第23話 おいしい水をお届けします!
どこまでも広がる青空
吹き抜けていく風。
そして、その空とまるで対をなすように、どこまでもどこまでも広がる草原。
「シロ!すごいな!ブリヤート大草原ってとこは!」
『ワンワン!!』
俺は今、遊牧民族が暮らすブリヤート大草原に立っていた。
成程、聞きしに勝る広大な草原だ。
大地は短い草花で余す所なく満たされ、頬をくすぐる乾いた風の、なんと心地よいことか。
俺はシロに乗り、また、保存のきく食材をたっぷりと載せた御者つきの馬車とともに、遊牧民族の村を目指していた。
そして間も無く、俺の視界に入ってくる白い建物。
いや、建物と呼ぶにはいささか頼りない作りかも知れない。
かつての世界ではゲルという名で呼ばれていた、テントのような形をした、遊牧民たちの住処。
それが身を寄せ合うように集まって、中規模の集落を形成していた。
「よく来たな、レイン殿。皆首を長くして到着を待っておったぞ」
「バゼル殿自らお出迎えくださるとは、痛み入ります」
俺はシロから降りると、ペコリと一礼する。
「シロだったか?ちょっと犬には見えんがな。お前も息災なようで、何よりだ」
シロの頭をワシャワシャするバゼル。
シロもまんざらでもなさそうに、気持ちよさそうにしている。
また集落の周りには、老若男女、たくさんの人たちが笑顔で手を振りながら、迎えてくれた。
その中には先日バゼルと一緒にうちに来たセルジの姿もあった。
やっぱりあんまり元気がない様子。
まあ、今は考えても仕方がない。
そのうち何かわかるだろ。
いやぁ、しかし村の入口でこれだけ歓迎されると、なんだか照れるなぁ。
先日訪ねた某森の奥地の村じゃあ、いきなり殺意と弓矢の雨あられだったからなぁ。
まったく、えらい違いだぜ。
みんな元気にしてんのかな。
俺は、荷物を搬送してくれた馬車の御者に積み荷を降ろしてもらうと、そのままUターンで帰ってもらった。
父から既に依頼料は貰っているだろうが、旅をともにした縁もあり、俺からもお心付を手渡すと、それはそれは上機嫌だった。
「おぉ、すまぬな。こんなにも多くの食糧を。…んん?このような赤い作物は見たことがないな。手触りもなんと柔らかい。これは何という物だ?」
運んできた木箱の中から、早速バゼルがトマートを取り出してガン見している。
そうか、やっぱり草原の気候じゃあ、イモの類とか羊の乳なんかが主食になるのかなぁ。
「はい、それはトマートという野菜です。たくさんありますので、ぜひそのまま食べてみてください」
「…うむ…なにかあまりにも赤い気がするが、苦かったりしないだろうな…?」
そう言いながら、バゼルは恐る恐る、トマートに噛り付いた。
するとどうだ。
「な!?なんだこれは!?このように甘く瑞々しい野菜がこの世にあったのか!!」
あっはっはっは。
バゼルは一瞬でトマートの虜になったようだ。
まあ貴族の偉いさんでもトマートにどっぷりの奴もいるしな。
おいしいでしょ、うちのトマート。
「たくさん持ってきてますので、あとは村の皆様で分けてください」
俺が木箱を差し出すと、若い男性や女性が、笑顔でお礼を言いながら全て運んでいった。
ちゃんとみんなで分けてくれよー。
集落の子供たちも、最初はもじもじとした様子だったが、その動きをきっかけに、シロの方へと駆け寄ってくる。
シロも空気を読んだのか、大はしゃぎの子供たちと一緒に、集落の中へと駆けていった。
「…ところでレイン殿…つかぬことを聞くが…。水…水は…ないのかね?」
シロや子供たちから視線を戻したバゼルが俺に尋ねてきた。
「あ、水は持ってきてませんよ?」
すると、バゼルやその後ろにいた人たちは途端に肩を落とし、落胆した表情をする。
セルジなどは、目を細めてこちらを睨みつけるように見ている。
「…そ…そうか…水は無いか…。むぅ…致し方あるまい…あれ程食糧を運んでしまえば、水を運ぶ余裕など馬車にはあるまいな…」
バゼルがその大きな身体に見合わない小さな声で呟くと、場の空気は一気にしぼんでしまった。
しかししかし。
そんなしょうもないミスをする俺ではないのだ。
「水は言っていただければ、いつでも出せますよ?」
俺は笑顔でバゼルを見る。
「だ…出す?…出すとは一体…?」
バゼルは片方の眉を上げ、わけがわからないといった様子で俺を見る。
そこでセルジが初めて口を開いた。
「…レイン殿…あいにく個人の魔法で作った水程度で賄えるような人数じゃないのだよ…せっかく来てくれるなら、水を持参してほしかったものだ…」
おそらく、魔法使いのセルジは、俺の言葉の意味を理解したのだろう。
その上で、セルジは右の指で額を押さえ、さも残念そうにため息をつく。
ちょっとカチンとくる仕草と物言いだが、まあそう思うのも無理はないな。
もともと、水に困ってうちを訪ねてきたんだし。
「セルジ殿、あそこに複数見える大きな水瓶は、集落で水を貯めておくための物ですか?」
「…あぁ、いかにも。ただ中には、水なんてこれっぽっちも入ってないがね」
えーっと…?
1、2、3…見える範囲では10個か。
ははは、ちょうど両手の指と同じ数じゃん。
よし!
「ではまず、手始めにそこから行きましょう」
「…ん?…おい、レイン殿?一体何を…?」
セルジが何か言いかけたが、俺は特に答えず、体の中で水の魔力を練り込み始める。
(さあしっかりとイメージしろ…。みんなの喉を潤す大事な水だ…)
飢えは苦しい。
だが渇きもそれと同じぐらい苦しい。
待っててね!
必ずや、俺が大好きだったクリス〇ルカイザーみたいな、おいしい水を届けてやるぜ!
そう考え、俺は水のイメージを始める。
(天からの恵みの雨…。やがて雨水は山に溶け込み、ろ過され、岩間より湧き出す。…どこまでもどこまでも透き通った…甘く清らかな水!!)
俺は、清らかな水を強くイメージするとともに、練り込んだ水の魔力を、身体の横で上へ向けた、両手の10本の指へと集中させる。
すると、瞬く間に俺の指先には、ビー玉ぐらいの水の球が顕れた。
「…なっ…なんだと…!!…詠唱も無しに魔法が…!?」
セルジは身を乗り出し、食い入るように俺の指先を見つめる。
もちろん、俺の魔法はビー玉の大きさ程度では終わらない。
水の球はゆっくりと俺の指先から離れ、少しずつ少しずつ高度を上げながら、どんどん大きく膨れ上がっていく。
それを見ていたバゼルの他、集落の人間たちも言葉を失い、全員が浮遊する水の球に、その視線を集中させる。
そして。
「よいしょっ!」
ザッパァーーーン!
最後に俺は、自身の周りに浮いていた巨大な10個の水の球をコントロールして放ち、見える範囲の10個の水瓶にナイスシュートしたのだった。
空っぽの水瓶が、瞬く間に溢れんばかりの水で満たされる。
「…こ…こんなことが…」
セルジが力なく呟く。
あまりに驚いたのか、その顔は青ざめている。
俺の曲芸じみた水魔法の行使に、バゼルを含め、その場の誰もが動けずにいた。
しかしただ1人。
セルジよりも少し年下に見える、丁寧に細工された大きな剣を腰から提げた若い女性が、おもむろに付近の水瓶に近づき、設置されていた柄杓で水を汲むと、そのまま口元へと運んだ。
その様子を固唾を飲んで見守る集落の人々。
しかし次の瞬間、女性は歓喜の表情を浮かべた。
「わ!うめぇ!!こんな水、はじめて飲んだぞ!」
女性は続けて2杯、3杯と水を飲んでいく。
(おお…、いい飲みっぷり!)
「…ホ…ホラン…?」
セルジがそう呟いた。
ふむ、あの女性はホランさんというのか。
豪快な飲みっぷりぃ!
俺がそう思っていると、ガンガン水を飲むホランの様子を見て集落の人たちも皆我に返ったのか、今度は我も我もと水瓶に駆け寄った。
「う…うまい!!」
「なんて透き通った水なの…綺麗…」
「いや、寧ろ甘くさえ感じるぞ…うまい…うますぎる!」
みんなが水を飲む。
遠慮なく、とめどなく、どんどん飲む。
大人も、子供も、男も女も若者や年寄りだって何も関係ない。
最後はみんな、涙を流しながら水を飲んでいた。
その様子を最後まで見届けたバゼルは、自らもゆっくりと柄杓に手を伸ばし、ぐいっと水を呷った。
「…こ…これは…!?」
あ。
スーパーマッチョも…。
バゼルの目から大粒の涙が零れる。
まさに男泣きというやつか。
「か…感謝する…レイン殿…。我らは…救われた……!」
深々と頭を下げるバゼル。
いやいや、別に気にせんでいいよ。
困った時はお互い様ですよー。
ふわふわセーターのためでもあるしな。
そしてどうやらセルジも水を飲んでいる。
また一段と顔を青くして驚いているようだ。
魔法使いって言ってたけど、水の魔法は使えないのかな?
「そうだ。せっかくだし、もう1つ行ってみましょう」
俺はさらに魔力を練り込み、水魔法を行使する。
(これはちょっとした遊び心ね。みんな喉が潤って嬉しそうだし。びしょ濡れにならない程度なら…)
先程よりも多くの魔力を練り込み、今度は水魔法に風の魔力も加えて合成。続けて右手を天へとかざし、掌に魔力を集中させて一気に解放する。
「それっ!」
次の瞬間、俺の右手から上空に向けて、膨大な量の水が打ち上げられていく。
バゼルやホランと呼ばれた女性を含め、みんながその様子を見守る。
しかしその目には、さっきまでのような悲壮感はない。
次は何が起こるの?という期待に満ち満ちた目だ。
…セルジだけは、なぜか死んだ魚みたいな目をしているが。
ポツ…ポツ…。
サアアア……。
上空から霧雨の如く降り注ぐ水。
水と風の魔力をかなり練り込んだため、この集落は言うに及ばず、周辺の全ての生命が、恵みの雨を享受する。
集落が歓喜の声で満たされ、中には踊りだす者もいた。
そんなミストシャワーの中に1人、天を仰いで立つ女性。
先程ホランとよばれた、豪快な飲みっぷりの女性だ。
「なんて気持ちいいんだ!すごいな、お前!水だけじゃなく、天気まで変えられるのか?」
両手を広げて霧雨を全身で受けながら、笑顔で俺に話しかけてくる。
「いえ、そのように大それたことはできません。僕はただ水の魔法を上空に打ち上げ、風の魔法でそれを広く拡散させただけですよ」
「へぇ、そうなのか。でもうちの兄貴は、そんなことできねぇみたいだけど?」
「お兄さんですか?どうですかねぇ。でも訓練すれば、ある程度は誰でもできるようになるのではないでしょうか?」
ホランに対し、俺も笑顔で答える。
物怖じしなさそうな、明るい女性という印象だ。
しかしそんな俺とホランの会話に、先程から死んだ魚のような目をしていた、キャシャーンことセルジが割り込んできた。
「ふ…ふざけるな!!これが魔法だと…!?ホラン、そいつの話を真に受けるな!…だってお前…魔法詠唱なんかしていなかったじゃないか!!それに水と風の魔法だと?…ふ…2つの属性なんて使えるものか…!!」
んん?
もしかして兄貴ってのはセルジのことか?
そうか!セルジの妹がホランなんだな。
なんだなんだ、お前俺と一緒で妹がいたのかよ。
うんうん、小物感たっぷりだし、ちょっと親近感が湧くなぁ。
そんな風に思う俺の横で、セルジは何やら捲し立てている。
そんなこと言われてもなぁ。
水は霧のごとく降り続ける。
日の光に照らされながら降り続ける。
「ま…魔法使いは…魔法使いってのは…戦士よりも弱くて何にもできない奴…じゃなかったのか…?そうでなければ…俺は……」
うつむいてぶつぶつ呟くセルジ。
うーん、こりゃ重症だな。
なんだか劣等感の塊みたいになってる。
…あのなぁセルジ、兄貴ってのは…。
「お!」
「あ」
「…」
ホランの声につられ、空を見上げる。
俺たちが見たのは、大きな虹だった。
俺が降らせた水が太陽の光を受け、大きな虹ができたのだろう。
その場に居合わせた全員が、大きな虹に目を奪われていた。
(…この虹が、プラウドロード家とブリヤート族の架け橋になればいいんだけどな…)
虹は美しかった。
そのあまりの美しさ故に、俺はなんだか言い知れぬ不安を感じてしまっていた。
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