第36話 日本人の心は洗われる


「はぁ、すげーいい湯加減」


 肩まで湯につかり、慎二は心の底からホッとした。

 まさに心が洗われて疲れが全て取り除かれたと言っても過言では無い。


「落ち着かないんだが」


 かたやジークフリートは広い浴槽に戸惑っていた。何しろ風呂が広い、オマケに木でできている。それになんだか変な匂いもする。体がポカポカしてきて、不思議な気持ちになってきた。


「そろそろ上がって」


 声をかけられ二人して湯船から上がると、清潔な着替えとタオルが用意されていた。


「すごいな。そこいらの貴族より上等な品だ」


 使いながらジークフリートが呟いた。騎士として生きてきたから、風呂に入って自分の体を拭くぐらいなんともない行為なのだろう。渡されたトランクスの下着を見て不思議そうな顔をした。


「あ、それね。穴のある方が前ね。男だから説明しなくても使い方は分かるよね?」


 伸大に言われジークフリートは無言で頷いた。


「温泉があるとは驚いた」


 ポカポカで清潔になった体に満足しながら、慎二が言う。


「そりゃ、日本人ですからねぇ」


 正士がそう言うと、全員が頷いた。


「つまりあれだ、山頂でドラコがしている水浴びって、間欠泉?」

「正解」


 言われて慎二は納得しつつ、首を傾げる。確かに何百メートルも吹き上げる間欠泉がある事は、日本にいた頃テレビで見たことがある。だが、どうしてわざわざドラゴンたちは間欠泉で水浴びをするのだろう?温泉が好きなのなら、その辺に湧き出した場所ではいれば全身ゆったりと湯に浸かれるのに。


「でもなんで、水浴びなんだ?間欠泉が上がる時間が分かるのなら、温泉が湧きだしている場所だってわかるんじゃないのか?」


 慎二が思ったままの疑問を口に出せば、待ってましたとばかりに正義が眼鏡を指で押し上げながら顔を突き出してきた。まさに解説はお任せ、とでも言いたげな態度である。


「いいところに気が付いたね。慎二くん。そう、まさにそれこそが重要なことなんだよ」


 正義がにやりと笑うと、他の勇者たちはうんうんと頷いた。


「さて、ここからが重要で重大な解説だ」


 正義が身振り手振りを大げさなまでに動かし全員の顔を確認する。右に左に動く様子は、黒ずくめの創設者を思い起こさせる。


「なぜドラゴンたちは間欠泉にこだわるのか」


 そう言ってから、正義は慎二とジークフリートを見た。


「楽だから?」


 頭の中であの時のドラゴンたちの状況を思い出しながら慎二は答えた。体の大きなドラゴンたちが一度に温泉を堪能するにはその辺に湧き出た温泉ではだいぶ狭いことぐらい簡単に想像がつく。何しろ体が大きかった。二階建て住宅ほどの大きさがあったのだ。まあ、その比喩はジークフリートには伝わらないのではあるが。


「楽?どうしてそう思った?」


 正義が慎二に尋ねる。


「上から温泉が降ってくるから?」


 自分で言いながら、慎二は首を傾げた。雨のように降ってきた温泉を浴びて気分がよくなるものなのだろうか?日本人なら、温泉こそ肩までつかりたい。ゆったりと味わいたい。頭から温泉を浴びるだなんて、情緒もなにもあったものではない。


「そうだな。だが、俺たちからしたら温泉をシャワーのように浴びるなんて、想像の範囲外すぎるとは思わないか?」


 慎二と同じ感想を言われ、慎二は頷いた。そうなのだ、やはり日本人からしたら、温泉を浴びるなんてとんでもないことなのだ。確かに、その昔戦国武将たちは蒸し風呂を好んでいたと読んだことがあるが、平安時代から日本人は温泉が娯楽だったとの記載だってあるのだ。そうだ、日本人なら温泉は浸かってなんぼのモノなのだ。


「お前らの話の意味はよく分からないが、ドラゴンが俺たちには浴びせられない。みたいなことは言っていたよな?なんで入ってはよくて、浴びるのは駄目なんだ?」


 ジークフリートから素朴な疑問がやってきた。確かに、先ほどジークフリートは慎二と一緒に温泉に入った。そう、肩までしっかりと温泉のお湯に浸かったのだ。それなのに、なぜか浴びるのはよくないことだと話している。ジークフリートからしたら、違いが全く分からない話なのである。浴びるのも浸かるのも、体を清潔にする行為には違いないのではなかろうか?


「それはやっぱり日本人としての情緒?温泉は熱めのお湯に肩までつかって成分をよく体になじませないともったいない……もったおない、いや、成分?あ、熱いお湯?温度?……そうだ、間欠泉!」


 慎二は答えが分かった喜びで大きな声を出してしまった。


「間欠泉だ。そうだ、間欠泉だよ。頂上でドラゴンたちが浴びていたのは間欠泉だ。源泉だ。熱いんだ。だから俺たちには危ない?」


 最後は尻つぼみのように声のトーンが落ちていく慎二の様子に、ジークフリートが不安そうな顔をした。慎二の感情がここまで激しく動いたのを初めて見たからだ。しかも黙って考え込んでいる。慎二が口にした言葉の数々は、はっきり言ってジークフリートには全く馴染みのない、知らない言葉だらけだった。


「もしかして、源泉?」


 ようやく考えがまとまったのか、慎二が口を開いた。やはり、ジークフリートには馴染みのない知らない言葉だ。


「そ、俺たち日本人なら馴染みのある源泉。温泉が湧き出てる場所のことだな」


 そう言って正士が襖をあけて奥の方を案内してくれた。はっきり言ってしまえば、襖で隠しただけの地下の洞窟だ。黒っぽくゴツゴツとした岩があって、匂いがかなりきつい。


「なんだ、すげえ匂いがするな」


 さすがにジークフリートにはきついようで、顔をしかめて手で鼻をつまんでいる。


「足元に注意してね、滑りやすくなってるから」


 履いているはいわゆるつっかけのようなサンダルなので、少々歩きにくかったりはするが、足元を見れば、確かに何かがぬるっと光っていた。慎二は見た目と匂いで何となく気が付いたものの、聞いた話だとそんなところは危険だから普通なら立ち入れない場所であるはずだ。それなのにこんな風にサンダルであるくだなんて、さすがは異世界と言うことなのだろうか?


「ここだよ」


 正士が示した場所は、湯気が立ち、下から何かが湧き出ていることが見た目でもうはっきりとわかってしまった。それに、乳白色の小さな塊があちこちに咲いていた。慎二の中で、ここがどこなのか確定してしまった。


「気を付けてね。小さく噴き出すことがあるから」


 優也に言われてそちらを見れば、ちょっとした噴水のような箇所があった。


「なるほど」


 これで慎二の中では完全に答えが確定してしまった。


「もうわかっているとは思うが、ここは源泉だ。先ほど入った風呂はここから浴槽に樋を使って流している。つまり源泉かけ流しというわけだ。向こうの方には天然温泉が出来上がっていて、魔物や動物たちが傷を癒しにやってくるんだよ」


 正義に解説されて、慎二は納得した。日本では、昔から傷を癒した目に温泉に入ることがある。つまり湯治だ。


「なぜドラゴンはそこに入りに来ないんだ?」


 当たり前の疑問をジークフリートが聞いてきた。


「いい質問だ。ねえ、慎二君、きみなら知っていると思うけど、温泉ってどこから出てきてるかな?」


 質問をふられて一瞬驚いたが、すぐに答える。


「地下」

「そう、あたり」


 なんて答えつつ、正義の目が何かを言いたげだ。


「まてよ、傷を癒す?」


 慎二は考えた。確かに慎二がいた時代でも、温泉の効能に疲労回復・病疾病の改善・切り傷擦り傷の治癒なんて書かれていた。一回入ったぐらいで怪我や病気が治ってたまるか。なんて思っていたものであるが、いや、もしかしたら。


「お、気が付いた?」


 正義が眼鏡のふちを指先でクイクイとおさえながら聞いてきた。


「もしかしなくても、効能が、強い?」

「正解」


 間髪入れずに朗が答えた。


「なんで俺たちが死ななかったのか。なんで今でも同じ姿でいられるのか。その答えがここ、この源泉っていうわけだ」


 そう言って正義が足元を指さした。


「聖女に刺されて俺は倒れた。そこに朗も倒れてきた。聖女は俺たちから魔力を奪って嬉しそうに高笑いしながらいなくなった。ああ、死ぬんだな。って思った時、口になんだかしょっぱい水が入ったんだよ。なんだか苦いし。最後の晩餐がこんなまずい水なんて、って思ったら悔しくて自然と体に力がみなぎったんだ。腕立て伏せしてるみたいな体勢になって、腹ばいになって口についたその不味い水をぬぐったんだよ。死にかけたはずなのに、体が動いたんだ。で、もう一度手についたまずい水を舐めたらたいして味がしなくて、本能でその水が流れてきている場所にたどり着いた。どう考えても熱いなって分かったから、こぼれてきた水を手ですくって飲んだんだ。そうしたら、背中の傷の痛みがなくなった。それどころか、体に力がみなぎったんだ。だから俺は倒れている朗を引きずってその熱い水を朗の体にかけたんだ」

「そうしたら、俺も動けるようになったんだよ。驚いちゃったね」


 おどけて言う朗の隣で正士が頷いていた。


「ちなみに正士は流されてあっちの温泉に浮かんでいたのを回収したんだ」


 なんともひどい話ではあるが、この世界から異物と認定されていたからこそ、腐りもせず半死状態で保存され続けたというわけだった。


「度座衛門」


 その状況を思わず想像して、慎二の頭に浮かんだ言葉だった。

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