何にもなれないジョーカーは

折原ひつじ

第1話 終わりの始まり

 戦争の足音というのはじりじりとにじりよってくるくせに、いなくなる時はパッといなくなるものだ。逃げ足の速い奴め、とテンは小さく歯噛みする。

 そんなことをしたってもうどうにもならない。テンたちの国、ミハズ王国は敵国と平和条約を結び、昨日までの日常だった戦争はあっという間に過去のものとなったのだ。

 それを聞かされたのはいつも通り兵士を何人か殺したあとの、午後のことだった。兵器人間であるテンにはどこにも傷は見当たらない。しかし返り血まみれで身につけた軍服は所々赤いシミができていた。

「今日午前十一時半、我らが王国とエクセラ王国との戦争が終結しました……国からの使者が来るそうですから、さっさと身体を洗って身なりを整えてください」

 そうテンに告げたクイーンの薔薇色のまつ毛はわずかに震えているようだった。落胆か、怒りか、喜びか。それを窺い知るには判断材料が足りなくって、「なぁ」と声をかけて触れようとすれば、彼女の眼鏡越しのエメラルドの瞳がますます険しさを増す。

「ちょっと、返り血がつくからやめて……もう、いいからシャワー浴びてきてください」

 姉のような口調でたしなめるクイーンはいつも通りのツンケンとした様子を取り戻していて、それに内心で安堵の息を吐きながら「はいはい」とテンはおざなりに返事をした。

 それと同時に部屋のドアを控えめにノックする音が彼の耳に入る。クイーンが返事をすれば部屋に入ってきたのはテンの相棒、ジャックだった。燃えるような赤毛が目に入るたび、テンはほんのわずかに気を緩ませるのを本人は気づいていないようだが。

「おかえり、テン。今日もお疲れ様」

「うん。まあ、今日で終わりみたいだけどな」

 そう返せば、ジャックは困ったように眉を下げて笑う。その拍子に横で結えられた三つ編みが揺れる様は、ジャックの機嫌を表すバロメータのようだなとテンはひとりごちた。

「こら、俺にも挨拶してくれよ」

 ジャックの後ろから背の高い影がぬっと姿を表す。褐色の肌と黒髪の彼……エースはまごうことなき美青年であった。それがほんのちょっぴりテンは気に食わないのは秘密だ。大丈夫、オレだっていつかあれくらい大きくなる。

「いいですよ、うどの大木は無視して」

 テンが何か言うより早くクイーンがバッサリと切り捨てる。そんな憎まれ口を叩かれたにも関わらずエースは形良いまなじりを緩ませてクイーンの顔を覗き込んだ。

「俺のハニーは今日もつれないな。愛してるよ」

「誰がハニーだ。人の女に手出すなよ」

 後ろから思いっきり脛を蹴られたエースの大きな体躯がぐらりと揺れる。その向こう側に立っていたのはキングだった。

 左目は髪の毛で隠れてはいるものの、顕になった右目の眼光は小柄であるにも関わらず強い光を放っている。少年然としている姿だが、チームの中で一番の実力を誇っているのは彼だった。

「このクソガキ……」

「よぉ、今までお勤めご苦労さん」

 悪態を吐きながらうずくまるエースをもう一度足蹴にした後、キングはテンに向き直る。

 その言葉を聞いても、未だにテンの中では戦争が終わったと言う実感は湧いてこなかった。ほうけるテンの金髪を雑にガシガシと撫でると、キングは歯を見せて笑う。

「まあ、いきなり言われてもわかんねえよな。正直僕もだ……詳しい話は奴に聞こうぜ」

 そう言ってキングはテンの後ろを真っ直ぐに指さす。その手に導かれるようにテンが後ろを振り返れば、そこには真っ白な髪をした青年が音も無く立っていたのだった。

「うわ!」

 いつのまに背後を取られていたのだろう。驚いた拍子に足をもつれさせたテンの腕を、力強くその青年が掴む。そうすれば肌も髪も白い彼の中で唯一真っ黒な瞳と瞳がかち合って、テンの心臓がどきりと跳ねた。

 そのまま体勢を持ち直したのを見届けてからゆっくりと彼が口を開く。

「ジョーカーと言います。国の命令で貴方達に話をするべくここに来ました」

「……立ち話もなんですから、どうぞ奥へ」

 クイーンに導かれるままに歩を進める彼の白い手が赤く染まっているのを見て、テンは小さく歯噛みする。お役人の使者だなんだか知らないけれど、返り血まみれの自分に触れて汚してしまったことで何か不利に事が運ばなければいいけれど……

 そんなテンの心配も虚しく、ジョーカーは腰を下ろすと紅茶を出す間もなく語り始めた。そうすれば一瞬で場が緊張に包まれる。

「貴方達には二つの選択があります。人間としてこれからの平和な世を生きていくか……」

 重めの前髪から覗くオニキスの瞳が痛々しげに歪められる。そしてゆっくりと彼は口を開いた。

「……戦争兵器として処分されるかです」

「随分なご挨拶だな、オイ」

 しっかりと腰を据えているジョーカーとは対照的に、浅く腰掛けてふんぞりかえるように座ったキングがギラリと瞳を光らせる。

 一瞬即発の気配を感じて、ジャックは小さくため息をついた。

「……喧嘩を売りにきたわけではないんだよね?」

 そう助け舟をだしてやれば、言葉に迷っていたジョーカーがようやくセリフを続ける。

「もちろんです。自分は同じ兵器人間として貴方達の選択を手助けしに来ました」

 そして先程テンに触れたせいで汚れた右手を差し出すと、淡々と一つの誘いを口にしたのだった。

「これから一ヶ月、人間として生きるための練習をしましょう」

 こうしてテンたち兵器人間に、一ヶ月の間に人間としての生活を取り戻すという任務が与えられたのだった。

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