4.
目を覚ましたのは、薄暗い部屋の一室だった。夕方になってしまったのかと飛び起きようとすると、身体中が痛んだ。
「気がついたかい。ここはうちの寝室さ。ツゲヌイは知らないから、安心して休んでおいで」
気がつけば飾り物屋の内儀が、絞った布を顔に当ててくれていた。
「可哀想に、綺麗な娘だったのに。おまえさんがどこに行っても、これ以上酷い仕打ちは受けないよう、祈ってるからね」
ああ、夢ではなく売られたのだと、またぼんやりと思う。
「お内儀さん。私、あの人に買われたんですって」
言葉に出したら、怖ろしくなった。北の森で育ち、ツゲヌイに嫁いでからは街を見る余裕すらなくて、他人がどう生活しているのか知らない。自分を買った人間が、どんな顔なのかも覚えていない。
「あの人は腕の良い飾り職人よ。あまりたくさんは作らないようだけど。悪いけど、私もそれしか知らない」
内儀が囁くように言ったとき、寝室の扉が開いた。商売を終えた店の主人が、顔を出す。
「ツゲヌイは店をしまって酒場へ出かけたようだぞ。起きられるかい、サウビ」
内儀に助けられて半身を起すと、サウビは礼のために頭を下げた。
「あの人は……?」
自分を買った男がこの場にいないことが、不思議だった。
飾り物屋の主人は自分の娘にするように、静かにサウビの頭に手を当てた。
「俺たちは知っていたのに助けてやれなくて、本当に申し訳ないと思ってるんだよ、サウビ。おまえさんはもう少し休んで、夜明けより前にここを立つんだ。それまで匿ってくれと金も預かってるから、心配するな」
買い取った女のために金を出すなんて、どんな得があるというのか。
「ノキエは考え深い男だ。今までみたいな酷いことがもう起こらないよう、俺たちも祈ってるから」
自分を買った男の名はノキエというらしい。主人の言葉を聞いているうちに内儀が粥を持って来て、サウビに食べろと勧める。こんな風に世話をしてもらう幸福なんて、もう夢の中にしかないと思っていた。もしかしたら、夢なのかも知れない。
夢でもいい。目が覚めたら隣にツゲヌイがいて、今度こそ殺されてしまっても構わない。両親のような暖かさを、今だけでも感じたい。
次に目を覚ましたのは、まだ暗いうちだった。
「お別れだね、サウビ。もう一度、綺麗な娘におなり。元気でね」
そう言った内儀が、忘れてはいけないと布の包みを出した。
「思い出したよ。この街に入って来たときに、おまえさんはこれを肩に掛けていたね」
「ええ、お内儀さん」
まるで母と別れるような切なさが、サウビの心を揺らす。薄暗い通りには馬を引いた男が無言で待っており、腰に剣鉈を下げているのが見て取れた。
「いつかまた、会える日を」
男はサウビの腰を掬って馬の背に乗せた。
「お世話になりました。また良いものができたら、お目に掛けます」
深く膝を折って飾り物屋の夫婦に礼を言った男が、手綱を引いて歩き出す。後ろを向いたサウビは、まだ明けきらぬ通りで手を振る夫婦を見ていた。一夜だけでも、親のように護ってくれた。知る人のない土地に買われていく自分は、もうあの人たちには会うことができないのだろうか。
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