31.
使者と一緒にツゲヌイの倒れた場所まで行くと、気を失っていた。もしや死んだのかと慌てて脈をとると、うっすらと目を開けた。使者が傷を確認し、出血の割には深い傷ではないが膝の骨が見えていると言う。少し触るだけでも大仰な悲鳴を上げるツゲヌイに、痛みに慣れていない男の弱さを知る。
「肩を貸しますので、ロバまで歩いてください」
使者とサウビが両側から支え、森を歩かせた。ツゲヌイが恨みの言葉を吐き散らすたびに、使者はひどく冷たい声を出した。
「どうしてこうなったのか、説明していただけますか。私を置き去りにして、どうしようとしていたのか」
もちろん説明などできるはずもなく、ツゲヌイにできる抵抗は足の力をすべて抜くくらいのものだが、そうすると木の根に当たる衝撃で激痛が走り、また血が噴き出す。
ふたりがかりでも片足に力の入らない男を運ぶのは大変で、時間がかかった。
「ここからなら、村のほうが近い。一度僧院に戻りましょう」
おとなしく草を食みながら待っていたロバの荷車にツゲヌイを乗せたとき、使者がそう言った。
「いや、バザールまで行ってくれ! 何日も店を閉めていたら、儲けが減ってしまう」
金はしっかり溜め込んでいるくせに、休んでいる分の売り上げが惜しいらしい。その足でどうやって商売をするつもりなのかと、サウビは滑稽なものを見ている気分になった。
「行っていただけますか。バザールでは夜中でも診てくれる医者がいます。戻ればまた、村の僧院に迷惑を掛けますので」
不安げな使者に頷いて、ロバを出させた。どうせツゲヌイは言い出したら聞かないし、自分が言ったことなのだから身体が辛くても使者のせいにはできない。ただひたすらに怖ろしかった男が滑稽に見えはじめたことが、愉快に感じる。
痛い痛いと騒いでいたツゲヌイは、草原を半分も進んだころに静かになった。使者の手当てが適切だったらしく酷い出血はおさまっていたが、マントにもじわじわと血が滲んでいる。おそらく半ば失神していたのだろう。
途中の休憩で無理矢理水を飲ませた以外は、ツゲヌイは何も口に入れず、サウビと使者は枯れた草が続く草原を急いだ。二度と目の前にあらわれて欲しくないとは願っても、他人の死に無関心ではいられない。日が暮れかけた草原の風は冷たく、時折何かに怯えるロバを宥めながらカンテラを頼りに進む。バザールに到着したころには、日をまたぐような時間になっていた。
草原とはうって変わってそちらこちらの店に灯りが点るバザールの中は、サウビには懐かしいものではない。二度と通らないと思っていた道を通り、医者の看板を探す。酒場で喧嘩した者や夜の店のトラブルで、盛り場の医者は夜中でも扉を開けてくれる。運び込む時に触れたツゲヌイの手は、冷たくなっていた。
「ああ、傷口が汚いな。まず開いてよく消毒して、と」
正気付いて痛みに暴れまわるツゲヌイを助手に抑え込ませ、医者は手慣れたように傷口を開き消毒した。途端に噴き出す血を見たくなくて、サウビは下を向く。
傷口を縫い合わせて処置が終わったころには、ツゲヌイは魂が抜けたようにおとなしくなり、処置台の上で声も出せずに横たわっていた。さすがに気の毒になったが、どこに運ぼうかという話になる。
「お嬢さん、あんたの顔も酷いねえ。薬を塗ってあげるから、ちょっと待っておいで」
医者に指摘されて改めて鏡を見ると、サウビもまだ頬が腫れあがり、目の周が青く痣になっていた。
僧院に運び込もうかと使者とサウビが相談していると、ツゲヌイが口を挟んだ。
「家に行ってくれ。明日は店を開けなくちゃならん」
「その怪我で、どうやって生活するつもりなんですか。手伝ってくれる人がいるんですか」
使者が冷静に返す。
「そこにいるだろう。ウスノロだが、家の片付けくらい」
ツゲヌイの言葉が終わらないうちに、サウビは笑い出した。
なんて馬鹿な男に、怯えていたのだろう。サウビの何もかもを思い通りにできると、まだ信じている。ぽかんとサウビを見ていた使者がつられたように笑い出し、それが良いと同意した。
「まだ離縁の届け出はしていませんからね。私はしばらく、こちらの僧院で勉強させていただくことにしましょうか」
意味がわからなくとも馬鹿にされたとは理解して、ツゲヌイの顔は怒っていた。
「早くロバまで連れていけ、ウスノロが。家に帰ったら今まで留守したぶん、働いてもらうぞ」
その滑稽さに憐れを感じるほど、サウビはもう怯えることを止めてしまっていた。
「夫の言うことを聞いてやってください。ただ私では手当てが難しいので、一度様子を見に来ていただけますか」
ツゲヌイの言いつけに従ったのだと、使者とサウビは互いに目で確認しあった。一番鶏が啼く。
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