第76話 交錯する思惑

 …タッタッタッタッタッ!


「はぁっ…はぁっ…はぁっ!」


 男は息を切らしながら、長い廊下をひた走る。


 いつも誇らしげに歩いている廊下は、実際はこんなにも長かったのだろうか…と、思わずにはいられない。


 また、男は心の中には、なぜ王都魔法学校の主任学科長たる自分が、今更末端の新米教師のような全力疾走をしなければならないんだと、恨みがましい感情が沸々と湧き上がってくる。


 男が走っているのは、広い学校内のほぼ中心部に位置する“教授棟”と呼ばれる建物で、ここには当該学校のトップで総責任者でもある理事長や、その下に位置する学校長、そして汗まみれでひた走る主任学科長を含めた、各学科長の執務室等が設置されている。


 男はもはや息も絶え絶えに、その広い学科棟の最上階、またあろうことか、その最奥に設けられた、特別会議室へと向かっていた。


 やっとの思いでそこへたどり着いた男は、駆け足そのままの勢いで扉を開ける。

 ふらつく足元は、観音開きの扉の取っ手を握っていなければ、転倒していたかもしれない。

 もう少し運動すべきだな…と、本気で反省する。


 ガチャ!!


「しゅ…主任学科長サイモン、入ります…。…はぁ…はぁ…。お…お待たせいたしました、アルベール学校長!!」


「うむ、すまんなサイモン君。…して首尾は?」


 特別会議室内には、アルベールと呼ばれた王都魔法学校の学校長が、眉間にしわを寄せながら、室内中央に設置されたいかにも高級な、魔獣の革製のソファーに座っていた。


 普段あまり使われることのない特別会議室。

 既に夜間の室内では、燭台に置かれた2本のろうそくに火が灯されていた。

 

 ここを最後に使用したのはたしか数年前。

 訓練用として使用されている、学校地下のダンジョンの魔獣の数が微増しているという件で会議を開いた時か…などと思い返す。


 サイモンと呼ばれた男は、なんとか呼吸を整え、アルベール学校長の指示で、急ぎ収集してきた情報を正確に伝えた。


「…はい、例の新入生はどうやらレインフォード・プラウドロードという名で、グレンフィード・プラウドロード辺境伯の長男です。また驚くべきことに、なんとレインフォード自身も叙爵しており、現在は子爵の位にあるようです…。なんでも最近急速に発展している領地だとか…」


「…プラウドロード家か…。成程…、噂には聞いたことがあったが…やはり…」


 何やらブツブツ呟くアルベール学校長。

 かなりでっぷりと太った学校長は、短い脚を組み替えながら、サイモンにもソファーに座るよう促した。


「噂…ですか?…あ…失礼いたします」


 サイモンは、アルベール学校長の方を見ながら、自らも向かいに設置されたソファーにちょこんと腰掛けた。


「ふむ…王都より遥か南方の地、魔獣の住む森や枯れた荒野が領地の殆どを占めるエリーゼ地方。そこを治める件のプラウドロード家は、元々は男爵の家柄だったらしいのだが。…詳細は知らんが、ここ数年で大きな功績を立て続けに挙げ、一気に辺境伯の地位にまで駆け登ったと聞く。…そしてそのグレンフィード辺境伯の活躍の影には、いつも幼い息子の姿があったというが…」


「…そ…その噂なら私も聞いたことがあります…!膨大な魔力を欲しいままにし、通常ならまずあり得ないような複数属性の魔法を自在に操る、まさに神話の英雄の如き幼い魔法使いがいると…。それがまさか彼なのですか…?」


 際限無い魔力量、複数の属性への適性、…果ては異なる属性同士を掛け合わせ、新たな魔法を行使する者があるという噂…。

 そして信じられないことに、その者は魔法を詠唱を一切せず、あらゆる魔法を行使するという…。


 そんな夢のような話、あるわけがない。

 …いや、寧ろそれはだ。

 

 サイモンはそう結論付け、そんな噂を根も葉もない単なる作り話だとして、これまで一笑に付していたが…。


 学校の運営のため、そしてそこで学ぶ学生のため、日々フル稼働させている彼の頭の中を様々な思いが駆け巡る。

 

 もし仮に…万が一にも、そんな神がかった話が事実であるとするのならば、才能に恵まれず、血反吐を吐きながら地面に這いつくばって努力をしてきたこれまでの自分の人生は、一体何だったんだ…?ということになってしまう。


(認めない…。そんなこと、認められるはずがない。私は…私は…)


「…君?…おい、サイモン君?どうしたんだ?聞こえているか?」


「はっ…はい!申し訳ございません、学校長!その新入生について少々考えごとを…!」


 自分を呼ぶ声に、ハッとして我に返るサイモン。

 いぶかしげな目で首を傾げながら、ため息をつく学校長。


「…まあいずれにしても、だ。理事長がご不在の今、私と君とで、まずは彼の所属を決めねばなるまい。既に今日の水晶体検査で発現した結果については、あれだけの規模だ、ほぼ全校生徒が目撃しているだろう。希少な光や闇の属性を含め、本当に全ての属性に適性があるとすれば、一体どのクラスに所属させるべきか…」


 アルベール学校長は再びため息をつきながら視線を落とす。


「……」


 本来レインのような強力な魔法使いが世に現れることは、その国にとっては大変喜ばしい。

 望む望まないなど本人の意志とは関わりなく、その雷名が他国まで轟けば、ただそこに存在するというだけで、外交面における多大な抑止力となるからだ。

 現に国王ルーファスが、幼いレインに対して前代未聞ともいえる爵位を与えているのも、その裏返しに他ならない。


 …だがそれは国家的かつ戦略的な視点で物事を考えた場合のことであって、目の前の問題に対し、実際に第一義的に対応するのは学校をはじめとする“現場そのもの”である。

 さらにその対応に齟齬があれば、管理責任を追求されるとともに、その矛先は理事長→学校長→主任学科長と、まさに清流の如く、


「…まだ彼の実力は全くの未知数ですので、一旦ブラックタートルに所属させてはいかがでしょうか…?」


 やにわにサイモンが発した言葉に、アルベール学校長は視線を上げた。


 平素は多忙な業務に追われ、上からのオーダーと下からの突き上げを処理することに精一杯で、あまり自分の意見を言う方ではない、いわゆる中間管理職のサイモン。

 だがなぜか今日は、ごく自然に言葉が出てきた。


「あまりに前例の無い出来事ゆえ、学生の間でも不安や困惑が広がっております。ですので、既に一旦、“長期間水晶体に蓄積された魔力残滓が暴走した可能性を念頭に、詳細を調査中”ということにしております。これである程度の理解は得られるかと」


「成程…。真相は曖昧にしたまま記憶の風化を待つ…というわけか。…しかしブラックタートルへと組み込む理由はどうする?」


「心配には及びません。ちょうどブラックタートルは新入生の割合が少なくなっておりました。単純な人数の問題であれば、変に言い訳じみた理由をこじつけるよりも、余程信憑性がありますので」


 しばらく黙って考え込んでいたアルベール学校長は、スッとソファーから立ち上がると、そのままゆっくりと窓際へ移動し、真っ暗な中庭を見下ろした。

 中庭に設置された街灯が明滅を繰り返しながら、ぼんやりと光っている。


「ふむ、それが妥当な落とし所…か。よし、その案を採用しよう。……しかしサイモン君、レインフォード君のことはしっかりと監視し、逐一報告してくれたまえよ?」


 サイモンは校長の方へ視線をやる。

 中年太りの体型に、白の襟付きシャツのサイズが些か合っておらず服が突っ張っている様子が目に入る。

 また、学校長の背中越しに見える窓の外には、いつの間にか雨が降っていた。


「…と、おっしゃいますと?」


「強い薬は、病や怪我に対して素晴らしい効能を発揮する。…だがね、強すぎる薬は時として…」


「…毒にもなる…」


 不意に訪れる沈黙。

 燭台の上で揺らめくろうそくの光がやけに明るく感じる。


「…10歳そこらで叙爵し、襲い来る悪魔をも消滅させた少年だ。おそらく王国の上層部も彼の動向に関しては目を光らせていることだろう。……サイモン君、君の兄上であるセドリック宰相のようにね」


 ……セドリック。


 その言葉を聞いた瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。

 脳が沸騰し、正常な思考を失いそうになる。

 たった今学校長は何と言っていたか…、ほんの少しの違和感は、直前の言葉とともに忘却の彼方へと放逐される。

 セドリックという聞き慣れた固有名詞意外は。


「…む、すまない。君はあまり兄君とは良い関係ではなかったのだったかな?…これは失礼したね」


「…いえ…」


 セドリック・ド・スペルマスター。

 サイモンのにして、一国の宰相にまで登り詰めた男。

 類稀なる才能で、3つもの魔力属性に適性を持ち、幼い頃から大人顔負けの様々な魔法を行使した、神に愛された天才魔法使い。


 …そして…。


 …生まれてから、ことあるごとに比較対象され、幾度となく、自分自身の凡庸ぶりを心の底から痛感させられてきた忌むべき存在…。


 ふぅ…。

 

 サイモンは大きく息を吐くと、歪かつドス黒く心の中に広がった負の感情を抑え込む。


「委細お任せください。この主任学科長サイモン、スペルマスター家の誇りにかけて、レインフォードの動向監視に努めます…」


 そう言ってソファーから立ち上がったサイモンは、アルベール学校長に深く一礼すると、特別会議室を退出した。


 ※※


 再び長い廊下を歩くサイモン。

 先刻とは違い、息が上がっているようなことはない。


 サイモンは、今朝の出来事を思い返す。

 当然彼自身も、水晶体の発する数々の幻影を目撃した。

 長い教師生活の中、これまでも才能ある生徒の魔法に驚かされたことは何度かあったが、今回のそれは驚くとか称賛するとかそういったレベルの話ではなかった。

 奇跡、神の御業…そんな表現ですら陳腐に聞こえる程の、常軌を逸した数々の幻影。

 

 一体どれ程の魔力を込めればあのような結果になるのか…。

 自分にも彼のような才能があれば、或いは兄とも…。

  

「…!」


 サイモンはふと我に返り、強く頭を振って今しがたの思考を放棄する。


「レインフォード・プラウドロード…。認めん…私は絶対に認めんぞ…」


 そう呟きながら、暗い廊下の向こうへと消えてゆくサイモン。

 

 降り出した雨は未だ止まず、教授棟に打ち付ける激しい雨音は、静寂が支配する棟内とはまるで別世界のようだった。

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