ACTion 07 『彼女と彼と鉱石と』

 やがてレンデムの女は再び皿と向かい合う。無理やりにも見える一部始終は空々しくもあり、させたいようにさせてアルトは灰皿へ無煙タバコを押し付け消した。

 とはいえ目の前にいるのは初対面に等しい相手なのだ、と自らへいいきかせる。だが塞ぐものを失った口はすでに不躾な言葉を吐き出したがり、おそらくそれこそが事実だった。

『悪いが……』

 いらぬお世話で憎まれたことは、これが初めてというわけでもない。

 切り出せば、予感していたように女の目も怯えたようにアルトへ持ち上げられる。

『そいつにだまされてるね、あんたは』

 何しろ積乱雲チェイサーにまつわる話はデミの店で説いた通りだ。

『誓い? チェイサーに成り下がるような輩が堅実な未来? 考えられないな。そいつがどんな色男だったのかはしらねぇが、一山当てて一生遊んで暮らそうって企む輩だ。そんな約束を本気で口にするとは思えないね。過ぎた夢は夢のままが一番だってのは賢人の言葉さ。悪いことは言わない。忘れてさっさとうちへ帰りな。これ以上やっても、あんたのためになるとは思えないな』

 吐き出せば、険悪と狭められてゆく彼女の眉間に案の定の結末を感じ取る。居心地の悪さにアルトは、取り出した無煙タバコのパックから一本引き抜き、あえて大きな音を立て火を点けていた。

 しかしその音にかぶさり聞こえてきたのは、鼻であしらうような女の声だ。

『まさか』

 無煙タバコの先端にあてがったパックもそのままに、女へ視線を上げていた。

『彼はチェイサーなんかじゃない。彼は……!』

 言いかけて女はグラスを掴み上げ、傾けた中が空であることに気づき言葉を切る。燃料が切れては話にならないと言わんばかりだ。やおら席から立ち上がっていた。

『新しいのをもらってくるわ。あなたも必要?』

 見ればガスも抜けつつあるアルトのクォークトップは、底から指一本ほどになっている。断る理由がないならおのず返事は曖昧となり、聞いてか聞かずか身を翻した彼女は個室を抜け出していった。その手に新しいグラスを二つ握って女が戻ってきたのは目に付いた最後のルナ落花生サラダを綺麗にさらえ終わったあとで、そのひとつをアルトへ差し出し、向かいへ腰をおろすなり勢いよくグラスをあおった女は続きを繰り出す。

『彼は、うちの社員だった』

 そんな彼女の目元でさざめくウロコ模様は、決してアルコール度数の低くない二杯目に今や淡く赤らんでいる。

『それも有能な、ね』

『なんだ、あんたは会社経営者様ってワケか』

 そうして突き付けられた指の前、アルトも二杯目をあおる。無煙タバコのフィルターをかんだ。

『いいえ。社長は父よ。期待して、彼をよくうちへ遊びに来させていた。それがわたしたちの仲を深めた理由でもある』

『とはいえ、まじめな奴が突然キレるってことは昔からよくある話だぜ』

『彼をそんな風にいわないで』

『こりゃ、失礼』

 アルコールにまどろんでいようと鋭い瞳は健在で、刺されてアルトは肩をすくめ返す。

 そんなアルトから女は視線を剥がした。手元へ落とした視線はうって変わって弱気と映り、やがて実に懐かしい言葉は吐き出される。

『なにもかもツーファイブメディカルの違法実験のせいだわ』

 よもやここでその社名を聞かされるなどと、アルトこそやおら息をのんでいた。同時に握られた彼女の手へ、力が込められてゆくのもまた見て取る。

『あの事件以来、全てが変わってしまった』

 そうだ。

 当時、新進気鋭の創薬会社として幅を利かせていた『ツーファイブメディカル』の違法実験は、その後、連邦内のラボ『F7』に追い掛け回されるきっかけとなっている。

 恐らくそれが一目置かれる理由でもあったのだろう。秘密裏に行っていた禁止生物実験に失敗した『ツーファイブメディカル』は処理に困り果て、ウィルスの蔓延したラボをマニア垂涎の骨董AIサーバーだと情報改ざん。ギルドを煽ることでラボをジャンク屋たちに処理、解体させようと企んだのである。

 無論、意気込みお宝回収に乗り込んだアルトら四名は滅菌ゲル送りとなり、そこでID代わりに解析されたDNAが公安のリストと合致。長らくアルトの所在を捜し求めていたラボ『F7』へ手掛かりを与えていた。おかげでアルトは封印したはずの記憶を再び吐き出さなければならぬ事態に陥ると、ネオンやデミ、サスたちをも巻き込んで、己の原初を奪われかねない目にまであわされたのである。

 そのうえ彼もまた「大事なもの」を失ったというのなら、『ツーファイブメディカル』は全くもって罪な会社だといえよう。

 そんな会社を引き合いに出した女へ思わずアルトは聞いても分かりはしないだろう、と思い込んでいた問いを投げかけることにする。

『あんたんちの、会社ってのは?』

 握った拳で怒りを潰した彼女が、顔を上げていた。

『ハーモニック創薬よ』

 とたんアルトの口から口笛は吹き鳴らされる。

『今じゃ、業界ナンバーワンじゃねーか』

 だが女におごるような気配はない。その表情は、だからこそ沈みさえしていた。

『ええ。仮死強制に使用されるミストの成分の一部を作っていたのは、うちとツーファイブメディカルだけだった。だからツーファイブメディカルがあの件で業務停止、廃業になって以来、うちが百パーセント供給するようになって本当に飛躍的な発展を遂げたわ。彼はそんな製造ラインの増設主力メンバーで、今に落ち着くまで会社に多大な貢献をしたひとよ』

 どうやらその有能さはホンモノらしい。

『だけど、いいことばかりじゃない……』

 ピンク色のウロコを貼り付けた頬はとたん、不釣合いなほど強張っていった。だとして理由などいくらも世間を渡り歩けば察しがつき、アルトは余計な口を挟みそうになったところで慌てて無煙タバコをきつく吸いこむ。

『そんなうちに対する世間の目も、扱いも、何もかもが短い間で一度に変わった。手のひらを返したようにね。中小企業のワンマン経営者だった父は、おかげで心を病んだように猜疑心の強いひとへと変わってしまったわ』

 これは彼女に言わせて正解だったとひとりごちる。だからしてようやく自分の番が回ってきたとアルトは口を開くことにしていた。

『金の集まるところに、ひとも集まるもんだ。確かにチェイサーよりも安全に一攫千金を狙えるからな』

 ついでとクォークトップを舐める。

『その最中よ。彼がわたしにプロポーズしてくれたのは』

 なるほど、とうなずき返した。

『彼だって社長の娘と結婚するのだから、それなりの生活の見通しが立ってからと思っていたのね。確かに頃合だった。万が一にも今後うちが倒れることは考えられなかったし、それ以上の発展と安定も約束された時だった』

 振り返る女の表情はいっとき緩み、しかしながら続くことなく小さく肩をすくめて首を振る。

『だのに父は、彼が野心づいたと……娘と結婚して、ゆくゆくは会社をのっとろうだなんて、どうしてそんな風にしか考えられなかったのかしら』

 重たげに額へと手をあてがった。

『彼は自分のポジションに満足していたし、そんなことをしなくとも、それなりに将来は開けていた! おかしいのは父よ! だから妙な条件をつけて彼を遠ざけようなんてバカなマネばかり!』

 払いのけてグラスの中身を一気にあおる。叩きつけるようにおろされたグラスの底がテーブルで固い音を立てていた。

『それが積乱雲チェイサーってことなのか?』

 顔をアルトはのぞきこむ。

『最初は仕事だった。無能な奴に娘は渡せないと言って。でもクリアする彼にどんどん要求はエスカレートして、積乱雲鉱石を用意しろと言い出した。それがわたしたちの婚約指輪に。新薬の礎だとも。指輪ならなんだってかまわない! 会社のためだとしても、開発の方向性すらまるで定まっていなかったのによ!』

 吐き出せば吹き荒れる不満も尽きたか、最後、ため息だけが名残のように彼女の唇を割って出る。

 聞きながら、アルトは前のめりだった体を引き戻していった。だいぶ短くなった無煙タバコのフィルターを唇の端から端へ転がしてゆく。

『どうもあんたの彼ってのは、クソ真面目な奴そうだからな。それこそ頭の使いどころだってぇのに』

 侮辱されたところで、今の女には聞こえないらしい。

『もちろん単独でゆけるわけがない。だから彼は見つけた積乱雲チェイサーと手を組むことにしたの。航行費用は自分が持つ。回収に成功したときは、謝礼も弾むってことを条件に』

 だがその先を綴ることこそなかった。

 それこそいわずもがなの展開だ。

 体言して女もすでに唇を噛んでいる。

 アルトは無煙タバコを手に取り、グラスを傾けた。そうして仕方なく言ってやることにする。

『そいつは、ご愁傷様だ』

『後で積乱雲鉱石の価値を知って分かったわ。だからすぐに気づいた。彼はそのチェイサーに利用されたんだって』

『ああ、奴らにしちゃ素敵なパトロンだったろうよ』

 だとして女は目も合わさない。

『しばらくのうちは連絡があった。けれどそれも途絶えて』

 いつしか二本目の無煙タバコも指先で燃え尽きようとしている。

『いてもたってもいられなくなった』

 彼女の言葉を継いだなら、指を焦がす前にそれもまた灰皿へと押し付けた。

 うなずきはしなかったが、そんなアルトの手元を眺めて空いた会話の空白は肯定の証となる。

『石が見つかれば彼は用なしのハズよ。チェイサーがわたしにプレゼントするようなマネはしない。換金するに決まっているわ』

『だから今日のようなマネを? そいつは大企業のご令嬢様がするようなコトじゃないね』

『そのチェイサーを探し出せば、きっと彼の行方も分かる』

 互いに突き付け合えば、睨むような間は空く。

『ご名答だ』

『だからって積乱雲鉱石だけが手掛かりってワケじゃないわ。ほかに、ふたり連れのチェィサーがいたって話をいくつか聞いている。でも船の名前がバラバラで、どれが彼の船なのかまるで見当がつかない』

『ふたり連れ? 珍しいな』

 もちろんそれは後々、金を巡って起きるトラブルのタネになるからだ。

『だからガセかも。確かなことは……』

『言ってみろよ』

 だとしてものはためしである。促していた。

 ならよほど何度も口にしたのだろう。彼女は酔いが回っているにもかかわらず、詰まることなく複雑な船名を次々と並べ挙げてゆく。

 と、聞けば聞くほどに珍妙にひん曲がっていったのはアルトの顔だった。

 なぜなら覚があったのだ。

 そう、その全ての船の名に。

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