28.
起き上がると、身体のそちらこちらが痛んだ。傷や痣はもちろんのこと、おかしな力が加わったり動けなくて強張ったりしていた分の疲労が、噴き出してきたようだ。
「無理して起きなくていいんだよ。今日は一日休んでおいで」
イネハムがサウビを寝床に追い立てようとしたが、大丈夫だと言い張った。横になるとツゲヌイの顔が浮かび、それから表情を消したノキエを思い出し、頭の中が騒がしくなる。それよりも、動けなくなるくらい働きたいと思った。
「何かさせてください」
サウビの言葉でイネハムも何か考えたらしく、たくさんの端切れを出してきた。
「そうそう、おまえさんは布を扱うのが上手なんだっけね。そうしたらこれで、何か作っておくれよ。捨てるのも惜しいと取っておいたものだから」
端切れを前にして座り、何も考えずに済むようにと針を持った。
布の花をいくつか作って、これをどうしようかと考え始めたころ、まったく考えてもいなかった人があらわれた。
「どうしたんだい、ギヌク?」
ギヌクはイネハムから水を一杯受け取り、サウビが布を広げた机の前に立った。
「僧院が呼んでいるが、行けるか」
「僧院が?」
「あの男が妻を連れて帰ると、騒いでいるらしい。拐かされた妻を救うんだと」
そんな場所にノコノコ出向いて、ツゲヌイの思い通りになりたくない。
「一緒になんて、帰れるわけないわ」
「ああ。だからその説明のために、あんたのその傷だらけの顔が必要だ」
ギヌクはとても気の毒そうにサウビを見た。
「女がそんな顔を晒すのは辛いだろうが、ノキエの訴えだけ信じるわけにはいかないと言ってる。不貞の末の話ならば、街へ帰さなくてはならないと」
イネハムが割って入り、サウビを守る形を取った。
「おまえがサウビをここまで連れ帰ると約束しなきゃ、行かせるわけにはいかないね」
ギヌクは首を竦めて頭を傾げ、苦笑する。
「わかってるよ。父さんがまだノキエに付き添ってるから、一緒に帰ってきてもらう」
そういえば、ライギヒはまだ帰ってきていない。ノキエに付き添ったままなんて、怪我でもしたのだろうか。一方的にツゲヌイを殴ったように見えたのだが。
「あの、ノキエは」
遠慮がちな質問に、イネハムはサウビの肩に手をかけた。
「ノキエは暴力に触れると、不安定になるんだよ。まして今回は自分が拳を使ってしまった。自分の中にあって見たくないものを、見てしまったんだ。せつない話だよ、悪いのは父親だけだったのに」
ギヌクも続けた。
「いつもならば、何日か作業場に籠もってやり過ごすことができるが」
今回はやり過ごせない。
「暴力を見て育った子供は、暴力で支配するやり方を学んでしまう。一番憎んでいる男から、一番受継ぎたくないものを受けとってしまっているのさ」
イネハムはやりきれないように、溜息を吐いた。
「まだ身体に無理がかかる。明日におし」
気遣うイネハムに、サウビは微笑みを作ってみせた。表情を動かすと、顔が酷く痛み、鏡は見ないことにする。
「酷いほうが僧院でも、わかってもらえるわ」
自分で対峙するのは恐ろしくとも、少なくとも僧院の中では殴られまい。拐かされたのではなく、自分が戻りたくないと言わなくてはならない。
街の中ではたくさんの人が同情してくれていたが、助けを求めたりしなかった。何故誰にも、助けてくれと言えなかったのだろう。その答えは、多分出ている。自分が何もできずどこにも行けないと、自分に言い聞かせてしまっていたからだ。
助けを求めていない人を、助けることはできない。頑是ない子供ならともかく、自分の足で歩くことのできる大人に、他人が何をどうしてやれるだろう。その人の先の人生に、関わってやれるかどうかもわからないのに。
だから、とサウビは痛む顔を前に向けた。心配そうなイネハムに、頷いてみせる。
「救ってくれた人に、不貞の濡れ衣を着せることはできないわ。ギヌクと一緒に僧院に行ってきます。大丈夫、もしも疑われたら、街からここに運ばれたときの様子はイネハムとライギヒが証言してくれるのでしょう?」
「もちろんさ。いつでも呼んどくれ」
サウビはショールを手に取り、ギヌクと共にロバに向かった。
「僧院は、ノキエの母親のことも知っている。ただ、父親の血が出たのかと心配しているんだ」
サウビの乗った荷車を曳いて、ロバは動きはじめた。
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