私を嫌いなあなたが大好き

織島かのこ

本編【この恋、地獄行き】

上手に息の根を止めてくれ

 死刑宣告を待つ囚人というのは、きっとこんな気持ちなのだろう。


 俺の頭に浮かんだのは、いつだったか古い映画で見た死刑執行のシーンだった。斬首台に頭を乗せた囚人は、恐怖に満ちた表情で、最期のときを今か今かと待っている。執行者がロープを切った瞬間に、勢いよく落ちた刃が囚人の首を跳ね飛ばすのだ。

 今俺の目の前でナイフを持っているのは、クラスメイトの水無瀬みなせひかりだった。俺をどのタイミングで殺すのかは、すべてこの女の手に握られている。ぱっちりとした瞳をさらに大きく見開いて、長い睫毛をばしばしと揺らして瞬きをする。いやはや嫌味なほどに完璧な美少女である。


「ねえ上牧かみまきくん、今なんて言ったの」


 小首を傾げる仕草も愛らしくて、つくづく吐き気がする。わざわざ訊き返すところが嫌味な女だ。そもそもこんな人気のない校舎裏に呼び出された時点で、何の用事かなんて大方察しがつくだろうに。

 俺は短く息を吸い込むと、先程と寸分違わず同じセリフを、少しの感情も乗せずに繰り返した。


「……俺、水無瀬さんのことが好きだ。付き合ってほしい」


 ひどい棒読みだ。どうやら俺は、役者にはなれないらしい。

 俺の背後から、野次馬の隠しきれない下卑た笑い声が漏れ聞こえてくる。この音量だと、もしかすると水無瀬にも聞こえているかもしれない。別に、聞こえていたって構わない。

 誤解なきように言っておくが、どう贔屓目に見ても地味で冴えない俺が、目の前にいる美少女に片想いをしているわけではない。俺だって、それぐらいの身の程は弁えている。

 要は、よくある悪趣味な罰ゲームだ。どう足掻いても俺たちでは手の届かない高嶺の花に、告白して玉砕してこいと。仲間内でのトランプゲームで最下位になった俺はギリギリまで拒絶したが、結局断りきれなかった。よって俺は、高嶺の花に無様に振られるザマを悪友たちにニヤニヤと見守られている。


「……上牧くんが、私のことを?」


 水無瀬は戸惑ったように目を伏せた。ああ、そういうポーズ別にいいから、ひとおもいにさっさと殺してくれねえかな。

 才色兼備の水無瀬ひかりは、これまでにも数え切れないくらいの告白を受けているらしいが、そのすべてを笑顔で一刀両断しているらしい。学校一のイケメンと名高い先輩も、文武両道の同級生も、読者モデルかなんかをやってるらしい後輩も、水瀬ひかりの前では無力だった。もはや今この学校で水無瀬に挑むのは、よほどの命知らずだけである。

 下を向いてもじもじしているのも、どうせあざとい演技だろう。胸の内ではきっと、俺のことを嘲笑っているに違いない。早くトドメを刺してくれ。俺はあんたのことなんて、これっぽっちも好きじゃないんだ。

 意を決したように顔を上げた水無瀬が、じりじりとこちらに近づいてくる。赤いチェックのスカートが、六月の生ぬるい風を含んでふわりと揺れた。目の前でぴたりと足を止めた水無瀬が、真正面から俺の顔を見つめる。宝石のように綺麗な焦げ茶色の瞳は、吸い込まれそうなほどに透き通っていた。

 さあ早く、そのナイフを振りかざしてくれ。そうすれば、俺のこの苦痛に満ちた時間は終わるんだ。明日からクラスの女子から蔑むような視線を向けられるかもしれないが、それくらいは些末なことである。どうせ俺は、女子とほとんど関わりがないのだから。

 水無瀬ひかりは白い頰を薔薇色に染め、口角を完璧な角度できゅっと上げた。


「……嬉しい。私でよければ」

「はあ?」


 一瞬、水無瀬が何を言っているのか理解できなかった。言葉は耳に入ってきたのだが、いつまでたってもその意味を咀嚼できない。俺の思考がストップしているうちに、水無瀬はうっとりと目を細める。


「お付き合いしてくれると、嬉しいです」

「……いやいやいや、ちょっと待て」


 ようやくゆるやかに脳が回転し出すと同時に、俺の背中に冷たい汗が流れた。一体何の冗談なんだ。背後にいる野次馬たちの野太い悲鳴が聞こえる。あいつら、もう隠れる気すらねえな……。


「さすがに、冗談だよな?」

「どうして?」

「……えーと、水無瀬……さん。まず、俺の名前知ってる?」


 俺の問いに、水無瀬はうんうんと何度も頷く。


「上牧悠太ゆうたくんだよね。同じクラスだもん、もちろん知ってるよ」

「え、知ってんだ……」

「私もずっと、上牧くんのこと気になってたの」


 そう言ってはにかむ水無瀬を見つめながら、俺はどこか冷静な頭で「いやいやそれはさすがに嘘」と思っていた。高嶺の花の美少女が、いつも男同士でつるんでいる冴えない俺を好きになることなど、世界がひっくり返ってもあるはずがない。

 俺と水無瀬はこの四月に初めて同じクラスになったが、この二ヶ月半ほとんど会話を交わしていない。俺はクラスの女子と関わろうとしなかったし、いつもカーストトップの連中に囲まれている水無瀬と俺とのあいだに、接点なんて微塵もなかった。


「あの、水無瀬さん……」

「上牧くん、これからよろしくね」


 ちょっと待て、なんだか話がどんどん予期せぬ方向に転がってないか。俺は慌てて、ネタバラシをしようと口を開く。


「あ、ちょっと待って……これ、実は」

「それじゃあ、また明日ね!」


 水無瀬は俺の静止も聞かず、ひらりとスカートを翻して去っていった。ご機嫌な薔薇色のオーラをふわふわ振りまいて、今にもスキップでもしそうな勢いだ。俺の両足はその場に縫いつけられてしまったかのように、ぴくりとも動かない。


「おい、悠太! どういうことだよ!?」

「え、おまえもしかして水無瀬さんとグル!? 大掛かりなドッキリか!?」


 背後から飛び出してきた男連中が、勢いよくヘッドロックを仕掛けてきた。ギリギリと首を絞められながら、俺は呆然と呟いた。


「……いやいや……さすがに、ありえねえよな?」


 俺だって、にわかに信じがたい。今にも水無瀬ひかりが「ドッキリ大成功」の看板を持って戻って来るのではないか、と思っていたのだが、いつまでたっても彼女は姿を現さない。

 ――早く戻ってきて、さっさと俺にトドメを刺してくれよ。

 ギロチン台に頭を乗せたまま生き長らえてしまった俺は、ただただその場に立ち尽くすしかなかった。

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