第143話 文字でのやり取りだけって難しい

 ……寝てる? なんだ、この違和感……。唇になんか柔らかい感触がある。


 目を開いたのと、あかねが俺から唇を離したのが同時だった。間近にあったあかねの顔が遠ざかり、満足そうに笑っているのが見える。


「お前……人が寝てる間に何してやがる」


 やっぱり叶じゃなきゃチューされても動悸なんてしない。だがしかし、殺意なら湧いてくる。


「これで少なくともあと1年はうちが最後にキスした相手や。男は最初の男に、女は最後の女になりたいもんや」


 なんじゃそりゃ初耳なんだけど。


 あと1年……叶が戻って来るまで、あと1年。


 1年くらい、会えなくたって叶を思い続けることなんか簡単だと思ってた。会えなくなることよりも、叶が寂しい思いをしないようにって、そればっかり考えてた。


 叶がいなくなった後の自分がどうなるかなんて、考えてなかった。


 たった1年とばかり思ってたけど、本当に帰って来るのか? やっぱり叶パパは俺なんか認めてなくて、叶から俺を引き離そうとしてたんじゃないのか? また大人の罠にハマって、もう叶に会えないんじゃ……。


 鼓動が異常に大きく速くなっていく。動悸がひどい。


 だから、なんでだよ。叶は今俺の前にいねーのに!


 ……もしかして、逆か? 叶がいないから?


 いやでも、今までは叶がそばにいる時しか異常にドキドキしなかったし、叶がいないことでトラウマが発症する理由なんてない。


 自分の体なのに、こうまで訳分からんもんかね……。そして今度はなぜか治まって行く動悸。


 ベッドに寝かされてたみたいだな。体を起こして見回すと、保健室だな、ここ。


「俺、気ぃ失ったの?」


「びっくりしたわ、ほんま! 急にひざから崩れ落ちてビクともせんくって、教室が絶叫と悲鳴のワンダーランドになったで」


 どんなワンダーランドだ。地獄絵図じゃねーか。


「悪いな、迷惑かけて」


「もう大丈夫なん?」


「うん、何ともない」


 保健室のドアが勢い良くガラガラーと開いた。


「あ、統基、起きたんだ」


 充里が笑う。俺は昼寝でもしてただけなのか。


「叶に起きたよって送ろう」


 と、曽羽がスマホを手に取った。


「え……曽羽、俺が倒れたって叶に教えた?」


「うん。ちょうど、今飛行機に乗ったよーって来たから、今入谷くん倒れたよーって」


 ……何その等価交換。


 スマホを見ると、特に叶から着信もメッセージもメールも来てない。


 飛行機内だから、どうしようもなかったのかな。いらん心配かけてなきゃいいけど。


 てか俺、昼メシも食わずに何時間寝てたんだ。もう夕方5時前じゃねーか。コイツら、こんな時間まで俺が起きるの待っててくれたのか。ありがとう。わざわざ言葉にはせんが、マジありがとう。


 ただ、俺の2年の文化祭の思い出、呼び込みで女の子に声かけまくっただけなんだけど。あと、公演中に倒れたという新たに刻まれし黒歴史。


 充里、曽羽、あかねと4人で保健室を出て廊下を歩く。


 曽羽のヤツ、いらんこと教えやがって……叶に心配かけてねえかなあ……。


「パジャマ持って佐伯んちに再集合なー」


「あーい」


 それぞれの家へと別れる角で一旦解散だ。


 パジャマパーティーはクラス規模になったらしい。もはや合宿と呼んでいいんじゃなかろーか。


 興味ねえからあんま覚えてないけど、佐伯んちって普通に賃貸マンションだった気がする。今ごろやべーなって焦ってねーかな、佐伯。超笑ってやるんだけど。充里を巻き込むと規模がデカくなりがちなんだよな。


 ひとりで歩き始めると、なんか手持ちぶさただ。立ち止まって、手に持つスマホに目をやる。


 メッセージってブルックボンドまで届くんかね?


 とは思いつつ、


「ブルックボンドに着いた?」


 と送ってみた。たぶん着いてねえよなあ。遠いよなあ、アメリカ。


 このメッセージが叶に届かなくてもいい。それこそ付き合う前からずっと叶とやり取りしてきたメッセージに、届かなくても何か送りたいだけだ。


 だけど、意外にもすぐ既読になった。


 ――マジで?!


 半信半疑でスマホの画面を見ていたら、メッセージの通知と共にペコンと鳴る。叶からだ。


 へー、海外でも使えるんだ。叶、色々調べたって言ってたけど、普通に使ってたメッセージが使えるんじゃん。


「ブルックリンね。着いたよ」


「そっか、お疲れ。何時の飛行機に乗ったんだっけ?」


「1時だよ」


 そっか。4時間くらいで着くんだ、ブルックボンド。


 うれしい。もしかしたら通信料金が高いとかあるかもしれないけど、これまでと変わらず文字でのやり取りができることがうれしい。


「体は大丈夫なの?」


 ……あー、心配かけちゃってるか。


「大丈夫だよ。お前がいないからちょっと調子悪かっただけ」


 ……あ。読み取り方によっちゃーお前のせいだ、みたいに取れるかな。しまったな。


 目の前でしゃべってたら声とか言い方とか表情とかで冗談だって分かるけど、文字だけだと誤解を招く書き方しちゃったかも。瞬時に既読になってるけど。


「なーんてな」


 うまく取り繕う言葉が思いつかなかったから、とりあえず茶化してみた。


 今までも文字だけのやり取りってしてたのに、距離が離れたことでなんか気軽さが減った気がする。多少の誤解が起きても明日には会って話せる状況と、今の状況ってだいぶ違うのかもしれない。


 ……叶……会いたいよ。まだ1日目なのに。俺は、1年間離れるってことを気楽に考えすぎていたのかもしれない。

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