尊い貧者、下賎な王子

橋本洋一

童話を求めて

『昔々、あるところに尊い貧者がいました。貧者は苦しい生活の中、人々に優しく接しておりました。自分の食べ物やお金を同じように苦しんでいる人に分け与えていたのです。ある人は感謝をして、ある人は嘲笑っていました。


 そんなある日、意地悪で有名な王子が貧者のところにやってきました。そして「おい貧者! お前のやっていることはくだらないぞ!」と言ったのです。貧者は微笑みを絶やさずに「そんなことはございません」と否定しました。


 王子は「そうか。だったらお前を試してやろう。このお金をやるから、この街全ての貧しい者たちを幸せにしてみろ」と大金が入った袋を貧者に渡しました。しかしとても街全ての貧しい者を幸せにできるほどのお金ではありませんでした。


 貧者は微笑みを絶やすことなく受け取って――』


「……この続きが分からないんだ」

「聞いたことない童話ね」


 信司は恋人の美雪に困ったように言った。

 昔聞いたことのある童話だが結末が分からない。

 貧者がどうなったのか、王子が改心したのか、ハッピーエンドなのか。

 それすら分からないのだった。


「ネットで検索しても出てこない」

「王子とこじきなら知っているけど、話の筋としては違うみたいだし」

「そうなんだ。ここ数年、悩んでいるんだよ」


 ただの童話なのに、どうして引っかかるのか。

 その理由は信司にも分からなかった。


「そんなの気にしないで、仕事に身を入れたら? 大手出版社勤務の編集者さん?」

「分かっているんだけどさ。うーん、ごほん」

「あら咳? 風邪でも引いたの?」

「まさか。入院なんて子供の頃以来していないよ」



◆◇◆◇



 童話のことが気にかかりながらも、今日も今日とて仕事をしていると、信司のデスクの電話が鳴った。何の気なしに取って自分の名前と所属を名乗る。


『あの……そちらで出版してほしい本があるんですけど』

「はあ。どちら様ですか?」

『上杉と申します。それで――』


 ああ、よくある持ち込みというやつか。

 信司は「弊社ではそういったことは受け付けていないんですよ」と言う。


「公募に出してもらわないと」

『分かっているのですが……どうしても間に合わなくて……』

「間に合わない? 公募にですか?」

『童話の短編集なんですよ。というか……』


 よく聞くと年老いた女性の声だった。

 いまいち判然としないなと思っていると――


『童話のタイトルなんですけど、喋るトマトや尊い貧者と下賎な王子――』

「……ちょっと待ってください。今なんて?」


 上杉と名乗る女は『えっと、喋るトマトと尊い貧者と下賎な王子、ですか?』と繰り返した。

 信司が求めていた童話のタイトルだった。


「……詳しくお話聞かせてもらえませんか?」



◆◇◆◇



 数日後、信司が訪れたのは彼の地元の大学病院だった。

 懐かしいと彼は思った。幼い頃、ここに入院していたからだ。

 しかし詳細な記憶は残っていない。四才か五才の頃の話だから。


 とある病室に訪れた信司。

 ここは重傷者がいる病棟だった。

 ネームプレートには『上杉かなえ』と書かれている。

 ノックをして、返事とともに中へ入る。


 そこにはやせ細った女性が横たわっていた。


「わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


 ベッドの横の椅子に座っていた老女が立ち上がって頭を下げた。

 信司は会釈して「そちらの女性は……?」と訊ねる。


「私の娘です。意識を失ってもう長くなります。お医者様からは後一ヶ月もてばいいと言われました」

「……それは、なんと言っていいのか」

「それで、出版のことなんですが」


 信司は「電話である程度の事情は聞きました」と言う。


「しかし作者の意識がないと出版は難しいのです。誤字脱字を直すのも、作者の許可が要ります」

「そう、ですか……」

「あの、尊い貧者と下賎な王子の話、聞かせてもらえますか?」


 信司は自分がその話を知っていることを打ち明けていた。

 老女は「この子は昔から創作が好きでして」と話し始めた。


「よく子供たちに自分の作った童話を話していたんです」

「…………」

「もしかしたら、あなたもそうだったのかもしれません」


 信司は無意識に『聞いたことのある』と考えていた。読んだことのある、ではなく。それは誰かに読み聞かされていたということで――


「その話の結末、どうなっているんですか?」


 老女は淋しそうに笑いながら、自分の娘を見た。


「そりゃあ、ハッピーエンドですよ。そうじゃなきゃ、この子は書きません」



◆◇◆◇



『貧者は土地を買いました。広大だけど不毛な土地を。そこから熱心に土地を育てはじめました。王子やその周りの者は笑って見ていました。


 それから戦争が起こりました。王子の国は負けてしまいました。意地悪だった王子は命は助かりましたが、人々から石を投げられる生活をしていました。


 ある日、いつものように石を投げられていたところに、王子を庇う一人の男が現れました。「もう十分、この人は苦しみました。許してあげましょう」その人はあの貧者でした。


 王子の目から涙が溢れました。


 貧者と王子は協力して不毛な土地を耕し始めました。

 何日も何年も何十年も。

 その結果、不毛な土地は美しい景観と豊かな作物が実る場所へと姿を変えました。


 貧者と王子は全てを見届けた後、安らかに眠りました。

 貧者は『尊い貧者』と呼ばれるようになり、王子のことを悪く言う者は誰一人いなくなりました』

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尊い貧者、下賎な王子 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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