ACTion 19 『毒を吐く』

『何をバカな事を言っておる! お前が行くような場所ではないぞ! テンの話も聞いたろう!』

 トラの声が響いていた。身振り手振りに合わせて波打つシワもまた、言葉以上に乱れて散る。

 すでにアルトとひと悶着を巻き起こし、その通信が切られれる前にネオンは艦橋を後にしていた。足はいつもテンが楽屋代わりに用意してくれている船賊たちの個室、その一角へ向かっている。

『だって、何か掴めるかもしれないんだもの』

 トラはプラットボードを小脇にその背を追いかけ、またもや声を裏返した。

『つ、掴めるだと?』

 だとして雑種ギャングの違法模擬コロニーなど、詳しく聞かずともトラには賭け事に色事三昧の場所であることくらい分かっている。そこに並ぶいかがわしげな店はどう考えても、ネオンにはふさわしい場所だと思えなかった。何をどう勘違いすればそんな場所へ行こうという気になれるのか、トラは唖然と突き返す。

『冗談も休み休み言え』

『冗談なんかじゃないわよ。そんなに心配なら、トラも一緒に来ればいじゃない』

『わしが、だと?』

 食らったトラがシワをブルンと震わせた。

『一体、何をしに?』

 それこそ目が覚めたといわんばかりに、声を大きくする。

『いいか、わしはそんな場所などへは行かん! つまり、お前も行かん! わしと一緒に次の依頼へ向かうんだ』

 とたんピタリと、ネオンのヒールは歩みを止めていた。

『忘れたの? トラ』

 辿り着いた、あてがわれた部屋の前で厳しい面持ちをトラへ向けなおしてみせる。

『何を?』

『いい? こうして活動が出来るのは、テンさんたちのおかげでもあるってことよ』

 そうして向かい合えば見上げるほどの身長差は自然、ネオンの眉間へ力を込めさせ、見下ろすトラのアゴをシワへ埋もれさせた。

『分かっておる。だからお前は無償でここでの演奏を……』

 だがネオンが最後まで聞くことはない。闇雲に振った頭で遮る。

『分かってないよ』

 見つめる瞳は変わらず澄み切っていた。

 澄み切ったそこへ熱はこめられてゆく。

『ねえ、気づいてるでしょ? ここ数回、演奏会に船賊以外のお客さんが混じってるってことを。テンさんも言ってたじゃない。賊の船だっていうのに、金を払ってまでもこのイベントに参加したいってひとが現れだしたって。あたしの演奏だけが聞きただけなら近づきたくもない場所に来るはずないの。つまりはテンさんの動話よ。いい? もう自分たちが楽しむだけのレクリエーションじゃなくなってきてるってこと。テンさんの動話もショーとして、成立ししつつあるのよ』

 逸らすことなくまくし立て、カーゴを指さし、ネオンはその手を腰へあてがった。だがトラは酸っぱい物でも口に含んだような顔のままだ。

『もうっ! これ、船賊活動以外で稼げるチャンスなの。それ以外で収入を得る機会なのよ』

『だから、それとお前が模擬コロニーへ向かうことと、どう関係があるのだ!』

 もどかしさに腹を擦り付けんばかりネオンは身を乗り出し、トラがそれを押し返す。

 睨み合えばネオンがきゅっ、と唇を結んでみせた。

 ともかく自分こそ落ち着かねばとでも思ったのか、身を引き汚れひとつない靴先へ視線を落とす。眺めながらだ。落ち着きを取り戻すとゆっくりトラへ語って聞かせた。

『だから、このまま話しが大きくなっちゃったら、またその影響力が問題視されて連邦から睨まれるに決まってるじゃない。それじゃ、ふりだしへ戻るだけ。あたしは、どうにか続ける方法を探したいの』

 と、さすがにここまでくればトラも気づいたらしい。

『……それが地下活動、非合法イベントだということか』

 声に、ネオンが顔を上げる。

『その下見』

 まっすぐな瞳でうなずき返した。

『でもテンさんたちが出向いたら騒ぎになるって言うし。そこをなんとかするには、あたしがこの目で見てくるのが一番だと思うの。でしょ?』

 最後、甘えたような声でウインクを放つことも忘れない。

 おかげで思わずトラが首を盾に振りかけたことは、言うまでもなかった。なにしろオークション会場で臓器転売用ボディとして仮死強制のポッドに収められていたネオンを買い取り蘇生させたのは、こうして話し自らに笑いかけてくれることを夢見たからだ。今、それは現実となり、これほどまでに身近な存在として心の内までもをトラへ語ってくれている。突っぱねることは困難だった。

『た、確かに……、そうだが……』

 ところを、我に返り伸び上がる。

『いや、いかんッ』

 むしろ己へ言い聞かせると、シワをなびかせ頭を振った。

『いかんと言ったら、いかん! どんな理由があれ、わしは許さん! お前がそこまでする必要はない!』

 とたん一変したネオンの表情こそ、凄まじい。断固とした意思を触媒にして固めた意地で、あっという間に澄んでいたはずの瞳へ影を落としてゆく。

『なによ、トラの恩知らず!』

 吐きつけた。

 おそらくここまではっきりと対立したのは、これが初めてだ。

 だからしてトラも反射的に眉間を譲れぬ位置へ据えていた。

『それこそわしのセリフではないか! お前の身を案じてこそ言っておるのだぞ。だのに恩知らずは、お前の方だ!』

 たちまちネオンが身を縮める。助けられた過去を人質に取られたその歯がゆさに、見つめるその目で卑怯者、とトラへ語ってみせた。いや、聞こえたからこそだ。トラは覚えた後悔の二文字に胸の奥底を凍りつかせる。だが今さら譲れぬ位置に固まった眉間を解くことなどもうできない。それはなけなしのプライドであり、だからこそ真剣なトラの思いでもあった。

『ゆ、行きたいなら、か、勝手にしろ。わしはどうなってもしらんぞ!』

 がなり立てる。それはもう演じ切らねばならい己の役となり、ゆえにその口調がうわすべりしないことをただ祈った。とたん全ては、ネオンとの関係を保つためだけに架空の膨大な借金を負わせ、野に放ったあの頃の自虐的な自分とそっくりになる。思い起こし、のめり込めば、ついぞ飛び出すのは追い打ちをかけるような言葉となっていた。

『そうとも、またジャンク屋にでも助けてもらうがいい!』

 瞬間、両肩を持ち上げネオンは大きく息を吸い込んでゆく。

 放つべく声をその腹に蓄えた。

 前においてトラは、どんな罵声を浴びせらるのかと内心、尻をすぼめて身構える。

 だがネオンは無言で片手を差し出しただけだった。

 ワケがわからず、トラはしばらくその手を見つめる。

『……楽器』

 ネオンは漏らし、トラが動こうとしないならさらにもう一度、繰り返してみせた。

『楽器』

 だというのにトラが瞬きしていたなら、ダメ押しだ。

『がっきっ、ちょうだいっ!』

 食らわされてようやくトラは片手に提げたままの楽器ケースをネオンへ差し出す。

 ネオンの細い指が、毟り取るようにケースを奪っていた。

 引っかくほどの荒っぽさにトラは我を、いや、役割を、そこでようやく思い出す。

『はなから言えばいいのだ!』

 その剥がしようのない過去を下絵にしたシナリオは、ひたすら速度を上げていた。

『何が地下活動だ。わしに気などつかわず、ジャンク屋が気なるなら、会いにゆけばいいのだ!』

 てきめん、ネオンの目じりも吊り上がる。

 悲しいハズも、それは達成感となって不思議とトラを納得させた。なら締めくくるのは、かつてネオンを監視させていたモバイルロボット、モバイロのモニター越しに幾度も繰り返したあの捨て台詞以外、他になくなる。

『さすがのわしも、あ、愛想が尽きた!』

 そう、それきりチャンネルを切ったなら、エスパをやけ食いするのだ。

 だが先に背を向けたのは、ネオンの方だった。部屋へ向かい、細いかかとで床を蹴り出し、止めてトラへとやおら細いアゴで振り返ってみせる。

『誰にも……』

 それは最初、誰に言わんとしているのか判然としない切り出し方だった。

『誰にも、助けてもらうつもりなんてない。あたしはただ』

 聞いて本意を推し量りかね、トラはシワの奥でしばし目を瞬かせる。

『助けたいだけよ』

 前で呟くネオンに表情はない。

『会いたいなんて……、最低』

 残して断ち切り、それきり部屋へと姿を消していった。

 突き放したはずが取り残されて、トラはその場に立ち尽くす。

 ほどに、何事もなかったように立ち去るに間の悪さばかりが際立った。ならプライドの欠片さえかなぐり捨てて、今すぐにもネオンを追いかけ詫びることもひとつ手だろう。だがつま先立ったその足は、すぐにもかける言葉に行き詰まっていた。果てに吐き出されたのは、あまりに哀れな棒読みなセリフだった。

『い、今さら何ともないわ』

 吐き出し、その響きに己こそが縮み上がる。

 うろたえ、だからこそトラはカーゴへ向かい、闇雲に大股歩きを決め込んだ。

 そんなトラへ、このまま独りで『Op1』へ帰るのかと、冷えた胸の底は問いかけたが、答えたのもまた顔中を覆うシワ同様、歪に潰れたトラの心だった。

 当然だ、と毒を吐く。

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