第3話 忍び寄るもの
慧理には、その2枚の写真が別人のように見えた。容貌が目に見えて大きく変わったというほどではないのだが、明らかに印象が違ったのだ。明るく
まだ赴任して数か月、慧理自身も担任クラスを受け持ち、授業に行くクラスは10クラスもあったので、残念ながらまだ全ての生徒を把握はできていない。その上、渡辺亜子の2年1組は授業に行くクラスでもなかった。
テスト時の席順は出席番号順なので、渡辺 亜子の席は一番後ろの角だった。慧理は、渡辺 亜子の真後ろではなく、教室の後ろの出入り口の近くに立ち、様子を窺っていた。渡辺 亜子だけではなくクラス全体にも注意を向けなければならないから、全神経を集中させる必要がある。
渡辺 亜子の背後に黒い影が現れたのに気付いた時、慧理は驚いた。周囲の生徒達は気づいてはいないようだった。
慧理自身は、多少の霊感はあるらしいとは感じていたが、今まで、何となく感じたり、或る異臭を感じたりすることはあっても、悪霊の類を実際に見たことは無いに等しく、人間の背後にそのようなものを見たことは無かった。
そもそも、霊感が強ければ悪霊が見えるというものではなく、波長というか霊波というか、それが近い状態でなければ見えるものではない。悪霊が度々見えるということは自分の霊波がそちらに近付いているということで、自分が浄化されている状態であれば、悪霊の類とは真逆の波長になるから見えることはない。
霊能者と言われるほどの強い霊感の持ち主であれば、自分の霊波を自在に操って時々に応じて見たり撥ね返したり出来るのであろうが、慧理はそのような霊能者ではない。
古墳の上で古戦場の上という霊が集まりやすい土地で、しかも、赴任して間もないという慣れない環境と多忙の為に慧理の精神エネルギーが低下し、体調を崩している為に、今までは感じることはあっても見ることの無かったモノが見えているに違いなかった。
やがて、渡辺亜子の背後に現れていた影は二つに分離するような動きを見せ、一つは、その科目のクラス1番の生徒の背後に忍び寄った。渡辺亜子の姿は既に尋常ではなくなっているように見えた。
そうか、これがカンニングの正体だったのか。しかし、霊が原因だなどと誰が信じるだろうか。そして、なぜ霊は渡辺亜子のカンニングに関与しているのか。
1組は普通科特進クラス。渡辺 亜子は普通科全体では成績の良い方だったが、特進クラスの中では下位だった。日頃の亜子が素直な優等生であるだけに、心の中に抱えたものは大きいのかもしれない。
慧理にも覚えがある。中学まではトップだった成績が高校ではそうでもなくなる。各地から成績優秀者が集まったクラスなのだから当然なのだが、親には咎められる。成績表を見て一番辛いのは本人なのに、そんな気持ちなど考えようともせず、努力をしていないからだと非難する。
慧理は、成績が落ちてまた叱られるのかと気持ちが落ち込み、苦手な科目の試験日に一度だけズル休みをしたことがあった。どうしても学校に行けなかったのだ。不思議な事に本当に腹痛がして起きられず、食欲も出なかったので、試験を休んで一日寝ていた。
渡辺亜子にも似たようなことがあったかもしれない。心の隙は闇に付け込まれるきっかけとなったかもしれない。もし霊がテストの答えを教えてくれると囁いてきたら、それが悪霊だと気付かずに自分を助けてくれる守護霊だと勘違いしてしまったとしたら……。
人に憑依する可能性があるのは、不成仏霊、まれには地縛霊、そして、俗に狐憑きと呼ばれる動物霊(死んだ動物の霊というわけではない)だというのを読んだ記憶があった。
渡辺 亜子に憑いたモノは、慧理に見えていることに気付いたらしかった。
慧理の様子を窺い、邪魔をするなとでも言うような敵意を向けてきた。それは己を守ろうとする故か、負のエネルギーを急激に膨張させ、周囲の生徒達にも異変が及び始めた。真剣にテスト問題に取り組んでいた数人が、落ち着かない様子で周辺を気にしたり、更には青い顔で息苦しそうにしている生徒もいる。
(いけない。何とかしなければ)
しかし、慧理は祓い屋でも拝み屋でも無い。確かな知識も無しに霊と
渡辺亜子が慧理を
〈何だ。お前には力があるとでも言うのか〉
それは女子高生の声ではなかった。しわがれた思念のような、どす黒く
生徒達の数人が悲鳴を上げる。見えている生徒も居るらしい。
慧理は、首に書けた水晶のネックレスの存在を確かめるように服の上から押さえた。
(どうすればいいの? お願い。助けて)
慧理の水晶のネックレスが光り始めたように見えた。そうではないのかもしれない。慧理自身が、白銀の光に包まれていた。
(続く)
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