第63話 君の名は

 タッタッタッタッ…。


 シロの背中にまたがり、砂煙を上げながら、乾いた無人の荒野をひた走る俺。


「お、いたいた。いたぞシロ!あそこの高台まで行ってくれ」


 駆け上った高台から荒野を見下ろす。

 眼下には、多数のローグカウが群れをなして休んでいる姿が確認できた。

 なんとか飼育しようと試みては失敗を繰り返している、我が領の畜産の星。


 餌を求めて移動中だろうか。

 どうやら今はお昼寝タイムらしい。


「さてと…本当に大丈夫かな…?」


 俺はチラリと上空に目をやる。

 すると。


 キィィ…—————イイイン!

 ズッドォ—————————ン!!


 絶賛お昼寝中のローグカウの群れのど真ん中。

 そこにあたかも、空を切り裂く隕石の如く着地した1人の少女。

 そう、その少女は、先だってうちの家に唐突に現れるとともに、驚きの婚約者宣言をしたエンシェントドラゴンだ。


 一瞬何が起こったのか理解できず、ポカンと口を開けたままフリーズするローグカウたち。

 中には、少女の着地(もはや着弾?)の衝撃で、離れた場所に吹き飛ばされてしまった個体もちらほら。


 しかしながら、そこは彼らも一端の魔獣。

 せっかくの午睡を邪魔されたことで、相当頭にきているらしい。

 唸り声をあげながら、一頭、また一頭と起き上がると、後ろ脚でザッ…ザッ…と荒野の大地を蹴り始め、臨戦態勢を取る。


 一応ドラゴンの化身とはいえ、一見ただの華奢な銀髪少女は、早々に魔獣たちに取り囲まれてしまった。

 だが。


「おーい、レイーン!ちゃーんと見ておるんじゃぞー!!」


 自分の置かれている状況やローグカウたちの威嚇などには全く動じる様子もなく、少女はこちらへ向かってにこやかな笑顔で手を振っていた。


「ど…どうか、怪我をされないようにお願いしまーす!」


 俺も大きな声で声援を送るのだが。


「こりゃ!違う違う!!そこは我の名前を盛大に呼んで応援するとこじゃろうが!やり直ーし!」


「は…ははは。名前…ねぇ。はいはい」


 耳に右手を添えて首を傾け、俺の言葉をじっと待つ少女。


 今にもブチ切れ寸前で、目を血走らせるローグカウたちのことなんて、全く意に介しちゃあいないようだ。

 ドラゴン恐るべし…。


「…一応ちゃんと応援しないとな。また駄々をこねそうだし…?」


 スゥー…。


 俺は大きく息を吸い込んだ。

 そして。


 ※※


 時は少々遡り…。

 自宅…とはもはや呼べない、廃墟と化した我が家。


「と…という訳でですねぇ、今我がプラウドロード辺境伯領は、多数の難問を抱えているわけなんですよ」


 俺は吹きっさらしの応接間をウロウロしながら、一つひとつ少女に説明する。


 そんなしかめっ面の俺をよそに、ピクニックと称し、地面に柔らかい布を敷いてエルフの美味しい紅茶とお茶菓子を楽しむ両親。

 そして、破壊された家の破片で地面にお絵描きする可愛いエリーと、それを微笑ましく眺めるフリード。

 へ…平和だなぁ。


「ふぅむ、成程のう。要はお主は魔獣と化した牛や鶏を貪り喰ったり、森の地面に穴を開けてセンロとやらを敷き詰めてウロウロし、蟻のように振る舞いたいと、そういうわけじゃな?」


 ドラゴンは目を閉じながら腕を組んで、うんうんとうなずいている。


「…些か引っかかる言い方ですが、まあ概ねそのとおりです。さらになんの奇縁か、この国のエライさんから無理矢理に、魔法の学校に入学しろ!断ったら後がひどいぞ!?…なんてことを言われてましてね?(大嘘)…ですので、その…結婚ですか?それは5年か、はたまた10年かは分かりませんが、かなり先延ばしになるかと…」


 チラリ…。

 少女の反応を窺う俺。

 

 これだけ長期間待たされるとなると、脈無しと判断し、さしものドラゴンも気を悪くするだろう。

 まあ俺の脈を物理的に止められないかが懸念される点だが…。


「ぐっふっふっふっ!かまわんかまわん。我々ドラゴンにとっての10年など、欠伸を一つしたら終わる程度の時間故な、それこそ待つ内にも入らぬよ。我はてっきり1000年程待たされるのかと思うたぞ?」


 ソファーに腰掛けながら手をヒラヒラさせ、俺の結婚先延ばし作戦を軽く笑い飛ばす少女。

 …あかん…発想のスケールで負けた…。


「よし!では行くとするかのう」


 パン!っと両手で膝を叩き、スチャッとソファーから降り立った少女。


「え?行く?ど…どこにですか?」


「うん?牛どもの所に決まっておろうが。我も食っちゃ寝するためにわざわざ輿入れに来たわけではないぞ?しっかりと未来の旦那様の役に立つつもりで来たんじゃからな!」


 なんと殊勝な心掛け…!

 やはり根はかなりいい奴だ。

 けど俺の最終目標は食っちゃ寝だからな。

 そこのところを譲る気はないんだからね!


「いやぁ…ですから、今のところ僕たちが何回チャレンジしてもダメでですねぇ…」


「まあ良いではないかレインよ。騙されたと思うて我に任せてみい。久方ぶりに魔力も貰うたしのう、多少動きたい気分なのじゃ」


 両手を腰に当ててカラカラと笑う少女。

 こりゃ止めても言うことを聞きそうにないな…。

 下手したら駄々をこねて八つ当たりのブレスとか吐き始めるかも…?


「わかった、わかりましたよ。ローグカウやプープーチキンの大体の位置は把握してますので、様子見という形でそちらへ向かいましょうか」


 どうどう…。

 俺は両の手の平を少女へ向け、落ち着かせる。


「うむ!任せておけ!…あっ…。えーっと、それでな…。その前に1つ…お願いがあるんじゃが…」


「…?お願い、ですか?僕にできることであれば善処いたしますが…」


 先程の自信満々の姿から、急にもじもじし始める少女。

 忙しい奴だな。

 またもや腹ペコ事案か?


「な…名が欲しい…」


「…ナ?」


 首を傾げる俺。

 ナって…何?

 名前?


「そう、名じゃ。我は未だ名を持っておらぬ。レイン、お主が我に名誉ある名を与えてくれんか?」


「えっと…?エンシェントドラゴンさんじゃあないんですか?」


「たわけ。それはあくまで種族としての呼称じゃ。そこなフェンリルの幼生もシロという名を与えられておろうが。あ…あやつが名前を貰っておるのに、我だけ無名というのは耐えられんのじゃ!!た…頼む!いや、頼みます!!ほら、このとおりじゃ!」


 ガバッ!と、突然土下座を始めた少女。


 側から見れば、難しい顔をした俺が、半泣きの少女に土下座を強要しているようにしか見えない。

 絵面が悪すぎるわ!


 そんな雰囲気を敏感に察知したのか、ピタリとティータイムの手を止め、怪訝な顔をしてこちらを見る両親。

 特に母は、またもやオロオロした様子で父とコソコソ何かを話すと、付近に転がっている角材を持ち上げ、ゆっくりとこちらへ来ようとしているではないか。


 ま…まずい。

 このドラゴンが、なぜにうちのマスコットたるシロと張り合おうとするのかがよくわからんが、このままでは非常にまずい。

 …あんなもんでぶん殴られたら、お…俺の尻が割れてしまう!


「ちっ…違いますよ、母上!違いまーす!!わかりました、わかりましたから!ほら!名前を付けましょう、素敵な名前を!」


「おお!そ…そうか!?それはありがたい!!さあ、はよう、はよう!!」


 俺がそう言って駆け寄ると、一気に明るい表情で立ち上がった少女。

 まったく現金なドラゴンですこと…。


(しゃあない。こうなったからには、しっかりと名前を考えてやらねば…)


「うーん…うーん…よし。じゃあ銀色のドラゴンであるあなたにピッタリの名前は…」


「うんうん!我はお主が考えてくれた名前ならば、何でも受け入れる用意があるぞ!ほら、はよう名をおくれ!」


 目をキラキラさせながら俺を見つめる少女。

 ではご期待に応えるとしようか。


「ギンで」


「…却下。なんでそんな単純な発想になるんじゃ…」


 死んだ魚のような目をしながら、胸の前で両手でバツのマークを作る少女。


「ちょっ…ええ!?何でも受け入れる用意とやらはどこへ飛んでいったんですか!?」


「我の心にグッとこない名前は例外じゃ!」


「えぇ…、なんスかそれ…。じゃあ銀子はいかがですか?女の子らしいでしょ?」


「さっきのとほぼ変わらんじゃろが!?」


 目を剥いて怒る少女。

 俺はこれでも一生懸命考えてるんだけどなぁ。


「ちっ、しゃあない。よし、持ってけ泥棒!巨竜のお銀でどうでぃ!?」


「嫌じゃ嫌じゃ!そんなあからさまにどデカい竜みたいな名前は嫌じゃ!」


 まるでおもちゃを買ってもらえない小さな子供のように、地面をゴロゴロと転がる駄竜。

 どデカい竜だろうが、お前。


「な…なんてわがままな!人に名前を付けろとか言っといて、どれもこれも全否定するとは!!シロは一発で気に入ってくれたんですよ!?」


 その後も続く、名付けと拒否の応酬。

 どうだ?

 いやじゃ!

 くらえ!?

 だめじゃ!!

 な…何をさせられているんだ、俺は…。


「はぁ…はぁ…。なんて頑固な竜さんなんでしょうか…」


「ぐふぅ…ぐふぅ…。お主魔法の腕はさておき、名付けのセンスは壊滅的だのう…」


 そんなあまりにも不毛なやり取りを、小一時間程も続けた俺たち。

 もはや気力、体力ともに限界ギリギリ。

 だが俺は最後の力を振り絞る!

 この無意味な争いに終止符を打つんだ!


「くっ…銀色に輝くドラゴン…。シルバーのドラゴン…。…はっ!?…シルヴィア…!…シルヴィアで…どうだあぁぁ!?」


 俺は、頭の中がスパークするように閃いた名前を少女にぶつける。

 そして少女は、その名付けの勢いを真っ正面から受け止めた。


「くっはぁ!?な…なんとぉ!!?…き…来たぁ!キタキタキタキタキタァ!!そ…それじゃあ!!その名…その響き…その理…。どれもこれもが我が心に深く突き刺さったぁ!!…我はシルヴィア!今日から我はエンシェントドラゴン・シルヴィアじゃあぁ!!」


 …じゃあ…じゃ……ゃ…。


 プラウドロード領に響き渡るの雄叫び。


 あちらこちらを駆け回り飛び回り、自分の名前を連呼するシルヴィア。

 ちょっと頭の方が心配になる行動だが…。


(やったぞ…ついに俺は…成し遂げたんだ…!)


『…フワアァァァ…ワフゥ…』


 不毛な名付け合戦を制し、体力を使い果たしてへたりこむ俺を尻目に、いかにもアホらしそうに欠伸をして眠りこけるシロ。

 

 ですよねー。


 ※※


「シルヴィアー!頼みましたよー!!」


「いよぉし!それじゃあ、その名じゃあ!!ぐわっはっはっはっ!我に任せておくがよい!!」


 はつらつとした笑顔で返答するシルヴィア。

 

 まあ名前くらいでそんだけ喜んでもらえりゃあ、一生懸命考えた甲斐があったってものだよ…。


「さて、気を取り直して牛どもよ。よいか?我からの質問はただ一つじゃ」


 その刹那、シルヴィアの雰囲気が変わった。

 小さな身体から発したとは到底思えない恐るべき殺気が、辺り一面に噴出する。


(ぐっ!?こ…これは…!!)


 俺とシロのいる高台は、シルヴィアが立っている場所からかなりの距離があるはずだが、恐ろしいまでの緊張感と圧迫感がビリビリと伝わってくる。

 

 あの森での闘い以来感じたことのない、すぐ隣に存在する、絶対的強者を前にした死の気配。


 俺やシロに向けられた殺気ではないにもかかわらず、ついついどちらも身構えてしまう程だ。

 よ…よく俺たちこんなのと闘ったよね~…。


「…今死ぬか、それとも我に従って生きるかじゃが…。さぁ、どうする?」


 シルヴィアは戦うどころか、その場から一歩も動いてすらない。

 ただただ不敵な笑みを浮かべながら、真正面からローグカウたちを見据えるばかりだ。


『ブ…ブモォ…!?』


 凄まじい殺気に当てられたローグカウたちは、逃げることはもちろん、動くことすらできず、一頭また一頭とその場にうずくまってゆく。

 中には気絶する個体も…。

 お…おいたわしや。


 そしてとうとう数十頭のローグカウたちは、シルヴィアを中心に、全てその場にひれ伏すような形になってしまった。


 どうやらドラゴンの化身たるシルヴィアは、というその一点だけで、群れの頂点に上り詰めてしまったらしい。


(…おそらくローグカウたちは感じているんだ…。華奢な銀髪少女の背後に浮かぶ…巨大なエンシェントドラゴンの姿を…)


 当のシルヴィアは、そんなことを全く気にした様子もなく、どうじゃどうじゃ?と言わんばかりに、可愛らしい無邪気な笑顔で、俺の方に向かって一生懸命に手を振るのだった。

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