小人の物件探し
三山 響子
1
手から滑り落ちた茶碗がフローリングに吸い込まれて破滅するまでスローモーションのように見えたが、救いの手を差し伸べる余裕はなく、黙って看取る事しかできなかった。
ガシャーン!
やってしまった。奮発して購入した有田焼。一秒前まで熱々の白米を迎え入れるためにドンと構えていた洒落た格子柄の茶碗は、今や大小様々な破片と成り代わり、無残な姿で散乱している。
「痛っ」
破片をつまんだらちょうど角の鋭利な部分に触れてしまい、人差し指の腹にうっすらと線が入った。じんわりと滲み出た血は徐々に量を増し、ティッシュで止血を試みても次々と溢れ出てくる。
バツイチ独身、四十歳。2DKに一人暮らし。
経営している不動産賃貸仲介業が客足が伸び悩んでいるのが目下の悩みだ。
平日はほぼ家と職場の往復。家庭を持つ友人とはすっかり疎遠になり、休日も時々行きつけのバーに行くくらいで基本は一人で過ごす日々。
おまけに腰痛が慢性化しつつある。
決して不幸アピールをしたい訳ではない。悩みはあれど人並みだと思う。
それでも、臼井は自分の人生に虚しさを感じていた。それは職場の同僚やお客さんとの談笑や美味しいお酒や面白いテレビ番組でも埋める事ができず、増殖するがん細胞のように臼井の体に広がっていたが、治療法は分からず悪化の一途を辿っていた。
こんな人生を思い描いていたんじゃないんだけどな。この退屈で孤独な生活が死ぬまで続くんだろうか―――
回収した破片がビニール袋の中でガチャガチャ立てる音を聞きながら、臼井はもう一度溜息をついた。
*
その日は珍しく来客が多かった。終礼後、臼井は一人店に残ってカウンターで残務処理を行っていた。
帰宅しても特にする事もないし、明日は定休日だから今夜はゆっくり過ごせる。これが終わったらついでに物件情報の掲載準備も進めておこうか―――
黙々とキーボードを叩いていると、キイ、という音と共にひんやりとした夜風を肌に感じた。顔を上げると、店のドアが十センチ程開いている。もう店は閉めたのに来客だろうか。しかし、誰も現れないままドアはまたゆっくりと閉まった。
おかしいな。誰かいるのか? 猫でも入ったんだろうか。臼井はカウンターから身を乗り出そうとした。そして、わあ、と声を上げて椅子ごと後ろに飛びのいた。
「やれやれ、ドアを開けるだけでも一苦労だ。もっと客の事を考えてくれねぇか? 店員さんよう」
カウンターの向こうから現れたのは、人間でも猫でもなく、手のひらサイズの小人だった。
カウンターの上にちょこんと座り込んでいる小人を、臼井は丸五秒間無言で凝視した。
小人はよく見たらおじさんだった。背丈は十センチ程度、つるりと禿げている頭のてっぺんとは対照的に眉毛は濃くて太く、瞳は黒目がちでビーズのよう。どの職場にも転がっている平凡な中年サラリーマンみたいな風貌だ。ただ、服装はスーツではなく上下緑のジャージ姿だった。あぐらをかいて店内を見回しながら、何やらムニャムニャ呟いている。
混乱気味の脳みその隅っこでぼんやりと思い出した。
小さいおじさん。国内で度々目撃談のある妖精の一種。今まで興味を持った事もなかったが、もしかしてこいつが噂の妖精?
臼井は妙に冷静になって考えを巡らせていたが、突然キンキン声で話しかけられて再び飛び上がった。
「オイ、聞こえてるか? もう少し開けやすいドアにしてもらえないかね」
「はい、かしこまりました。申し訳ございません」
珍客相手に接客モードになってしまった。まあいい、向こうは客のつもりで来ているのだ。ここまで来たら乗っかってやろう。臼井は椅子に座り直した。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「決まってるだろう、部屋を探しに来たんだ」
「ご来店ありがとうございます。私、ハローハウスのアドバイザー臼井と申します」
「ハハン、お前さんの頭にぴったりの名前だな」
この野郎。自分の事は棚に上げてやがって。俺はまだ生え際の後退が始まったばかりだ、つるっぱげのお前にそんな事を言われる筋合いはない。心の中でギリギリと歯軋りする。
小人は臼井が差し出した名刺を賞状授与式の時のように両手を広げて受け取った後、すぐさま尻の下に敷いて再びあぐらをかいた。無礼な態度に苛立ちながらも、臼井は営業スマイルを続行した。
「どのようなお部屋をお探しですか?」
「場所は北区。ワンルームで、風呂にゆっくり入りてぇから浴室がちゃんとあって、酒がすぐに手に入るところ。最低限こんなもんかな」
「なるほど。ちなみにご予算は?」
「予算? オレに出せない金はねぇ。家賃の上限は気にしないでくれ」
思いきりドヤ顔をされた。気にしないでくれだと? 何よりも一番気にしなければならない最重要事項だ。そもそもこいつはお金を持っているのだろうか。どう見ても我々と同じように生計を立てているとは思えない。
とはいえ初っ端から疑うのも失礼なので、ひとまず話を進める事にした。キーボードを叩き、何件か見繕う。
「こちらの物件はいかがでしょうか。十条駅から徒歩五分、築六年、家賃七万五千円。バストイレ別、近くに酒屋もございます」
「いいねぇ。綺麗な部屋だな」
臼井がディスプレイに映し出した物件の内観をちら見すると、小人は腕を天に伸ばして大きく欠伸をした。
「もしくはこちらの物件はいかがでしょう。王子駅から徒歩十分、築三年、家賃八万円。こちらもバストイレ別、近所にスーパーあり、さらに追い焚き機能と浴室乾燥も付いています」
「うんうん、住みやすそうだな。どっちも案内してくれい」
小人はごろんと横になると、頭を片腕で支えながらテレビを見る時のような姿勢でディスプレイを眺めた。
こいつ、本気で部屋を探す気あるのだろうか。真剣に探している自分が段々馬鹿みたいに思えてくる。
「じゃ、今から連れて行ってくれよ」
「申し訳ございません。本日はもう営業終了しておりまして内見はできません。明日も定休日なので―――」
明後日はいかがでしょうか、と言いかけてやめた。こんな珍客を接客している姿を他の従業員に見せるのは躊躇われる。そもそも他の人にもこいつの姿が見えるのか疑問だが、いずれにしても通常の営業時間帯にこいつの相手をする事は避けた方がベターだ。
「―――失礼しました。明日の午前十時にまたお越しいただけますか」
「おう、わかった。よろしく」
小人はぴょんと立ち上がり、臼井に向かって片手を挙げると、名刺を置きっぱなしにしてカウンターの向こうに姿を消した。
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