「あとで覚えてろよ……!」と低く吐き捨てる。

 カルムは嫌がるクラウスを特に気にしていないようだ。くんくんと匂いを嗅いだり、にぎったこぶしを舐めたりしている。

 クラウスが小さく悲鳴を上げるが、案外すぐにほだされるのではないか、とも思われた。

「ピィィィ!」

 アールがさけび出すまでは。

「アール!?」

「ピピッ!」

 驚くレイラの前で、アールはよじよじとクラウスの足を伝い、腹部まで移動する。そしてカルムに向かって「がうっ」とえた。

「ウゥ……ッ」

 唸るアールを、カルムはしばらくの間見つめていた。が、不意にクラウスから離れる。

「アール? カルム?」

「ピィ……!」

 首を左右に振りながら、アールがクラウスにぎゅーっとしがみつく。

「……あ」

 こんわくして無言だった中、まず口を開いたのはアノンだ。

「もしかしてアールさ、クラウスのことカルムに取られるって思ったんじゃない?」

 アノンの仮説に「え?」とレイラはきょとんとする。

「目の前でパパが他の子と仲良くしてたら、そりゃ嫌だよなー」

「誰がパパだ!」

 アノンはクラウスから手を放すと、カルムの元へ行き、撫で回し始める。

「カルムもそれが分かったからおとなしく離れたんじゃない? めっちゃかしこいじゃんね!」

「キュ」

 声を上げるカルムも、まさしく、と言いたげだ。

 さすがのクラウスも、そんな風に言われてしまうとアールを引き剝がしにくいらしい。されるがままになっている。

(どうしましょう……)

 まずはカルムと触れ合って慣れてもらいたかったのだが、アールがそこまで嫌がるのであれば強行はしたくない。かといってドラゴンとの交流をやめさせるわけには……。

「てかさ、ドラゴンに慣れさせるってのが目的なら、アールでよくない?」

 レイラがなやんでいることに気づいたらしいアノンが、そう進言してきた。

「アールだったら、クラウスもそこまで拒否反応ないっぽいし。代わりにオレはカルムと、あとあの辺りの子達相手にしてくんね。気になる子……ってか、オレはやっぱりずっと乗ってきた子と仲良くするところからかなって。水竜の……名前、クレードだっけ。いい?」

「はい、もちろんです」

「んじゃカルム、一緒に行こ」

「キュ!」

 アノンとカルムは、湖のところへ走っていく。

 その場には、レイラ、クラウス、アールが残された。

「では団長、そういうことですので」

「そういうって……」

「アール、おいで」

「ピィ?」

 いったん、レイラはアールとクラウスを離す。しがみついていたアールだったが、レイラが呼べばなおに従ってくれた。

 そのままレイラは、クラウスの腕にアールを抱かせる。

「ま、待て! 抱き方なんか分からん!」

ひじのところに頭をのせて、腕で背中を支えるように……」

 あせるクラウスにレクチャーする。

「……何故不格好なのでしょう……?」

 言う通りに抱かせたはずなのに、妙にバランスが悪い。肘が伸びすぎているのか、落とすまいと変なところに力が入っているせいなのか。

「俺が知るか!」

「まあ……大丈夫でしょう」

 騎士としてきたえているクラウスの腕は、アールを支えるのに支障はない。

「そのままおなか辺りを撫でてあげてください」

 しぶしぶと、クラウスがアールのお腹に片手を当てる。

「……ずいぶん腹が出てるな」

「子どもなのでこんなものだと思います」

 押し返してくるだんりょくに、クラウスはどこか不思議そうな顔だ。

「というより、それではさわっているだけです。撫でてください」

「……こうか?」

 指先をそろりと動かす。くすぐったそうにアールが身を捩った。

「動くな! 落ちる!」

「ピィ?」

「もっとアールを引き寄せてください。腕と、自分の胸で支えるようにして……あと撫で方ももう少し力強くていいです。子どもといえど、ドラゴンは強いので」

 重ねるようにして、クラウスの手のひらごとアールのお腹を撫でる。

 思ったよりクラウスの手は大きくて、レイラの手からはみ出していた。骨ばって硬いかんしょくは、アールや他のドラゴン、今まで触れてきたどの動物とも違っている。

「ピィ」

 さすられて、アールは気持ちよさそうにしていた。

「こんな感じです」

「っ……分かった。分かったから、もういい」

「本当ですか? 私が離したたんにやめませんか?」

「やめねえって! だから離れろ!」

 そこまで言われれば、離れざるを得ない。

 レイラの手が離れても、クラウスはアールを撫で続けた。その頰が赤いような気がするのは、抱くのに慣れていなくて無理でもしているからなのだろうか。

「いつまでするんだ、これは」

「もちろんアールの気が済むまでです。もしくは別のことで気を逸らしたり」

「別って」

「そうですね。最近だと、いないいないばあとか好きですよ」

「いないいないばあ……」

「知りませんか?」

「そういう意味じゃない」

 見本を見せようと、レイラはアールを覗き込む。顔を両手でおおって、ぱっと開く。

「ばあ」

「ピィッ」

 嬉しそうにアールが両手を上げた。

「ぶっ」

「……なんですか?」

 クラウスに噴き出されて、レイラは首をかしげる。

「いや、だって……お前、そんな無表情で……」

 くっくと笑いながら、クラウスが肩を震わせている。

 そんな反応をされてしまうと、さすがのレイラもなんだか恥ずかしくなった。耳が熱くなるのを自覚する。

「ア、アールは喜んでいるので。それか、団長が見本を見せてください」

「嫌だ」

「ほら、アールも期待して待っていますよ」

「絶対しねえ!」

 そんな話をしていたレイラは、ふと、遠くにいるアノンと目が合った。

 アノンはカルムと水竜クレードの二頭に囲まれながら、レイラとクラウスに向かって、ぐっと親指を突き立てる。

「いいふうやってんじゃん」

「違います」「違う」

 かんはつれず、レイラとクラウスは声をそろえた。


◇◆◇


 お風呂上がりで体をぽかぽかさせながら、アールは満足げにシーツに転がっていた。

「ピィ……」

 嬉しそうなのは、クラウスに思う存分構ってもらえたからだろう。

 その様子が微笑ましくて、ベッドにこしかけたレイラの表情もついほころんでしまう。

 そこに、クラウスが帰ってきた。

 彼は今日も、騎士館で食事や風呂、えを済ませてきたようだ。

「おかえりなさい、団長」

 ああ、と返事をしようとしたクラウスだったが、部屋の中を見た瞬間目を大きく見開く。

「なんだこれは!?」

「団長、いきなり大声を出すとアールが驚きます」

「どうでもいい。それよりどういうことか説明しろ!」

 どうでもいいと言いながらも声量をおさえ、クラウスはレイラを睨みながら低く問うた。

「また昨夜のようなことがあっては困りますし、リッツ様に準備していただいたのです」

 壁の端と端にあったベッドは消え、代わりに、大人二人で寝たとしても充分な広さのベッドがちんしていた。そこに腰かけているレイラの傍では、アールがうとうとしている。

「…………ソファーで寝る」

「体を痛めます」

「一体どうしたらこういう考えに至るんだお前は!?」

「ですから、アールと私達の体調を考えると、しゅうしんは共にした方が都合がよく……」

「そうじゃない! 俺は男で、お前は女だ! その時点で気づけ!」

「しかし団長は、私をは見ておられないと……きゃっ!?」

 乱暴に近づいてきたクラウスが、レイラの手首を摑んで引っ張る。シーツに倒れ込んだレイラを、ベッドにかたひざをついたクラウスが覗き込んできた。

 咄嗟に身を起こそうとするが、摑まれた手首はシーツに押しつけられた状態で動かない。

「これでもか?」

 切れ長の目に、冷たく見下ろされる。この表情、瞳には覚えがある。敵に対していだく警戒と反発の色。

(フレイルと同じ……)

 レイラは顔色一つ変えず、クラウスを見つめ返した。

「…………おい」

「はい」

「何か言え」

「何かと言われても……」

 レイラがもっと暴れると思っていたのだろうか。優位であるはずのクラウスの方がろうばいしているように見えた。

「ピィ……?」

 ころん、とアールが転がった。

 その瞬間クラウスは、レイラから勢いよく離れる。

「別に今のは違……ッ」

「団長、アールは寝ています」

 子どもに見られたらまずいと思ったのか、慌てるクラウスにレイラは言う。

(団長は……悪人ではない)

 何度かクラウスに助けられた。アールにだって、言葉や態度がきついこともあるが、かといって本気で拒絶することもない。

 今のだって、レイラのことを考えての行動だと理解できる。

「……お前、今のでもなんとも思わないのか?」

「どうしてものときは術具を使います」

 レイラの体の至るところ──それこそ服を着て見えない部分にも、リッツから渡された術具が、いくつも装着されていたりする。

「……あっそ」

「それに、私は団長のことをしんらいします」

 最初は正直、なんなんだこの人は、と思った。だが少しずつ、彼の考えが分かってきた。

(ドラゴンとは分かり合えると思ってきました。そしてそれはきっと、団長達でも同じ)

 ドラゴンだけでなく、クラウスともちゃんと向き合おうと思った。

 今まで動物達としてきたように、クラウスともきっと、お互いを理解し合えるはずだ。

 クラウスは驚いたようにレイラを見つめ──ハア、と息を吐いた。

「……気にしてる俺がバカみてえじゃねえか」

 独りごちたのち、ハッとしたようにレイラを睨む。

「そういう意味じゃないからな!」

「そういうとは?」

「なんでもねえ!」

 あらい動作で、クラウスはアールをはさんだベッドの端に、背を向けて寝転んだ。

 どうやら同じベッドで眠ることをきょだくしてくれたらしい。……あきらめた、という方が正しいのかもしれないが。

「……そういえば団長、ありがとうございました」

 灯りを消して横になったレイラは、クラウスの背中へ声をかける。

「何が」

「倒れていた私を運んでくれたのは団長だと、カレンベルク様が」

「あいつ……」

「ドラゴン達に団長やみなさまがしてきたことは、許せません。でも……だからといって悪い人ではないことは、分かりました。騎士になった理由も、団長になったけいも……」

「……あいつはすぐに、なんでもペラペラしゃべりやがって」

 それきりクラウスは無言になる。

 しばらく待ってもちんもくが続いたので、もう話をする気はないのかとレイラも目を閉じる。

「……だから俺は、魔物が──ドラゴンが、嫌いだ」

 不意に、クラウスが呟いた。

「竜騎士団になっても、ですか?」

「ああ」

「アールもですか?」

 会話が止まる。

「……寝ろ」

 それきり、クラウスは何も言わなかった。

「ピィ……」

 アールがぐるんと半回転し、クラウスの背中に張りつく。

 クラウスはいっしゅん身じろいだ。が、アールを退かそうとはしない。

 もちろん、そんなことをすればアールが起きて喚くのは目に見えている。それが嫌なだけかもしれない。

(それでも──)

 くっついて離れないアールの背中と、されるがままのクラウスの背中に、レイラはなんだか胸が温かくなった。



――


この続きは2021年4月15日発売のビーズログ文庫で!

可愛い赤ちゃん竜アールとお世話係レイラと強面団長クラウスのなんちゃって家族奮闘記をぜひ応援いただけたら幸いです。

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