けじめ-3

 リーフの姿を見つけた客たちが、一人二人と会話を打ち切って粘着質な視線を投げる。リーフがゴッソたちの机の前に来る頃には、ダンスホールほどの広さを誇る、この酒場中の魔族たちの視線が集中していた。


「よ……よぉリーフ! 無事だったのかよ!? オレたちはそのぉ、ちょっとゴタゴタがあってよ、今から助けに向かおうと……」


 いかに純真なリーフを相手と言えど、今回ばかりはゴッソの下手な演技が通じなかった。それもそのはず、ここは酒場。一週間もリーフを放置しておいて、酒のジョッキを片手に赤い顔をしている時点で何を言おうと遅すぎる。


 リーフは机の上に散乱した酒やツマミの食べカスを見下ろし、ゴッソたちに視線を戻すと、つぶやくように言った。


「僕は、だまされたんですね」


 怒った風ではない。ただ静かに失望した顔だった。妙な圧力に、ゴッソたちの肌がピリピリ痛んだ。


「今までのことを、謝ってくれたのも、全部ウソだったんですね」


 静まり返った酒場の空気を、切り裂くようにゴッソは怒鳴り上げた。


「あぁそうだよ!! 当たり前だろうが、お前みたいな気色悪ィやつ、誰が好きこのんで外回りに誘うってんだよ!?」


 どっ、と酒場中がわいた。リーフを指差し笑い転げる者。ゴッソと一緒になって怒鳴り散らす者。酒場を揺らすほどの騒ぎ。リーフの味方なんて、誰ひとりいなかった。


「どうやって出てきたか知らねえが、ちょうどお前のムカつくツラ、殴りたくなってきてたとこだ。今日からまた、無限サンドバッグよろしくなァ!!」


 丸太のようなゴッソの腕が振り上げられ、うなりを上げてリーフの顔に襲いかかる。


 ところが炸裂する寸前、拳が空を切った。手応えのなさにゴッソは前につんのめって、危うく転びかける。何が起きたかすぐには分からなかった。殴るはずだったリーフの顔が、拳一個分右にずれている。


 リーフが、パンチをかわしたのだ。かわしたことにすら気づかないほど、最小限の動きで。


「てっ、てめぇ!!」


 両拳を握り、めちゃくちゃに乱打を繰り出すゴッソだが、その目でしっかり攻撃を見切り、リーフは全てを紙一重で回避する。全く、当たらない。風に舞う落ち葉を相手にしているみたいだ。空振りのパンチを繰り返すたび、ゴッソの顔がますます真っ赤になっていく。


「何発くらってきたと思ってるんですか? そんなパンチ、今更止まって見えますよ」


「く、クソが、クソがクソがクソがぁ!! お前ら何ボケッとしてやがる、加勢しねぇかァッ!!」


 怒鳴られ、慌てて手下のゴブリン二人も棍棒を持って加わったが、三人がかりでもリーフの体にかすり傷一つつけることができない。しまいにはゴブリン同士が衝突し、互いの棍棒を頭に食らって卒倒してしまった。


 酒場は再び、静まり返っていた。


「あ、ありえねぇ……ありえねぇだろうがぁぁぁぁぁッ!!」


 とうとうゴッソは、机に立てかけていた槍を引っ掴んでリーフ目がけて突き刺した。オークの腕力は魔族でも上位。ゴッソ自慢の【強化魔法】で穂先を強化した槍は、岩をも容易く貫通する威力だ。オレンジ色の光をまとった槍の先端が、リーフの首筋に襲いかかる。


「――……ぁ?」


 信じがたいことが起きた。


 リーフの差し出した手のひらに受け止められた槍が、彼の手に触れた瞬間から、業火に砂糖細工を突きこんだように、粉々に崩れて消滅してしまった。


 長さ半分以下になってしまった槍を見つめて、ゴッソは不細工に顔を歪め、鼻を鳴らした。


「今まで、僕は、我慢し続けていれば、優しい心を失いさえしなければ、どんな相手とも分かり合えると思っていました」


 ドス赤い光を発するリーフの右手に、酒場中が悲鳴を上げる。


 なんだ、その魔力量は。ゴッソは滝のように汗をかき、身震いした。信じられない魔力の密度。触れた瞬間に、跡形もなく蒸発してしまいそうなほどの。


「でも間違いだった。こっちをハナから見下してるやつを相手に、我慢し続けても、許し続けても搾取さくしゅされ続けるだけだ。優しさだけでは何も変えられない。【創造魔法】だけで人の傷を治せないのと同じように」


 鮮烈に赤く輝く、右手をゴッソに近づけて。


「まずは、壊さなきゃ。あんたと僕との間の壁を。じゃなきゃ言葉が、届かないだろ?」


 ポン、とリーフの手がゴッソの肩に乗った。その瞬間、ゴッソの左半身が蒸発するように消し飛んだ。

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