あなたが好きでいてくれるから
俺に思い切りクッションを投げつけた烏丸は、肩で息をしながら、般若の形相でこちらを睨みつけていた。
「か……烏丸さん?」
烏丸の突然の奇行に、ひかりは呆気に取られていたが、俺はそれほど驚かなかった。ああ、そうだよなあ。そうじゃねえかと思ってたよ。
烏丸百合花は水無瀬ひかりのことが憎いわけじゃない。むしろ逆に、このうえなく憧れてやまないのだろう。
少し考えれば、容易くわかることだった。烏丸は俺に話しかけてはきたけれど、振ってくるのはほとんどひかりの話題だったし、常にひかりのことばかり気にしていた。ひかりの真似をしていたのも、単純にひかりのようになりたかっただけなのだろう。
「烏丸さん……私のこと、嫌いじゃないの? 私から悠太のこと奪おうとしてるんじゃ……」
「そ、そんなわけないじゃない! そもそも、水無瀬さんの彼氏じゃなかったら、こんな男微塵も興味ない!」
「……本気で失礼な奴だな。こっちから願い下げだ」
さすがにカチンときて言い返したが、烏丸はこちらを見ようともしない。瞳をらんらんと煌めかせた烏丸は、ひかりの両手をがしっと握りしめた。
「……私っ……本当は入学したときからずっと、水無瀬さんに憧れてたの!」
「は、はあ……」
「美人で頭も良くて、いつでも凛としてて、そんじょそこらの男には靡かない高嶺の花で! こんな素敵な人がこの世に存在するんだって、こんな風になりたいって、ずっと思ってた……!」
烏丸はうっとりと蕩けた表情で、ひかりのことを見つめている。ひかりへの想いを拗らせすぎた結果、立派なジェネリックひかりが完成してしまったのか。
「……それで、私に告白してきた男の子たちと、片っ端から付き合ったりしてたの?」
「だって、水無瀬さんのこと好きな人に悪い人はいないと思って……」
「それはまた、極端な……」
「でも、結局水無瀬さんに選ばれなかった人間なんだなあと思うと、途端につまらなく思えてダメだった」
少しも悪びれずにそんなことを言ってのけた烏丸に、俺はげんなりした。ひかりに振られた数多の男たちに同情するつもりはないが、あんまりな言い草だ。
「ずっと水無瀬さんとお近づきになりたいって思ってたから、三年になって初めて同じクラスになれて、本当に嬉しかったの……でも、緊張してうまく話しかけられなくて……それなら上牧くんと仲良くなって、水無瀬さんの話いろいろ聞きたいなって」
「そ、そんな理由で悠太にちょっかいかけてたの?」
「……ごめんなさい。ちょっかいかけてるつもりはなかったんだけど……ネックレスも、純粋に水無瀬さんとお揃いにしたかっただけなの!」
俺は溜息をついた。ある意味、ひかりに負けないぐらいにめんどくさくて不器用な女だ。そんなやり方、ひかりからの好感度が下がるだけだと少し考えればわかるだろうに。
他人から好意を向けられるのが苦手なひかりは、熱烈な告白に表情を引き攣らせていた。今までにないパターンのため、露骨に拒絶するわけにもいかず、余計に戸惑っているらしい。
「好きな人の……水無瀬さんの好きな人だから、きっと私も好きになれるって思ってた。全然魅力がわからないけど、水無瀬さんが選んだ人だから、絶対素敵な人なんだろうなって……」
「……」
「……でもね、どこがいいのか全然わからなかった!」
烏丸はそう言って、ビシッと俺に人差し指を突きつけてくる。他人を指差すなよ、つくづく無礼な奴だな。
「水無瀬さんには、もっとイケメンで背が高くて年上で眼鏡の似合う高学歴の男と付き合ってほしかった! よく見たら顔はまあまあだけど……なんでこんな目つきの悪い地味な男と!? 解釈違いなのよ!」
烏丸のこの発言には、俺よりもひかりが腹を立てたらしい。ムッと眉を寄せると、俺の背後にさっと回り込む。そのまま、後ろからぎゅうっと抱きしめられた。
「解釈違いってなに? 私の悠太のこと悪く言わないで!」
ひかりに庇われている俺のことを、烏丸は親の仇でも見るかのような目つきで睨みつけている。ここまでの憎悪を、よくぞ今日まで隠し通してきたものだと思う。こいつは俺に話しかけながら、内心はらわたが煮え繰り返るような思いをしていたのだろう。
俺にしっかりと抱きついているひかりを見て、烏丸は悔しそうに唇を噛み締めた。
「……水無瀬さんも、こんな人だと思ってなかった」
「え?」
「私の知ってる水無瀬さんは、もっと気高くていつでも余裕で落ち着いてて……」
「……」
「こんな子どもっぽい人だと思ってなかった!」
「おい、なんだよそれ」
思わず口を挟むと、烏丸がここぞとばかりに俺に噛みついてくる。
「……そもそも、あなたと付き合い始めてから水無瀬さんがおかしくなったんじゃない!」
「はあ?」
「……みっともなくヤキモチ妬いて、彼氏相手にデレデレしちゃって! 私はこんな水無瀬さんのこと、見たくなかった……! 私の憧れてた水無瀬さんを返してよ……!」
烏丸の言葉に、思わず拳を握りしめた。一方的な虚像を押し付けておいて、それが現実と違ったから失望するなんて、あまりにも身勝手だ。
――……みんな、ほんとの私を知ったら、こんな人だと思ってなかった、って離れていっちゃうから。
いつだったか、ひかりが言っていたセリフだ。憧れと失望は表裏一体である。他人からの好意を嫌悪しているひかりは、他人から嫌われるのを誰よりも恐れている。
最近のひかりは、ようやく友人たちにも素の顔を見せられるようになってきたというのに。俯いて身を震わせるひかりを見ていると、目の前の女への怒りがふつふつ湧き上がってきた。
さすがに腹に据えかねた俺は、一喝してやろうと口を開く。しかし俺より先に、ひかりがすくっと勢いよく立ち上がった。氷のように冷たい目で、烏丸のことを見下ろしている。
「……悪いけど。あなたが好きな〝私〟のこと、私はずっと嫌いだったの」
「……え?」
「猫かぶりで見栄っ張りで、素直になれない私が嫌いだった。本当の姿を見せずに取り繕っておいて、自分のこと好きになってくれる人のこと、何もわかってないくせにって拒絶して……最低だよね」
ひかりは平坦な声で、淡々と語り出した。ひかりが己に向ける嫌悪を、俺以外の人間に話すのは珍しいことだ。烏丸は息を詰めて、ひかりの話を聞いている。
「でも私……悠太と一緒にいる私のことは、好きなの。子どもっぽくて、ワガママで、ヤキモチ妬きで、めんどくさいけど……」
そこで言葉を切ったひかりは、俺の方を見て微笑んだ。へにゃ、という効果音でもつきそうなアホっぽい笑みは、俺が一番好きな顔だ。
「……それでも悠太はそんな私のこと、絶対嫌いになったりしないって、言ってくれるから。私ね、悠太が好きでいてくれる〝私〟が好きだよ」
……ちくしょう、とんでもない殺し文句だ。
自分のことをこの上なく嫌悪していたひかりが、俺のおかげで、自分のことを好きになれたと言ってくれた。これ以上嬉しいことが、他にあるだろうか。
こみ上げてくる感情で胸が詰まる。耳の辺りにともった熱が、じわじわと顔面に広がっていく。今ここに烏丸百合花がいなければ、俺は可愛い恋人のことを力いっぱい抱きしめていただろう。
ひかりは烏丸に歩み寄ると、じっと顔を覗き込む。烏丸は頰を染めて、気まずそうに俯いてしまった。
「やっと好きになれた〝私〟のこと、他の人に否定されたくない」
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で謝罪した烏丸の肩を、ひかりはガシッと勢いよく掴む。憧れの美少女からじいっと至近距離で見つめられた烏丸の顔は、みるみるうちに真っ赤になった。
「ところで、烏丸さん。その髪型とメイクなんだけど……」
「……は、えっ、え?」
「烏丸さん、頭の形が綺麗だからきっとショートも似合うよ。リップの色も、もっと青みのあるピンクがいいと思う! アイラインで猫目っぽくしてるんだろうけど、せっかく可愛い垂れ目なんだから活かした方がいいんじゃない? 」
「……か、可愛い? そ、そうかな?」
ひかりから褒められて、烏丸は焦茶の髪をくるくると弄りながら照れている。意外と単純な女だ。
「別に私、あなたが誰の真似してもいいと思う。でもあなたは私が持ってないものを持ってるんだから、それを全部捨てちゃうのはもったいないよ! ねっ」
そう言って、ひかりはニコッと明るく笑いかけた。人形のような口角だけを上げる笑みではなく、素のひかりに近い、目元が柔らかくなる笑みだ。
「は、はい……」
至近距離でひかりの笑顔を食らった烏丸は、ぽうっと蕩けた表情で頷く。瞳にハートマークを浮かべた彼女を見た俺は、なんか余計なライバルが増えた気がするな、と内心冷や汗をかいた。
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