ACTion 02 『もどかしきは、大人と子供』
『なぁんだ。じゃあ、骨折り損のくたびれもうけだったんだね』
危機一髪のきわどい話も、ひとごとであればほどよい刺激の冒険談に過ぎないのだろう。鼻溜を揺すってデミは、マイクロスコープを片眼に挟んだままの顔を上げる。剥き出しとなっているもう片方の目で笑ってみせた。
『笑い事かよ。なら、ついでにこのでかいコブも換金してくれ。結局、こいつが一番の収穫だったからな』
冗談じゃない、と吐き捨てアルトは後頭部を指し示す。
そう、ここは念願かなったデミの店。新たなギルド加盟店舗、その換金窓口だ。
あの一件のち、飛ぶように物理特優大学『サポジトリ』へ戻ったデミは、提出する予定だった『擬似重力と内圧の開放過程における光粒子波形の変化について』のレポートを無事提出すると、物理理光素学部をめでたくもこれまた一期飛び級で卒業していた。
卒業成績は学内で二位。
当事者いわく、あの一件さえなければ一番だったハズだ、ということだ。
もちろんそのまま研究者として大学に残ることも、ましてや破格の給金で引く手あまたの各種有名企業へ就職することも、はたまた政府の中央機関へ、構成する優勢二十三以外でありながら組み入ることも可能なデミだったが、当初の志とおり祖父であるサスの後を継ぐべく、こうして加工惑星『Op1』の『デフ6』開拓地域でギルド商人としての第一歩を踏み出している。
そして何をかくそうこの店は、借金苦からサスがトラへと売り渡した、かつてはサスとデミが住んでいた店舗ビルだった。ネオンとの同居が決まったため手狭となり、引越しが必要となったトラが卒業祝いにデミへ進呈したのである。
現在トラとネオンは同じ『Op1』のほどなく離れた別民族開拓地域に住んでおり、遠隔取引から対面式へ改装されたそこは今やデミによる、デミのための、デミの店舗として、着実に経歴を積み上げだしていた。
年端もゆかない子供に一店舗任せる、などと思い切ったサスの決断を知ったときは驚かされもしたが、可愛い子には旅をさせろ、と言い切るサスの眼差しこそ真剣そのもので、アルトも密かに旅路の伴走者になることを決めている。
きっかけにサスは表立っての仕事から引退すると、デミの顧問を務める傍ら、長年の付き合いから無下に切ることのできないジャンク屋との取引のみを続けるようになっていた。
そう、いついかなる時でもの時は流れ、時代は変わりゆく。
感じ取りながらアルトは、ライトEMUに拒まれたカタキをとるかのように心行くまでコブをさすった。
様子を眺めてまたもや小さく笑うデミの手元には、先ほどからそうまでしてアルトが持ち帰ったあの基盤が握られている。カウンターの上には、その後、見つけたいくつかのパッとしない品々もまた船から剥がされ並んでいた。
『残念でした。ぼくの店は持ち主と切り離せないものは扱ってません。換金の際は、商品単体で扱える状態にしてから窓口へお持ちください』
話すデミの素振りだけは、もういっぱしのギルド商人だ。思わずアルトはちぇ、と小さく舌打ちしていた。
『でも、ツイてるよ』
などと鼻溜を振るデミのそれは、どこかで聞いたセリフだ。
『何が?』
たとえサスが相手をおだてる時によく使う言葉だろうと、ここはひとつ聞き返してやることにする。
『うん……昨日からこの辺りの金と銅の値段、上がってるんだ』
目の窪みに食い込ませるように固定していたマイクロスコープを外したデミは、側面に連なるボタンを押し込んでみせた。目の高さへかざせばマイクロスコープの中央から一筋の光は伸び上がり、扇状に広がって、あおぐように素早く左右に振れだす。あっという間に残像はつながると、先ほどデミが目にしていた物の立体画像は浮かび上がっていた。
何千倍にも拡大された基盤の表面に並ぶ分子が、モザイク柄を作り出している。所々、その規則を乱して不純物の川は流れると、実に有機的に風景を歪めていた。デミはしばらくそんな映像を睨み続け、時に手首を捻っては回転させ、全体を見回してゆく。
と、弾かれたように鼻溜を振った。
『うん! この純度ならいつもの五パーセント増しで引き取れるかもしれない。相変わらずツイてるね。アルトは!』
マイクロスコープの映像を切るなりアルトへ投げる。
『冗談。ツキだけじゃ、とうの昔に干上がってるぜ』
ならば精算だと、アルトは懐をまさぐった。端数だけを当座の費用として手元の決済カードへ、残りを総合口座へ振込んでもらうことにする。
『ま、そのうちお前にも俺のスゴさが分かるってもんだな』
応じてデミもカウンターに埋め込まれた端末を弾き、買取価格の集計を始める。
『あ、なんだかジャンク屋はみんな、そう言うみたい』
『無駄口たたいて間違えるな』
『うるさいなぁ、もう。わざと少なく出しちゃうよ』
言い合えばそこでデミの手は止まっていた。
『出たか?』
『うん。全部合わせれば、おじいちゃんのところの支払い、これで完済できるみたい。遅れてるんでしょ?』
言うまでもなくおじいちゃんことサスへの支払いとは、『フェイオン』を脱出した時に受けた船のメンテナンス資材やら何やらを購入したその代金だ。
『よかったら、このままぼくが振り込んであげようか』
間違いがないか再度確認を済ませたデミの顔が端末から持ち上がる。
『残りで新しい塗膜セットは?』
アルトは確かめた。
『うーんと』
イルサリの報告にもあったように、現在格納庫に眠るアルトの船にはフジツボのような鉄の結晶が無数と張り付いている。放っておいてはロクなことにならず、麺テンスは必須だ。
『お釣りが出る』
『いくら?』
『二百八十GK!』
『にひゃく……ッ』
思わず喉を詰まらせていた。
さて、ここで計算してみよう。一食三GKの激安定食を食べたとしても、一日に必要な食費は九GK。その他維持経費を合わせて一日二十GK必要だとすれば、二百八十GKとは地球時間換算で二週間もつかどうかという、透けそうなほどに薄い儲けで間違いなかった。
見て取ったデミがまたもやグチを聞かされるのではないかと、即座にキュッと鼻溜を結まらせる。
『ぼくだってさ、アルトだから精一杯勉強してるんだよ』
それこそ昨日今日、この世界に入ってきた輩にいわれたくないセリフだろう。だがここで自分こそサスに頼まれ、デミに経験を積ませんがため商品を卸しにきてやっているんだ、などと大人気ないことはい言えはしない。
『なッ、た、にひゃ……』
どちらにせよ、この回収に関しては失敗だったのだ。アルトはそれ以上の言葉を胃の腑へ、いやそれ以上、下へと落とし込む。
『ク……クソッ』
『どうするの?』
知る由もなく、デミが決断を迫っていた。
仕方なくつまみ出した決済カード諸共、その手をカウンターへ叩き付ける。
『振り込み、頼む。で、塗膜セットひとつ。残りの駄賃は、こっちのカードだ』
『まいどアリー。おじいちゃん、喜ぶよ』
『うるせえ、俺はサスを喜ばせるためにジャンク屋、やってんじゃねぇ』
鈴を転がすようなデミの声へ背を向けていた。腹立ち紛れに、アルトはどっかとカウンターへもたれかかる。
『あ、それね、憎まれ口っていうんだって』
諭すデミは嬉々としたものだ。つまりどうやらさしあたっての課題はデミの作業が終わるまでいかに毒づかずにおれるか、のようで、クリアすべく組んだ両腕に、眉間に、唇に、アルトはありったけの力を込める。
と、だいぶ慣れてきたのだろう。
『……アルトはさ』
精算作業の間、これまでピクリとも鼻溜を揺することのなかったデミが、初めて切り出してみせていた。
『アルトは知らないだろうけどさ……。って、ぼくの話、聞いてる?』
答えずにいれば、せっつかれる。
『おま、聞こえねぇワケないだろ。だからなんだよ。さっさと振り込め』
『もう』
目も合わせず返せば背でデミはなじり、経て聞かされた話はアルトにとってまるで身に覚えのないものとなる。
『アルトは知らないだろうけど、あのあとアルトのせいで大変だったんだからね』
『あ? あの後? 俺のせいだ?』
『そうだよ』
『おねえちゃん、アルトにチューしたでしょ?』
『だったらどうしたよ』
それは『アーツェ』での別れ際、ネオンがアルトへ靴代の代わりだと残していったものだ。
『ぼく、最初、意味が分からなくてヒトの文化、調べたんだよ』
『そりゃ、さすが優等生だな』
『茶化さないの』
いさめられて、むっとしていた。
『だってさ、おかげでおいちゃん、すっかり落ち込んじゃってお仕事しないし、ゴハンも食べないし、おねえちゃん用の靴ばっかり買っちゃって。かと思ったら、ずっとおじいちゃんに通信つなげてたんだって。元に戻すの大変だったんだからね』
どうやらその原因が自分にあるのだ、と言いたいらしい。さすがのアルトも、ふんぞり返っていたカウンターから身をよじる。
『待てよ。それが俺のせいだって? お前、それ、ヤクザの因縁か何かか?』
と、滞ることなく作業を進めていたデミはぴたり、動きを止めた。
『ねえ』
呼び掛けると同時に向けられるのは鋭い眼差しだ。
『おねえちゃんはアルトのこと、好きなの?』
『は?』
ままに睨み合うこと、いくばくか。
『だってネットで見てたら、チューは好きなも者同士の特別な挨拶だって載ってたもん』
だとすれば短絡すぎやしないか。その豪快すぎるショートカットに、とたんアルトは首根っこをカクン、と折る。
復活するまでしばらく。
どうにか頭を持ち上げることに成功したのは、このどうでもいいやり取りに精一杯の誠意でもってして対応することを、最大級の良心でもってして決意したせいだった。
『あのな、調べが足んねーぞ、優等生。本土へ戻りゃ、そこかしこでやってらぁ』
『でもさ……!』
『でもさもあるか。何の話かと思えば』
確かにあれから幾らも経つが、ネオンとは数度、通信越しに言葉を交わした程度だ。互いに忙しいとはこのことで、双方共、可能な限りの移動範囲をさすらうような毎日に偶然出くわす可能性すら残されおらず、全くもって風の噂にその健在ぶりを聞くばかりとなっていた。
『おいちゃんは絶対そうだっていうんだ』
『いつもの被害妄想だろ』
『おねえちゃんは、はっきり教えてくれないし』
『あいつ……』
『ねえ? 違うの?』
こぼすアルトを再び振り向かせて、デミがカウンターへ身を乗り出す。
『しつこい。違うっつったら、違う』
『じゃ、特別なチューする好きになる、ってどんなの?』
『そ、そりゃお前』
思わず記憶を辿ってみる。
『こう、むらむらっと……いや、ゾクゾクっと』
が、どこか無理があった。
『なんだ、もやもや、ん? ふらふらっと、か? 違うな。こう、なんだ、その……』
連ねて、明らかに方向が違うことを自覚してみる。
と、止まっていたデミの手元へ、振込転記の済んだカードは吐き出されていた。
『ねえ?』
『あん?』
手にしてデミはカードをアルトへ差し出す。
『アルト、欲求不満?』
鼻溜を振った。
返す言葉が見当たらない。
『……う、うるせー。それこそガキに言われたくねー、つーんだッ』
カードをアルトはもぎ取っていた。
とたんデミから聞こえた、しゅんという音は単なる例えでもなんでもないだろう。いつもなら鼻溜を振り返しこそすれ、気圧されることなどないデミはそこで空気を抜かれたように小さくなってみせる。
『アルトもそんなこと言うんだ』
呟いていた。
『子供は、店なんか持たないもん』
すねた調子でつけくわえもする。
『ど、どう、した?』
頑ななその響きに、アルトは目を瞬せる。とたんデミは受けた屈辱に耐えるかのごとく、ぎゅっと縮めた鼻溜でこう振っていた。
『だから早く大人にならなきゃダメなんだ。ぼく、早く、大人になりたいだけなんだもん!』
訴えは、しばしアルトを唖然とさせる。
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