ヒメゴト

 昼から学校の日は、朝は少しゆっくりできる。昨日夜遅くまでバイトだったから目覚ましもかけずにひたすら寝て、起きたら10時を少し回ったところだった。そろそろ起きて掃除でもしようか。そう思い怠い体を起こしリビングに向かった。


「あ、おはよう」

「おは、よう……」


 リビングのドアを開けると、私服で優雅に寛ぐ透くんがいた。新聞片手にコーヒーを飲む姿は文句なしにカッコいい。ソファーに浅く座り長い脚を組んで。普段コンタクトだから眼鏡姿も珍しい。ボケッとそんな姿を見ていると、透くんはふっと笑った。


「コーヒー?欲しい?」


 私はフルフルと首を横に振りリビングを出て洗面所に向かったのだった。歯磨きをしようと鏡に向かって。そこに映った自分の姿を見る。

 ダボダボのTシャツを着て、しかもそれはパジャマにしているから首のところが少し伸びている。その上、髪はボサボサで目は少し腫れている。今美しい光景を見たから鏡に映る自分が更にみすぼらしく見えて泣きそう。ぼんやりとしながら歯磨きをした。

 リビングに戻って食パンを焼く。たまにはカフェオレでも作ろうかと思ったけれど牛乳がなくて諦めた。それにカフェオレも牛乳にコーヒーを少しだけ混ぜたものしか飲めない。変に大人ぶらずにいつも通りココアを飲むことにした。そしてようやく気付く。


「あれ、透くん仕事は?」

「今更かよ」


 クスクスと笑った後、透くんは今日はビルの点検で休みなのだと教えてくれた。なるほどそんなこともあるのだな。そんなことを考えていたら、透くんがキッチンに入ってきた。何となくあまり見慣れない私服姿に気恥ずかしくなる。


「今日三限から?」

「うん」

「バイトは?」

「ない」

「じゃあ飯でも食いに行くか」


 透くんはマグカップを流しに置いて、私のほうを向いて立った。キッチンに少しだけ寄りかかって。イケメンは何をしても様になるから腹が立つ。


「何食べに行くの?」

「うーん……、しぃの食べたいものでいいよ」

「考えるの面倒くさくなったでしょ」

「しぃは気遣わなくていいから楽だよ」


 笑いながらキッチンを出て行った透くん。私以外に、気を遣わなければいけない人とご飯に行くこともあるのか。気を遣うということは。その人によく見られたいということ?考えていたら落ち込んできたので考えるのをやめた。焼きあがった食パンにお気に入りのいちごジャムを塗ってココアと一緒にテーブルに運ぶ。そして次は本を読み始めた透くんを横目で見て食べ始めた。


「休みならどこか出かければいいのに」

「んー」

「彼女作れば?」

「んー」


 本当は、私が知らないだけで誰か女の人とご飯に行ったりデートに行ったり付き合ったりしているのかも。透くんは昔からあまり掴み所のない人で、あまり本心を見せない。透くんに嘘をつかれたら絶対に見抜けない自信があるし嘘をついていることさえ分からない。私がついた嘘はすぐに見破られるのに理不尽だ。

 本に集中しているらしい、透くんの横顔は真剣そのもの。何となく余裕を崩してみたくなるのは仕方のないことだと思う。

 私は食べかけのパンを置き、ソファーに座る透くんの隣に座った。そして太ももに手を置いてみる。透くんの表情に変化はない。

 顔を覗き込んでみる。「んー?」と一応反応したものの視線は本に向かったまま。

 透くんの膝に頭を乗せて寝転んでみる。透くんは私に目もくれず本を読み続ける。「重い」とは言われた。そんな反応望んでない。

 こうなったら強行突破だ。私は本を持っている腕の中に入り込んだ。透くんの太ももに座って抱きつく。腰に手を回して斜め上にある透くんの顔を見上げると。


「……」


 変わらず本を読んでいて落胆した。なんだ。つまんないの。何の反応も返ってこないことで興味をなくし、私は朝食を再開させることにした。……のだけれど。腕から抜け出そうとした体は片手で簡単に抱きとめられた。本はいつの間にかソファーの前のローテーブルに置かれていて、大きな手がショートパンツから出た脚を撫でている。


「何、構ってほしかったの」


 目が合った透くんは口角を上げていて、反応を見せなかったのはわざとだったのだと気付いて一気に恥ずかしくなる。「朝ご飯途中だから」と逃げようとするも、動けない。透くんはクスクスと笑ったまま顔を近付けて。深いキスをされてしまえばもう何も言えなかった。クラクラとするほどの甘く深いキス。その隙に右手はTシャツの中に入り、左手はショートパンツに侵入する。ビクンと跳ねた体に透くんは満足そうに笑った。


「したいならしたいって言えば」

「っ、違う、もん」

「じゃあ何?こんな格好で、ブラも着けずに。襲ってほしいようにしか見えない」


 透くんはTシャツを丸めるようにたくし上げ、胸を露出させる。確かに寝る時はブラは着けないし、着替える時にようやく着けるけど。何だかこうやって指摘されてしまうとすごく恥ずかしい。鎖骨の辺りで頼りなく揺れるTシャツは、それでも落ちてこない。


「んっ、ああっ」


 吸われながら舌で責められ、甘い声が上がってしまう。


「まだ朝だよ、しいちゃん」


 透くんが意地悪に笑った時、そばに置いてあった透くんの携帯が鳴った。透くんは何の躊躇いもなく携帯に手を伸ばす。そして画面を確認すると、チラッと私の顔を見て通話ボタンを押した。すぐに唇を塞がれソファーに押し倒される。電話はいいのだろうか。


「英太くん、迎えに行ったほうがいい?」


 ……英太くん?今英太くんって言った?青ざめて必死で逃げる私の腰を掴み、電話を肩と頬で固定し、もう片方の手で脚を掴む。透くんのお腹を押すけれどビクともしなくて。透くんに組み敷かれたまま、私は必死で声を抑えた。


「土曜日の夕方ね」

「っ、ふぅ、んっ」


 聞こえていないだろうか。電話の向こうの英太くんに。口から洩れる甘い声。

 透くんは普通に会話しながら私を見下ろす。何かに縋りたいのに片手は口を押さえてもう片方は掴まれているからそれもできない。透くんのギラギラとした瞳が、私を見据える。


「ん?しぃ?目の前にいるよ。代わる?」

「っ、」


 無理!無理無理!絶対に無理!必死で首を振ると、透くんはそれでも電話を差し出してくる。嫌がった私の胸の上に落ちた携帯から、英太くんの声が少しだけ聞こえた。「静菜」と呼ばれたような気がして。久しぶりに聞いた声がまさかこんな状況でなんて。ゾクゾクと何かが背中を這い上がる。透くんは電話を持ち、掠れた声で言う。


「しぃ今手離せないみたい」


 と。透くんに掴まれていた手が解放されて、私は透くんに手を伸ばす。その手はまた指に絡め取られ、噛み付くようなキスが降ってきた。


「……うん、分かった。じゃあ土曜日にね」


 ようやく電話を切った透くんは何事もなかったかのように私の額にキスを落とす。大学まで送るよ、その言葉に頷いて、私は目を閉じたのだった。

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