シーン3-2 異形
強い憂鬱に襲われた優希は掛け布団を頭から被り、嫌な考えを頭から追い払おうとする。しかし、優希の頭の中ではあやめの言葉と、「夢」で出会っ中年男の言葉が何度も何度も反響していた。
戦え……。
化け物……。
戦え……。
化け物……。
(やめてくれ……やめろ……やめて……!)
不意に優希は強烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込むと胃の中のものをすべて吐き出す。それでも不快感は収まらず、優希はなおも大きく口を開いて何もないのに何かを吐き出そうともがく。
そんな最中、優希の全身が強く震える。
ドクンっ!
心臓が苦し気に強く脈打ち、優希はその目を大きく見開いた。
たちまち呼吸が荒くなる。優希の全身が震え、暴れている。
その手や足は脈動しながら、少しずつ膨らんでいた。
「……くすり……く、すり、をの、まない、と……」
優希は次第に結合していく舌や唇を懸命に動かして言葉を絞り出すと居室に舞い戻り、ベッド脇にペットボトルの水とともに置かれていたあの「レジステア」という薬を、二倍ほどに巨大化した手で何とか掴むと封も切らずに乱暴に口に放り込み、ペットボトルの水で強引に押し流す。
薬を飲み下した優希であったが、体の変異は一向に収まろうとしない。それどころか、変異はどんどん加速しているように感じられた
「……ふ……く……」
もうほとんど動かなくなっている口をそれでも動かして、優希は既に大きくなった体に対応しきれずパンパンになっている部屋着を裂けてしまう前にどうにか脱ぎ捨てボロボロになっていた下着も引き裂いて全裸になる。
優希の姿は、異形のものへと変わっていた。
元々大して筋肉もついておらず、どちらかと言えば貧相な体つきであった優希の体は、今や紅く染まり隆々と盛り上がった筋肉に覆われていた。やや小柄だった背丈も10cm近く伸びているように見える。
手や足も紅い肉に包まれ、女性に間違われるくらいほっそりとしていた指も無骨に太く逞しい物へと変わっている。
顔はまだ、辛うじて元の優希の面影を残しているがその目は瞳が退化して黄色い光を放つようになり、口であった場所は固く閉ざされているが、まだ僅かに孔が開いているのか、ひゅうひゅうと呼吸する音が聞こえる。
短く刈り揃えていた髪は頭皮の内側へ吸い込まれ、残された頭皮は真っ白く変色し固まってしまっている。
どこからどう見ても、今の優希は人間ではなかった。
「……」
優希であったものは静かに変わり果ててしまった自分の手足を眺める。もう何度も見ている光景であったが、それでも確認せずにはいられない。
あれほど苦しんでいた体の不調は既にない。それどころか、全身から活力がはちきれそうになっているのを優希だったものは感じている。
「……」
優希だったものは言葉を発することが出来ない。完全に変化し切ってしまった顔からも表情をうかがうことは出来ない。目であった場所が黄色く明滅するだけだ。
それ故に、優希だったものが今何を考えているのか、分かる者はいない。
彼は今、この世界で一人ぼっちだった。
優希だったものは静かにベランダへと足を運ぶと、四階という高さを物ともせずに飛び降り静かに着地。そのまま夜の闇へと姿を消していった。
それから数時間後。真夜中になって裸になった優希が息も絶え絶えになって部屋に転がり込んだ。
家を出てから二時間ほどの間、変身したままであった優希だが、そこからしばらくして無理やり飲んだレジステアが効果を発揮しだしたのか、段階的に変身した箇所が元に戻っていき、ちょうどアパートに辿り着いたところで完全に元の姿に戻ったのである。
すっかりくたびれ果てた優希は裸のままベッドで横になり掛け布団を被って目をつぶる。
「……今日は何もいなかったから良かったけど……」
布団の中で優希は小さくつぶやく。優希がこうなってしまって以来、街に不気味な怪物が出没するようになったのだ。もちろん、優希自身としてはなるべく関わり合いになりたくないのだが、どういうわけか優希が中々元の姿に戻れないときに限って頻繁に怪物と出くわすのである。
中々元に戻れない時というのは優希自身も一種の興奮状態であることが多く、怪物は怪物で見境なく目の前のモノに襲い掛かってくるため、必然的に戦いとなった。
変身した優希の体は頑強で力も強く、これまで出会ってきた怪物はすべて倒してきた。そんな状態を優希自身は嫌で嫌でたまらなかったのだが、変身してしまった体はいつも戦いを求めてしまう。
だが、当の優希自身が心の奥底では戦うことに快感を覚えていたのも否定できない。普段の生活で自分の欲求を押さえつけ、過酷ないじめにも無抵抗を貫く優希の姿勢は、想像もできないほどの負担を心に強いていたのだ。
だから、優希は気付かない。無意識のうちに変身した自分の力に酔いしれ、夜な夜な変身してしまうのを心待ちにしていることを。そうやって壊れそうになる自分の心を保っていることを。
思いとは裏腹に、優希の本能は戦いを渇望していた。血肉が湧きたつほどの戦いの中で、己の全てを解き放ち快哉を叫びたいのだ。
無意識の妄想は少しずつだが確実に優希の心を蝕みつつあった。
しばらくして優希の部屋から灯りが消えるが、その優希の部屋を遠巻きに観察する人物がいた。
「今日は確認出来てから二時間ほどか……多少のタイムラグはあるだろうが、それくらいが姿を維持できる限界ということになるな」
手に持ったスマートフォンを操作しつつ、その人物は首を傾げる。
「あれから一か月以上は経つはずだが、まだ安定しないのか……ようやく見出した最初の「レジスタント」、焦りは禁物だが……そろそろ私が直接介入することも視野に入れねばなるまい」
ぶつぶつと神経質そうな口調で二言三言つぶやくと、おもむろにスマートフォンを上着のポケットにしまいこむ。
「……私を失望させてくれるな、歩生優希」
その言葉とともに謎の人物は忽然と姿を消した。
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