第4話 文化祭

 ある日、とぼとぼと家に帰る途中、急に体が重くなったように感じた。自分の影が重くて、引っ張られるような感じ。影を引きずって歩いているような感じ。

 気のせいだろう。疲れているんだ、と思った。

 しかし、影の重力を感じることが続いた。影がちょっと膨らんで、実体を持つように見えることもあった。妙に自分の影が気になる。どうしたんだボクは、と思った。

 文化祭が近づいていた。クラスの出し物として、喫茶店をやることが決まった。ただの喫茶店では面白くないので、メイド喫茶をやろう、ということになった。アリスは嫌な予感がした。

 誰がメイドをやるか、話し合われた。真っ先に名前があがったのは、女子の誰かではなく、アリスだった。

「まずは、アリスでしょう」

「アリスくんだよね」

 異論を言う者はいなかった。誰もが賛成した。マリモは当然だという顔をしている。不知火もうなずいている。

「あの、ボク、嫌です・・・」アリスは必死で言った。「メイドの格好なんて、できません・・・」

「絶対似合うぜ、アリス」マリモが言った。「アリスの女装見てぇーっ」

「おれも見たい」不知火もはっきりと言った。腐女子との噂がある三島桃花という女生徒がきゃーっ、と叫んだ。

「アリスくん、やってよ」

「おまえがやらなかったら、がっかりだ」

「頼むよ、アリス。おまえがメイドやったら、売り上げ倍増だよ」

 口々に言われて、拒否できなくなった。押し切られ、アリスはメイドをやることになった。落ち込んだ。心底憂鬱になった。文化祭の日に大地震が来てほしい。

 マリモもメイドの一員に選ばれた。彼女はアリスと一緒にメイドをやることが楽しみなようで、嬉しそうだった。

 コスプレもやる桃花が、メイドの衣装を作ることになった。彼女はアリスの身体をメジャーで測った。

「がんばって作るからね。アリスくんのは特製を作る。楽しみにしててね」

 少しも楽しみではない。鬱になる。

 アリスは影がさらに重く感じるようになった。心の病気になったかもしれない、と思うほど憂鬱で、体が重かった。

 文化祭当日、大地震は来なかった。華やかな高校文化祭が始まってしまった。

 アリスは桃花が作ったメイド服を着た。純白のヘッドドレス。ちょっとスカートが短い黒と白のフリフリのメイド服。胸元のピンクのリボンがアクセント。レースの靴下。ピカピカの革靴。薄く化粧したアリスは天使降臨と思えるほど可愛かった。

 マリモはうっとりとアリスを見つめていた。このときは何も茶化さず、ただ見惚れていた。不知火はアリスに近づき、「似合っている」と言った。クラスメイト全員が同感だ、というふうにうなずいた。

 光り輝くようなアリス。しかし内心は暗黒だった。影が重かった。アリスは絶望の淵に追い込まれていた。彼はうわべは上手にメイド役をこなし、クラスの喫茶店の華となった。客は皆、アリスに注文を取ってもらいたがった。たくさんの写真を撮られた。「こっち向いて」とか言われて、心の中は最悪だった。消えてしまいたかった。一歩あるくごとに、影が重量を増していくように感じた。

 文化祭が終わり、メイド服を脱いだとき、自分が半端じゃなく疲れていることに気づいた。体が鉛のようだった。

「アリスーっ、一緒に帰ろうぜ」とマリモが寄って来て言った。

「嫌だ」とアリスは答えた。昏い声で。

「ど、どうしたんだ、おまえ」

「マリモちゃんなんか嫌いだ。ひとりで帰る」

 マリモは愕然としていた。アリスからはっきり拒絶されたのは初めてだった。彼女は動揺し、「ご、ごめん・・・」と小さな声で言った。

 アリスは答えず、マリモに背を向けた。

 ひとりで帰宅の途についた。夕陽がアリスを照らし、影が長く伸びた。異変が起きたのはそのときだった。めまいがして、体がぐるんと反転したように感じた。

 倒れたみたいだ。アリスは地面に伏していた。

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