ハードボイルドワルツ有機体ブルース２ 積乱雲チェイサー

ＡＣＴion 18 『ザッツ チェンバー タンブリング』

「なによ、その挨拶」

　不満とも冗談ともつかぬ口調でネオンが返す。 芝居だといわんばかり、すぐにも言いなおしてみせた。

「久しぶり」

　響きは、ここにいる誰よりなじみ深い。

「顔、合わせるのって、最初ここへ演奏に来て以来だよね」

　記憶違いのないことを確かめる視線が、あらぬ方向を睨む。

「ああ、そうなる」

　答えたことに、アルトは自分自身を意外だとただ感じた。

　なら逸らしていた視線を正面へ戻したネオンはしばしモニター画面をじっと見つめる。その顔を、これでもかと歪めて言った。

「元気そうだけれど、ヒゲくらい剃れば？」

　食らうなどと、これで二度目だ。

「おま、誰かと同じ事、言うな」

「それってイメージチェンジ？　だったらセンスないんじゃない？」

　そうしてこれみよがしと悪戯気な表情を浮かべてみせる。たったそれだけでネオンは一気に、アルトを『Ｆ７』のあの頃にまで引き戻してみせた。つまりいつものゲームだ。よほどこちらの機嫌を損ねて優位に立ちたいらしい。

「バカなこといってんじゃねぇよ」

　受けて立てばじわり、胸の底にかつての温度は滲んで広がり、きっかけにして言葉を探す必要こそ失せていた。

「こちとら、そんなことにかまってるヒマ、あるかってんだよ」

「あら、バカって言う方が、バカなの」

　真顔に戻ったネオンもためらうことなく頬を膨らませている。

「メシを食い終わってすぐ、そっちへ通信をつなげたせいだ」

「そんなに急な用件？」

　かと思えば目を瞬かせ、今度は眉をハの字と開く。

「デミから少しは聞いてる。貧乏ヒマなしだって」

　挙句一言多かろうと、事実に違いないのだから仕方ない。

「だったらそれ正解。テンさん、船賊だけどいいひとだもの。なんてったって話が分かる。相談なら力になってくれるハズだわ」

　言い分にアルトもうなずき返していた。

「お前こそ天賦の才能、無駄遣いしてんじゃねぇだろうな」

　吹っかける。

　だがネオンに、期待していた淀みこそなかった。

「ご心配なく。世のためひとのため、富を分配していましてよ」

　そこには今にも高笑いを放ちそうな余裕さえのぞいている。とたん用意していたハズの、返す言葉の全てが役に立たなくなったことに気づかされてアルトこそ、不意を突かれた格好となる。ただ「そうか」と返していた。

　そのやり取りに感じるのは、物足りなさか。

　「いつも」はそこで途切れると、妙な隙間風をしばし吹かせる。

　とはいえ仮にも「ラボの続きはもううんざりだ」と言い放って為すべきことへ追い立てたのはアルト本人だ。果てにネオンが様子を変えようと、文句を言う義理こそなかった。むしろ望んでいたのは自身ではなかったのか。思いなおし、この違和感を味わいなおす。味わいながら以前より遠くにネオンを眺め、頼もしく変わったその姿を満足と共に見届けた。

「トラも来てるのか？」

「ええ、向うで何か話してるみたい」

　探し振り返ったネオンがすぐにも教えて言う。

『方法があるなら早く言って』

　と、延々と続けられた解読不能の言語に、しびれを切らしたワソランが口を開いていた。

『いや、あるにはある。奴らの船が定期的に形成する模擬コロニー内の歓楽街へ出向けば、手がかりはつかめるかもしれない。だが……』

　急ぎアルトは造語をつづる。

『だが、何？』

　その先を口にするかで戸惑えば、ワソランに睨み返されていた。

　仕方ない。すくめた肩でおどけて続ける。

『船賊のやつらもオススメしない場所だってことだ。騒動になるってんで、奴らも近づけないらしい』

　だがその意味がワソランに通じた様子はない。

『場所を知っているなら十分だわ。ありがとう。世話になったわね。こちらへその座標を送るよう言って』

　催促するとてモニター画面をのぞきこんだ。

「あら」

　だがそこに映っているのはネオンだ。よもや他に誰かが同乗しているとは思ってもいなかったのだろう。画面の向こうでネオンも素っ頓狂な声を上げてみせる。

『はぁ？　独りで乗り込むつもりかよ？』

　聞きつつアルトこそ操縦席の中で跳ね上がっていた。

『確かめると決めたわ。Ｏｐ１へ戻って、わたしの船を回収する』

　かつてを取り戻したその目には、テコでも動かぬ頑なさがある。

『確かにそうすすめたようなもんだがよ……』

　覚えのがあるからこそ、口ごもった。

「なんだ、彼女、見つけたんだ」

　間も眺めつづけていたワソランへ、「へぇ」と吐いたのはネオンだ。

「彼女？　こちとら雇われの身だ」

　すかさず訂正するアルトは忙しい。

『なら、何の文句があるの？』

　そこへワソランの造語はかぶさる。

『あんた、お嬢さんだから知らないかもしれないだろうが、独りで行ってみろ、仕事を取りに来たと勘違いされるのが関の山って場所だぞ』

　そう、向かうのは怪しげな輩の仕切る歓楽街だ。故意に昼夜を作り出さねばエンドレスで続く夜が支配したそこに、ふさわしい遊びといえば女の欠かせぬ類が常套となる。

『だから何？　あなたには放置船へ連れてゆくよう頼んだだけ。そこから先、わたしがどこへ行こうと関係ないわ』

「ふーん。クールビューティが好みだったんだ」

　そうして尖るワソランの横顔へ、ネオンが感心したような口調を放った。事態の優先順位はそんな間抜けたコメントへの対応であるはずもなく、ともかくアルトは吟味するネオンへ中指を立て返した。

（どないや？）

　それを動話と取ったらしい。肩をすくめてかわすネオンの隣から、テンの顔は割り込んでくる。

（途中までやったら案内もできるけどな。どないするねん？）

『座標を送って』

　その動話に、埒が明かないワソランが指示を繰り出す。

　もちろん食らい、戸惑ったのはテンの方だ。助けを求めて周囲を見回し、船賊の中に訳せる者がいないとなれば、しばし視線を泳がせ続けた。

　と、そんなモニター画面の隅にシワで覆われた腕は映り込む。トラだ。ようやくネオンの傍らへ辿り着いたらしい。気づいたネオンがモニター画面を指し示し、確かめて幾分しぼんだトラの顔のはチラリ、画面へ映り込んだ。のみならずネオンが聞き取ったワソランの造語を、抱えるプラットボードへ吹き込み始める。

　それを助け舟と読み取ったテンが、即座に上二本の腕をアルトへ振って返してみせた。

（ほな、これや）

　下二本の腕で、操縦席のコーダへ座標送信の指示もまた出す。

「いや」

　そこに余計なことを、と綴るヒマはない。

　光学バーコードにまとめられた座標はすぐにもアルトのコクピットへ転送され、勝手知ったるヒトの船と、受け取るワソランの手がメインコンピュータへ伸ばされる。

　遮り、アルトはその腕を掴んでいた。

　動きを止めたワソランの目が、そんなアルトへ流される。

『どうしてもっていうなら、この先、金勘定は抜きにしておいてやるよ』

　言うほかなく、なら一体何のことかとワソランが、ひそめた眉で返してみせた。

『知らなかったとはいえ、たきつけた俺にも責任はあるってことだ』

『……だから？』

『Ｏｐ１へ戻る必要はない。あんたが模擬コロニーを出るまでボディーガードだ。このままついていってやる』

　だというのにワソランには否定も感謝も、いや明瞭な反応の一切を見せない。ただいまいましげにひとたび目を細めると、コンソールへ伸ばしていた腕だけを引き戻していった。何言うこともなく、きびすを返す。コクピットから抜け出していった。

「……なんだかあたし、余計なこと、した？」

　やり取りを前にしたネオンは申し訳なさげだ。

　見送りアルトは、そんなネオンへひとつため息を吐く。

「そうだな。お互い、焚き付け上手ってところだ」

　責めても仕方ないが、どうにも口調はぶっきらぼうにならざるを得ない。

「ごめん」

「おかげで怪しげな場所までご案内、ってなあんばいだぜ、まったく」

　吐いてアルトは送られてきた光学バーコードをナビへ読み込ませる。

「なに、それ？」

　とたんネオンの目は、ゴミでも入ったかのような瞬きを繰り返していた。

「俺もよくは知らない。彼女はひとを探している。その手がかりが雑種ギャングの仕切る歓楽街にあるかもしれないってことだ」

「かんらくがい？」

「ほっときゃ、ひとりで行く気だ。って、いってらっしゃいつって、見送れるかってんだよ」

「そこって、いわゆる非合法？」

「決まってるだろ」

「じゃあそこ、非合法でイベントしてるわけ？」

　投げ合って初めてネオンが、先ほどまで瞬いていた目を輝かせていることにアルトは気づく。

「イベント？　ま、そんなたぐいっていやぁ、たぐいだろうな」

「どうやって？」

　食い下がられて、相手にしない方がいいことを悟っていた。

「知るか、ンなもん」

　光学バーコードデータを読み込んだナビは、今やアクリルドーム上に距離、時間、利用光速入り口座標に料金、他船航行状況を次々に展開している。

「じゃ、決めた」

　合わせるようにその時ネオンは言っていた。

「あたしも調べに行ってみたい」

　アルトはあんぐり、口を開く。

　同時に船は、光速へ突入していた。