第73話 おっさんは学校なんて行きませんよ!
チュンチュン。
チチチチチ。
プラウドロード辺境伯領にまた春が訪れる。
麗かな日差しと爽やかな風。
暖かな季節を待ちわびたように、たくさんの鳥たちは、皆楽しそうに歌う。
冬の間、じっと雪の下で我慢していた草花や木々の力強い新緑に生命の伊吹を感じる。
あれから5年。
俺は15歳になっていた。
身長はマッチョ父に追いつけ、追い越せとばかりに伸び、いつのまにかゆるふわ母を超えてしまった。
声も以前に比べると、ちょいと低く声変わりしたし、身体も少しがっしりしてきた。
ムキムキマッチョマンにはなりたくないので、筋トレは程々、無駄な肉が付かないようにしている程度だけどね!
母譲りの銀髪は、頻繁に散髪するのが面倒くさいので、伸ばしたまま後ろで束ねるスタイルだ。
「ふぁ〜…ぁぁ、ふぅ。朝っぱらから執務室に来いとは、一体父上は何をお考えなんだ?春眠暁を覚えずって言葉は、この世界にはないのか?」
起床後早々にマッチョ父に呼び出された俺。
今日も一日
今の状況を少し振り返る。
現在うちの領内をはじめ、グレイトバリア王国は平和そのもの。
かつて王城で帝国の手先と見られる(主に精神的にきつかった)悪魔と闘ったが、帝国関係者という証拠は何もなく、警戒警備を強化する程度しか打つ手はなかった。
また、件の帝国に関しても不気味な程に沈黙を守っている。
時折国境で警備兵同士のいざこざがある程度で、他国とも戦争は起こしていないらしい。
やっとこさ他国を攻め落とすよりも、自国の内政や国民生活を大事にしないといかんと気付いたのかな?
そうであると願いたい。
うちの領内に関しては、領民たちが以前よりもずっといい暮らしができるようになってきた。
農業や酒類や食肉、その他絹や茶葉をはじめとするエルフの特産品やブリヤート族の毛織物など、多くのプラウドロード産の商品が、エチゼンヤ商会を通じて国内の至る所に流通し、各地で好評を頂いており、かなりの収益が上がっているのだ。
他にも将来の
(…帝国ってどんなものか、一度くらい行ってみたいけどなぁ。…まあなんにしても、平和はいいことだわ)
俺はそんなことを考えながら、欠伸と背伸びをしつつ、自宅の廊下を歩く。
すると廊下の向こうに見慣れた男前が。
「おはようございます、坊っちゃま」
優雅に、かつ恭しく挨拶をするのは、執事のフリードだ。
その立ち振る舞いはいつ見ても見習うべきところが多い。
兄や姉のいない俺には、何でもできる頼れる兄のようにも思える超有能執事。
「やあ、おはようございますフリード。今日もいいお天気ですね。ところで先日お願いしてた村の地下道の補修整備はどうです?うまく進んでますか?」
「はっ。エルフ村への地下鉄道及び領内の地下通路を点検いたしましたところ、約6箇所の亀裂や壁面・天井などの剥離を確認いたしました。既に女王アリ殿の指揮のもと、全て補修は完了してございます」
「承知しました。引き続き地下通路の巡回整備をお願いしますね。あと、今日は午後から牧場の方を見にいきます。もう少し敷地を拡張したいとの相談を受けてまして。…あっ!そうだ、夕方ワッツのとこにも寄らないと!忘れたらまたぶーたれてしまいますからね」
「…委細承知いたしました」
やることは多いが、いつか楽をするため、今は頑張るのみ。
ダラダラしたいけど、仕事が嫌いってわけでもないしね。
俺はフリードに本日の予定を伝え、雑談を終えると、父の執務室へ向かって再び歩き出す。
「坊っちゃま…」
「えっ?」
後ろからフリードに声を掛けられ、俺は立ち止まって振り返った。
「…スン…。坊っちゃま…立派になられましたね…。このフリード、坊っちゃまの益々の成長を心からお祈り申し上げております。どうか…どうかお身体を大切にしてくださいませ…。私は…私は…うぅ…」
目頭をハンカチで押さえながら、もう一度フリードは丁寧にお辞儀した。
「えっ…?…あ…ああ。ありがとう…?」
俺はフリードの言葉の意味がいまいち理解できず、曖昧に笑って手を振った。
(な…なんだったんだ、さっきのフリードは…?)
俺は歩きながらもう一度、チラリとフリードの方を見る。
フリードは、俺が廊下の角を曲がって見えなくなるまでじっとこちらを見つめていた。
※※
コンコン。
「父上、レインです。入りまーす」
「うむ、入れ」
「はい。失礼いたします」
ガチャ。
バタム。
「おはようございます、父上」
俺はマッチョ父の執務室に入室し、お辞儀した。
辺境伯として毎日領内の膨大な事務を精力的にこなす筋肉もりもりマッチョマンだ。
また、以前と相変わらず父は、自宅にいる時は1日たりとも剣の鍛錬を欠かさず、日々能力向上に励んでいる。
…余談だが、俺も付き合わされている。
助けて。(涙)
「お?エリーもいるのか。おはよう、エリー」
「おはようございます、お兄様。本日もご機嫌麗しゅうございます」
爽やかな陽光がさす窓際。
そこには我がプラウドロード辺境伯家の至宝、可愛い過ぎる妹こと、エリーが立っていた。
笑顔で礼儀正しく挨拶する姿に、思わず目尻が下がり、顔がほころんでしまう。
エリーも今年で10歳。
俺のことをおにたまと呼んでいたエリーもとても愛らしかったが、今は徐々に背も伸び、その表情も少しずつ女性らしくなってきた。
控えめにいってもこの国1番…、いやこの世界…ノンノン!この宇宙で1番可愛いのではなかろうか。
「おーい、エリーの方ばかり見おって!我もおるんだぞ!?」
マッチョ父の執務室に置かれたソファーの向こうから、ぴょこっと顔を出したのは、俺の婚約者を自称する
「はいはい。おはよう、シルヴィア」
「よっこらしょ…!うむ、おはよう、レイン!!本日もいい日和だのう!春はよい!何千回迎えても心が躍る!!」
…朝からテンション高えなコイツ。
美しい銀髪をヒラヒラさせながら、腰に手を当てソファーに仁王立ちするシルヴィア。
シルヴィアに関しては、見た目は以前と全く変わらず、小さな美少女のまま。
やはり悠久の時を生きるドラゴン故だろうか。
シルヴィアは俺のことを諦めて森に帰る様子もなく、いつの間にか家に居着いてしまった。
まあ光魔力なんかをあげた時、嬉しそうに食べる姿が可愛くないとは言わないが…。
(さて、気を取り直して、と)
「ところで父上…、朝から御用というのは一体なんでしょう?これからすぐにでも領内の各施設の巡回に出掛ける予定だったのですが…」
昼まで堂々と二度寝するつもりだった俺は、さも忙しい身であるかのようにマッチョ父に問いかける。
(…フリードのあの態度や何故か父の執務室にいたエリー…。まあシルヴィアはいいとして…何か嫌な予感がプンプンするんだけどねぇ?)
「まあそう構えるな。二度寝はいつでもできるだろう?…レイン、今日お前を呼んだのは他でもない。実はな…そろそろお前に、学校に行ってもらおうと思っていてな」
「が…学校!?…ですか…?」
朝から唐突にぶっ込んでくるな、我が父よ。
今さらそんな面倒くさそうな場所にいけるかってんだよー!
「…すみません父上。僕が今朝ここに来たことはお忘れください。僕も忘れます。では」
ガチャ。
俺はサッと振り返り、部屋を出ようと執務室のドアを開いた。
だが。
「うおわぁ!?」
「あらあら、レイン。まだグレンの話は終わっていないようですけど…?」
ドアを開けると目の前にゆるふわ母が立っていた。
頬に人差し指を当て、にこにこ笑顔で凛と立つ母の姿に、思わず後ずさる俺。
「は…母上…?お…おはようございます…」
うちのゆるふわ母ミリアの容姿も依然として変わらない。
まるで時間が止まっているかのように、お肌ぷるっぷるで、張りツヤもばっちりときた。
エチゼンヤ商会と共同で開発した化粧水や乳液を好んで使ってくれているようだが、それの効能だろうか。
まだまだ後続の商品を開発中なのに、学校なんて行ってられるかってんだ。
(仕方ない、じゃあ窓からイっとくか…)
チラリ…。
俺は窓の方へ視線をやる。
だがしかし、そこには最初と同じく、エリーがにこにこ笑顔で立っているではないか。
あぁ…可愛いなぁ、うちの妹ちゃん…、じゃない!
(そ…そういうことか…。俺の逃走防止のために、わざわざエリーを窓際に立たせてたなぁ…?汚い…!父汚い!!)
「…まあ聞きなさい、レイン。毎年お前宛にセドリック宰相殿から、王都の魔法学校への入学推薦状が届いていたのは知っているな?」
父は大きくため息をつくと、机に両肘をつき、さらに顔の前で手を組んで真剣な顔をしている。
…おいおい、ここはN○RVじゃあないぜ?
「これまでは、お前が行きたくないならと丁重にお断りしてきたが、今年で15歳になるだろう?正規に入学する年齢に達した以上、もはや宰相殿の推薦を断ることはできそうにない…」
「…うーん、と言いますと…?」
キラリ。
父の目が鋭く光る。
「うむ。単刀直入に言おう。レイン、お前には王都魔法学校に入学してほしい。…というよりも、是非とも入学してもらう。…これを見てみろ…っと!」
バサバサ…ドサッ…!
父は机の下から、丁寧に仕舞われた、たくさんの手紙を重そうに取り出した。
(テレビの視聴者プレゼントかよ…。…この見たことのある封蝋は…)
「げげ…これは…」
「うむ。知ってのとおり、これはスペルマスター家の家紋。つまりこの手紙は、セドリック宰相からの推薦状の数々だ」
そういや、ちょくちょく手紙が来てたなぁとは思ってたけど…。
ってかこの手紙の量、怖えよ!!
ストーカーの人も真っ青だわ!!
「見てみろ…、初期の文面は“レイン殿を王都魔法学校へ推薦する”だが、途中から“才能溢れるレイン殿、この国の未来のため、至急王都魔法学校へ入学されたい”と変わってゆき、最後には“何故入学してくれんのだ、私に何か問題があるのか?”、“お願いだからね?入学してね?いや…してください”となり、手紙の端々に涙と思しきシミまで付いているのだぞ?…このまま捨て置けば、後々由々しき事態に発展するのは火を見るよりも明らかだ」
「いや…、ですが父上…。王都魔法学校というのは…」
「うむ。王都魔法学校とは、王都の外れに位置する広大な敷地を誇る、由緒正しき学校だ。15歳になって魔法の才能を見出された生徒たちは、その学校で3年間の寮生活を送る。そこでは貴族も平民も、たとえ王族であろうと身分の差は関係なく、皆が平等に魔法を学び、その腕を高め競い合うのだ。必須科目をはじめ、自分が興味のある事柄を徹底して学ぶことができるし、もちろん、長期休暇には自宅に帰省することもできる!」
再び碇ゲ〇ドウ…おっと!某司令官スタイルで学校を語る父。
なんだか説明じみたセリフをありがとう…。
「す…素晴らしい所なのですね。しかしながら父上、ぼ…僕だめなんです。そんなに長い間、自宅以外の場所で寝泊まりするなんてとてもとても…。知ってのとおり僕は超さみしがり屋ですし、すぐにホームシックになってしまいます。ほんの少しでも家族と離れ離れになるなど…想像できません!」
俺は胸に手を当て、必死の抵抗を試みるが…。
「ふっ…嘘をつけ。遊びや儲け話のためなら、平気で1ヶ月でも2ヶ月でも家を空けるお前が今さら何を言う。それに心配はいらん。あの学校は生徒の従者という名目で1名、使い魔名目で1頭の魔獣がそれぞれ帯同を許されているからな。シロやシルヴィア殿に一緒に行ってもらえば、ホームシックなどにはなるまい?」
二ヤリと笑う父。
くっ…。
さすがにあらかじめ逃げ道を塞いでいやがるな…。
シルヴィアが嬉しそうにピースサインしているところを見ると、さては撒き餌でうまく懐柔されたな…?
「し…しかし父上!僕には継続中の事業がいくつもございます!!現にワッツと秘密裏に進めている“広いぜ地下通路☆モリモリぎとぎと巨大ワームレース計画”はどうなるというのです!?既に競走用として巨大ワームを十数匹購入する話や、賭け金や払い戻し金額の案は詰めの段階まで…」
「あほかっ!そんな気色の悪いレースを許すわけないだろう!!せっかくの地下通路をしょうもないことに使うな!ほら、つべこべ言わず学校に行きなさい!!これは父の命令だぞ!!」
「お…横暴です!!」
ぎゃーぎゃー!
わぁーわぁー!
あーでもない!!
こーでもない!!
何がなんでも魔法学校に放り込もうとする父と、絶対に行きたくない俺。
両者の議論は平行線だ。
(こ…こうなれば致し方ない…。かくなる上は…、屋根を爆破して脱出するしか…)
だが、その時だった。
「お兄様…」
エリーがふわふわの金色の髪を耳にかける仕草をしながら、笑顔で俺に言ったのだ。
「エリー、お兄様と離れるのは寂しいです。けれど、お兄様が魔法の学校で立派に成長したかっこいい姿も見てみたいです」
かっこいい姿も見てみたいです。
…みたいです…。
…です…。
脳内で再生され続けるエリーの声。
かっこいい兄の姿…。
かっこいい兄…。
この瞬間、俺の王都魔法学校への入学が正式に決まってしまったのだった。
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