第57話 無条件な信頼

「ねえ入谷、土曜日に聖天坂で一緒に歩いてた人、誰?」


 と、朝一番に校門をくぐるなり駆け寄って来た穂乃果ほのかに聞かれた。


「え」


「なんか、楽しそうに歩いてたじゃん。お嬢様ーとか言って」


 え! 完全に見られてる!


「馬鹿! お嬢様に決まってんじゃねーか! そんな大声で言うんじゃない! お嬢様の護衛の者に消されるぞ、穂乃果! いいな、もう言うなよ、2度とその話はするな! 誰にもするな!」


「……は? お嬢様?」


「言うなっての! 分かった?!」


 どうしよう、この女黙らせたい。人差し指でシーッてしながら顔を近付けてガンガンに睨む。この大人の女にさえ怖いと言わせる俺的に目付きが悪いでお馴染みの目でとりあえず怯えさせとくか。


「顔、近! ……分かった、分かったから……近い!」


 ほお。この俺の顔が近過ぎて照れてんのか。かわいいじゃねーか、穂乃果。俺照れてる女見るのが好きなのかも。ちょっと自分の顔に自信が持てる。そういや穂乃果は俺に好意アリアリのアリなんだった。


「絶対、誰にも言うなよ。約束だよ?」


 と、優しく言いながら睨んだ目のままで微笑む。天音さんならツボなはずなんだけど……。


「や……約束する!」


「約束したぞ! 絶対約束破んなよ! 絶対だかんな!」


 よし! やっぱり天音さんと穂乃果は好みが似てるらしい。あー、何とか乗り切った……。朝っぱらから疲れちゃったよ。


 校舎に入ると、階段にも行きつかないうちに


「おはよー、入谷! 土曜さー、聖天坂で入谷が連れてた人ってもしかして入谷のお姉ちゃん? すげー綺麗な大人のお姉さんと歩いてたじゃん」


 と津田つだに聞かれた。


 お前も聖天坂におったんかい!


「あー……そうそう、お姉……」


 いや、さっき穂乃果にはお嬢様だと言った。階段を上りながら不自然にキョロキョロできないけど、穂乃果も同じクラスなんだから当然近くにいておかしくない。ここでお姉ちゃんに設定を変えたら話が食い違う=俺が嘘をついているとバレる!


「黙れ、津田! 彼女はお嬢様だ、軽々しい口を利くんじゃない!」


「は? ……お嬢様?」


 あー、なんでお嬢様設定にした! お姉ちゃんが正解だよ! 穂乃果にお姉ちゃんだよって言えば良かった! お姉ちゃんをお嬢様って呼ぶ弟がいるのかどうかは知らないけど、お嬢様よりお姉ちゃんが正解なのは確かだ!


 話してはならん! 俺、嘘はつくくせにうっかり余計なことまでしゃべりかねない。津田は無視して教室に入る。


 げ。珍しく充里と曽羽がもう登校してる……なんで今日に限って?! いつも俺より遅いじゃん!


 充里が俺の姿を見て駆け寄って来る。何? 何?! もう嫌な予感しかしない! お前まで聖天坂にいたとか言わねーよなあ?! 言われそうな気しかしないけど言わねーよなあ?!


「なー、統基、なんで田中さんとこのバイトさんとゴールデンリバーに入ったの?」


「……は?!」


 天神森にいたのかよ?! しかも、ゴールデンリバー、ダイレクトかよ! お前がゴールデンリバーにいたのと同じ理由だよ、当たり前だろ!


 って、言える訳ねえ!


 頭真っ白だ……お嬢様やお姉ちゃんとゴールデンリバーに行くのって、どういう状況?


 ……無理だ……真っ白だ……。


「おはよー」


「あー、叶、おはよー」


 ……叶?! 比嘉 叶?! なんっでよりにもよって比嘉まで登校早いんだよ! 無理だこれ、もう、バレる……。


 充里や曽羽が、これ言ったら付き合ってる俺らが気まずくなるんじゃ? とりあえず今はここで話切り上げて後でまた、なんて気を回せるとは到底思えない!


「なー統基、なんで?」


 ……やっぱりか! やっぱり比嘉の前でも頑なに聞いてくるか! お前はそういう奴だよ、充里。知ってたよ!


「どうかしたの?」


 比嘉と曽羽がこちらにやって来ている。

 聞くな! 比嘉!


「比嘉―――」


「入谷くんがゴールデンリバーに入ってったのを見たの」


「ゴールデンリバー?」


 ……そうだ! 比嘉はゴールデンリバーなんて知らない! 比嘉には通じない情報だ!


「ラブホテルだよ」


 ……充里! ぶっ殺す! お前マジぶっ殺す!


 いや、純真無垢な比嘉はラブホなんて知らないはず!


「見間違いだよー、愛良。それ入谷じゃないよー」


 ……知ってるの?! ラブホテルは知ってたの?! 何する所かも知ってんのかよって超聞きたい。今の状況で絶対聞けねーけど。


「えー、入谷くんだったし、ひろしの女の人だったよ?」


 情報を追加すんじゃねえ! ……天音さんとのことは多少怪しまれてる節はあったかもしれない……どうしよう? どう言おう?!


「ひろしの人ならやっぱり入谷じゃないよ、見間違いだよ。ね?」


 比嘉が純真無垢な笑顔で俺を見る。……比嘉! 思わず、比嘉を力いっぱい抱きしめた。こんな俺を1ミリも疑わないなんて、こんなにも無条件に信頼を寄せてくれているだなんて、お前天使か! 聖女か!


「お前は俺を信じてくれるのか……俺が好きなのは比嘉だけだ。俺、絶対比嘉に嘘を言ったりしない。誓ってもいい。約束する」


「分かってるよ、入谷。もー愛良、見間違いだよー」


 ……間違ってない。合ってるんだけど……そこは、合ってるんだけど……。俺、比嘉に嘘なんて絶対言わないけど、黙秘権は持っておく。


 ああ……比嘉を初めて見た入学式の日の朝、なんか分かんないけど感じた尊さはこれだったんだ。自信過剰なだけの女だと思わせといて、どれだけ誠実に人を信じる清い心を持ってるんだ。尊い。尊いよ。その無垢な笑顔の前にいると自分がひどく汚れてるような気がして恥ずかしくなる。


 あー、恥ずかしい……俺なんて、大人の罠に簡単に引っかかる上に取り繕ってばっかりで、なんて恥ずかしい人間なんだ―――


「あー、比嘉さん……こんな奴のどこがそんなにいいんだ……」


「おわ! びっくりした!」


 仲野が今にも泣きそうに目を潤ませながら堪えきれない笑顔で比嘉を見てる……いつの間にいたんだ、変態!


 どういう精神状態なんだよ! 好きな女が他の男を信頼しきってるってのに、なんで笑えるんだよ、お前は! コイツよりかはマシだわ、俺。コイツの前では堂々としていられるわ。

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