第61話 私の名前は本郷 瑠理香

 つい先程、あろうことか俺は比嘉の叔母さんの婚約者を蹴り飛ばしてしまった。……んだと思ったんだけど。


「落ち着いてないのは叶の彼氏だけだよ。ほら見て叶、この馬鹿面」


「誰が馬鹿面だ!」


 理解が追い付かないから唖然としてたのは認めるが、馬鹿面なんて認めない!


「遥が大人気おとなげなかったよ、叶ちゃんの彼氏にそんな態度じゃ、叶ちゃんが困っちゃうかもしれないのに……」


 男の腕にすがりつく地味な顔した小柄な女が弱々しく意見している。


「遥?! え、何? お前ら遥と遥で同じ名前なんて運命ね、って結婚することになったの?」


「え、違います。私は瑠理香るりかって名前です」


「嘘ついてんじゃねーよ! その顔で瑠理香だってーのか!」


「瑠理香なんです!」


「瑠理香が気にしてる名前負け疑惑を堂々と突いてんじゃない! 僕には瑠理香でもまだ足りないよ。超姫ちょうひめ劇美げきび、なんて名前が君にはぴったりだよ」


「そんな名前の女いたら引くわ!」


 バッカじゃねーの、コイツ! 惚れた女だから良く見えるんだろうが、なんだ劇美って!


「あ、あの、初めまして、比嘉 叶です」


 と比嘉が瑠理香っぽくない瑠理香にあいさつをしている。


「あ、初めまして、本郷ほんごう 瑠理香です」


 苗字もカッコいい。マジで名前負けしてんな、この人。……って、待て。


「え、本郷 瑠理香なの? じゃあ、比嘉 遥は?」


「こっちだ。僕が比嘉 遥だ」


 俺が蹴っ飛ばした男が言う。話が違う!


「比嘉! お父さんの妹っつったじゃん! お父さんの弟は叔母じゃねーの! 叔父って言うんだよ!」


 全く、物知らねーんだから!


「いや、叔母だ。そんなに男にしか見えないか」


「うん、私も一瞬分かんなかったもの。かなり男に仕上げてきたなって思ったわ」


 男に……仕上げた? 言われて見ると、黒いロングコートにデニムに革靴という男っぽい服装と短い髪、俺くらいの身長に誘導されて男に見えてたけど、これくらいの背の女性もいくらでもいるし顔だけ見たらたしかに比嘉に似たベリーショートが良く似合う美人だ。


「あれか! ジェンダーか、ジェンダー」


「聞きかじった感がすごいな、君。まあ、そうだよ。女として生まれたけれど心は男。で、この度彼女と事実婚することに決めたから、この機会に兄夫婦に僕は実は男だってカミングアウトと結婚報告に来たんだよ」


「なるほどねー。ややこしい見た目してんじゃねーよ」


 あ……ってことは、叔母が久しぶりに会った姪っ子をハグしただけなのに姪っ子の彼氏が蹴り飛ばしたのか……やべえ!


「すんませんっした! 俺てっきり変質者が比嘉に抱きついたと思ったから蹴っちゃったです」


 顔が足に着くかってくらい、めいっぱい頭を下げる。状況が飲み込めたら、悪いのは俺だわ! でも、ひとつ言うなら男に見えるように仕上げて来てるのがそもそもの原因だけどな!


「ふーん、ちゃんと謝ることはできるんだ。まあいいよ、大した蹴りでもなかったし」


「吹っ飛んだくせに! 負け犬の遠吠えか、こら!」


「狂犬が何を言う! やっぱり君なんかが叶の彼氏だなんて認めない!」


 あ、比嘉の身内に嫌われるのは良くない。しかも、俺は初めて比嘉の身内に会った。コイツがこれから比嘉の家に入って比嘉の親に俺の話をきっとするだろう。


 うわ、そう思うと緊張してきた。コイツの印象が比嘉の両親の俺への第一印象になってしまう!


「いや、ほんとすいませんっした! いやあの、沖縄から来たのに肌白いんすね。あ、彼女さんも。るり子さんでしたっけ」


「沖縄の人間みんなが色黒だと思ったら大間違いだ。そしてもっと間違えてる! 彼女は瑠理香だ。人の名前を間違えるなんて失礼な奴だな」


 やべえ、更に印象悪くなってる!


「あ、重ね重ねすいませんっした。だって瑠理香って顔してねえんだもん」


「やっぱり私、名前負けしてますよね……」


 あ、やべえ、瑠理香さんが悲し気にうつむいてしまった。


「負けてねえよ! むしろ勝ってる! なあ、遥さん!」


「ぶん投げるなよ! 瑠理香、この狂犬の言う通りだよ、君は名前負けなんてしていない。君は劇美でもいいくらいだよ」


「そうですよ、劇美さん。俺もう劇美さんって呼んじゃう」


「それはやめてください」


「嫌がってんじゃねーか。遥さん、もう劇美とか言うのやめてやれよ」


「僕は別に呼ぶつもりで言ってないんだよ。君が勝手に呼びだしただけで」


「俺のせいかよー。ずるくない? 言い出しっぺのくせにさー」


「あの、私のせいでごめんなさい、もめないでください」


 小柄な瑠理香さんが更に小さくなって言う。瑠理香なのに本当に気弱そうな人だな。


「名は体を表すって言うじゃん? 名前負けとか気にしないでもっと堂々としてろよ。名前って親から子供への最初のプレゼントなんだぜ? いっぱいいろんな願いが込められてたりもするかもしんねーじゃん。どんな理由で名付けられたか聞いたことある?」


「あ……はい、母親が憧れててすごくお世話になった理香さんって人から名前をもらったのと、あと私12月生まれで、12月の誕生石が瑠璃なんです。ダイヤモンドみたいに派手に輝く訳じゃないけど、深みのある綺麗な青い宝石で両親とも大好きだから合わせて瑠理香って名付けたらしいです」


「すげー、めっちゃ思い込められてるんじゃん! 両親だけじゃなくて理香さんの思いまで乗っかってるんだー。いい名前だな。俺覚えたよ、瑠理香さん!」


「12月生まれなんですね。誕生日近いのかな? 何日なんですか?」


 比嘉が瑠理香さんに尋ねる。瑠理香さんがやっと笑顔を見せてくれた。


「実は、今日が誕生日なんですよ」


「え、そうなの?! 早く言ってよー、瑠理香さん! 誕生日おめでとう!」


 拍手で祝うと、瑠理香さんは照れくさそうに笑った。なんだ、笑うとかわいいんだ。うん、笑ってたら名前負けなんてしてないわ。全然瑠理香だ。


「おめでとうございます!」


「あ、ありがとうございます」


「瑠理香さん、比嘉の両親と初対面なの?」


「そうなんです。だから緊張しちゃって」


「分かるー、俺も今比嘉の身内の人に初めて会ったから緊張してるもん。でも、そんな緊張しなくても瑠理香さんは大丈夫だよ。瑠理香さん印象いいもん。堂々と名乗って来いよ!」


「は、はい! ありがとうございます!」


 小さな体で小さく拳を握りしめている。なるほど、緊張で余計に縮こまってたのもあるのか。


 さてと、比嘉の家の前でえらい騒いじゃったな。比嘉の両親とまで顔を合わす前に逃げ……退散するとしよう。

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