第142話 開演

「じゃーねー、また後でねー。11時半だよー」


 メイド喫茶のウエイトレス、友理奈ゆりなちゃんに手を振って1年5組の教室を出ると、長谷川と並んで腕を組んで立っていたあかねが駆け寄ってくる。


「比嘉さんが帰って来たらチクったろと思ってたけど、ここまで見境ないと比嘉さんもノーダメージやろうな」


「ノーダメージに決まってんだろ。俺は初めての文化祭で戸惑っているであろう1年生に先輩として声をかけてるだけだから」


「とか言って、さっきは3年生に声かけてたじゃん、統基」


 曽羽とふたりでメイド喫茶に入っていた充里も出て来た。


「それは最後の文化祭になる3年生により楽しんでほしくて声かけただけだよ」


「うわー、入谷くんは屁理屈が得意なんだなあ。すごいなあ、あんなにスラスラといいかげんな文言が出てくるなんて。さすが、軽薄な男なだけあるなあ」


「誰が軽薄な男だ! 心の声だからしょうがないのは分かるけど、失礼すぎるわ、長谷川!」


「ねえ、もう佐伯くんと実来たちの公演終わる頃だよ」


「あ、マジだ。統基、そろそろ教室に戻って準備しねーと間に合わねえんじゃねえ?」


 曽羽と充里が言うから腕時計を見ると、たしかに時間やべーな。


「呼び込みの仕事に夢中になりすぎたか」


「呼び込みというより、ナンパに見えたなあ」


「うるせえ! 長谷川!」


 誰がナンパなんかするか!


 教室に戻ると、ちょうどラストの花畑のシーンが終わったところだったみたいで、仲野がギターの弾き語りで歌う中、佐伯たち12人のキャストがキッズたちに薄紙で作った花を渡して見送りをしていた。


 子供たちが「ありがとうございますー」「おもしろかったですー」と笑顔で教室を出て行く。お、好評だったみたいだな。


「どうだった?」


 と佐伯に聞いてみる。


「てか、お前ら見てくれねえのかよ! 教室にいねーからびっくりしたわ!」


「練習で何回も見てるからいいかと思って」


「本番を見ろよ!」


「お前見んの? 次の俺らのヤツ」


「見るよ」


「ヒマだな、佐伯」


「ひどいな、入谷!」


 ロミオの衣装は使い回しだ。ズボンは制服のまま、上だけドンキで買った王子様のコスプレ衣装だ。背の高い長谷川が着ると男でも見惚れるカッコ良さ。この素材でこのポンコツ仕様とは、本当に神様は平等だな。


 子供の多い朝公演に佐伯、昼に俺、他校の女子生徒も多く集まる午後から長谷川という順番に決まった。


「じゃじゃーん!」


 フリマアプリで買った赤いドレスにゴージャスにウィッグを付けてバッチリメイクを施されたあかねが自信満々に現れた。やっぱりあかね、普段のツインテールは似合ってねえな。顔の作りが大人っぽいからこっちの方がいい。


「おー、馬子にも衣裳」


「もっと素直なほめ方できひんのか!」


「キレイじゃん、あかね」


「えっ……それはそれで返事できなくなるじゃん!」


「関西弁はどうした、エセ関西人」


「うちはエセ関西人やない!」


 11時を過ぎて、順調にお客さんが集まって来る。地道に声をかけた子たちもたぶん全員来てくれてる。かわいい女の子がいっぱいで、こりゃあ気合入るってもんだ!


 叶と練習してきたロミジュリだ。叶に堂々と報告できるよう絶対に成功させる!


「これより、2年1組のクラス演劇、ロミオとジュリエットの2回目の公演を始めまーす」


 もう結構お客さんギューギューだけど、せっかくだからギリギリまで呼び込む。


 11時半になり、仲野が開演の合図に高梨から借りた笛をピ――と吹く。


 セリフも動きも完璧に頭に入ってる。目ぇつぶっても余裕とはこのことだ。何度も何度も叶と一緒に練習した。1日4時間も準備時間があったもんだから、小道具作ったりセットを作っても練習に回せる時間は十分にあった。


 仮死状態のジュリエットの顔に両手を添えて口元を隠し、キスしたフリをすると女子のお客さんが多いからかキャー! と歓声が上がった。


 リアクションがあると、練習よりも乗って来るもんだな。


 あとは、ラストまで駆け抜けるのみ!


「あなたが僕のそばにいてくれることこそが僕の幸せです。何があるか分からない新天地でも、あなたさえいれば僕はずっと幸せに暮らすことができる。ついてきてくれてありがとう、ジュリエット。僕はあなたを永遠に愛し、守り抜くことを誓います」


 ラストの汽車に乗る前、叶と隣同士に並んで正面の客席に向かってジュリエットへの思いを延々と語る。


 セリフは多いが、叶への思いと同じだから淀みなく完璧に言える。顔見て言えばもっと気持ちが入るのに、と抗議したら「比嘉さんに言うんじゃねーんだよ! 客に向かって言うの!」と偉そうに仲野に却下された。


 汽車の乗り込み口に見立てたすのこの上に足を掛け、汽車に乗り込んだ演技をする。


 叶へと振り返り、手を伸ばす。


「ジュリエット!」


 振り返って見えたのは、あかねの笑顔だった。


 あ、そうだった。つい、いつの間にか練習通りに叶に向かってセリフを言っていた。


 叶はもう、この教室にいないんだった。


 ドクンと、10人分の血液を送り出そうとしてんじゃないかってくらい、経験したことがないほどの鼓動に襲われる。みるみるうちに、動悸の大きさも速さも激しくなっていく。


 なんで、今、トラウマ?


 叶に子供ができる可能性を排除するために、欲に負けて理性がぶっ壊れないように働く俺の自己防衛本能なはず。叶がいなければトラウマは発動しないはずなのに。


 しかも、天音さんの子供が俺の子供かもしれない可能性に気付いた時よりもずっと大きく速い。急速に頭が真っ白になっていく。


 なんで? 叶は俺の目の前にいないのに。なんで――……


 頭が完全に真っ白になった瞬間、目の前が真っ暗になった。

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