第8話 ヴィンセント・グレイトウォールの日記から

 目を覚ますと、私はベッドの上に寝かされていた。

 枕元の花瓶に挿された、とても可愛らしい花が印象的だった。


 …最初は全く状況を飲み込むことができなかった。


 そう、私は敗れたのだ。

 尽く無様に。

 かつて経験したことがない程恐怖して、小便まで垂れ流して。


 私を破ったのは、目の前でニコニコしている10歳の少年。

 レインフォード・プラウドロードと言ったか…。


 今私の周りには、プラウドロード家の現当主やその妻、そしてその息子レインフォードや、その後ろには妹と思われる幼子もいる。


 …どうやら私は殺されずに済んだらしい。


 彼らは私を気遣ってか、または他の思惑のためか、先刻の諍いは無かったものとして扱っているようだ。

 聞けば会議中に過労・・で倒れたということになっているようだった。


 私とてそれに異論はない。

 あんな記憶は遠く海の彼方に流してしまいたい。


 だがあのように強烈な出来事は、一生忘れることはできないだろう。


 …先程、私は死を覚悟した。

 いや、もはや一度死んだと言ってもいい。

 あの瞬間私は、自分の剣のように粉微塵にされていたとしてもおかしくはなかった。

 だが結果として、私は生かされた。


 もちろん私を殺せば、その後公爵家とただならぬ事態に発展するのは間違いないし、プラウドロード家においてもそれを避けたかったのは間違いないだろう。


 だが、それでも…だ。

 我が公爵家の全戦力を投入しても、あの少年に勝てるかどうかは怪しい。

 いや、十中八九勝てないだろう。

 それほどに私は彼の力に戦慄を覚えたのだ。


 全ては私の行動が原因だった。

 昔から誰にも負けたことがなく、いつの間にか自分以外の周り全てを見下すようになっていた。

 国王様から拝領した税務査察官としての重責を忘れ、常に相手に対して高慢な態度で職務に臨むようになっていた。

 ましてや、王国騎士であるはずの私が、幼子に暴言を吐いてしまうとは…。


 そこからだ…。

 今思い出しても怖気が走る…。

 きっとしばらくは悪夢にもうなされるだろう。


 私はあの瞬間、虎の尾を踏んだ。

 …いや。

 ドラゴンの尾を踏んだと言っても過言ではなかろう。


 これでも私は多くの魔獣を討伐した実績があるし、激化した戦地に赴いて戦ったこともあった。

 また、自分自身の王国騎士としての実力にも確固たる自信はある。

 いや、自信があったと言った方が正しいか…。


 あの少年。

 レインフォード・プラウドロードの前では、私の魔法や剣技など、ちっぽけで児戯に等しいものだったのだろう。

 そして私は完膚なきまでに敗れたのだ。

 

 …しかしその夜は、別の意味で驚くことになった。

 最初は会食にかこつけた毒殺も懸念されたが、そのような行為に意味はない。

 わざわざ毒殺などせずとも、気絶していた間に殺せばよかっただけの話。

 彼の魔法なら私などいとも簡単に粉微塵にできるだろう。


 当初会食の場でビクビクしていた私に対し、それとなく雰囲気を和ますように会話をしてくれたプラウドロード家の面々や、その細やかな気遣いに、私の警戒心は徐々に薄れていった。


 今思えば私の実家では、このように家族のそれぞれが近い距離に座り、雑談などを交わして笑いながら食事をするなど、全く考えられないことだった。

 食事中の私語など当然許されないし、テーブルマナーの一つでも失敗しようものなら、両親から厳しい叱責と折檻を受けた。


 それを思えば、この家の食事風景というのは、空腹と心の隙間の両方を同時に満たすように思えてならなかった。


 そして決定的だったのが、食卓に並べられた水や野菜や果物などが、かつて経験したことがない程に、恐ろしく美味かったのだ。

 特に私の大好きなトマートが。

 こんなことなら、最初に出された紅茶もありがたく頂いておくべきだったな…。


 正直これらに関しては、当初口にしてもいいものかどうか迷った。

 しかし、料理から漂ってくる食欲をそそる香りや、赤々と大きく美しいその身を横たえたトマートを見て、我慢などできるはずもなかった。

 ふっ…。


 しかし、どうやらこれらの瑞々しい農作物などにも、レインフォード・プラウドロードの魔法が介在しているらしい。


 彼の説明によれば、普通の水で育成するよりも、水魔法で育てた野菜の方が、品質などが向上するということだったが…。


 私としてもそんなことは初めて聞いたし、そのような方法があれば、既に国中の魔法使いを募って、トマートを始めとした野菜を作らせている。

 しかし現在のところ、そんな話を聞いたことがないことを鑑みると、おそらくはこれも彼の特殊性によるところなのだろう。


 説明の中でも彼は、魔力の密度云々ということを言っていたが…。

 これも私が理解できる範疇の事柄ではなさそうだ。

 実家に帰って魔法使いの妹にでも聞いてみるとしよう。


 それよりも私にとってさらに興味深かったことは、彼が「税制に関する様々な知識」を持っていたことだ。


 それは私がこれまで学んできた事柄とは一線を画す内容だった。

 例えば、耕地の面積に応じて画一的に課税するのではなく、その領地ないし領民の稼ぎに応じて税率を変化させる「累進課税」という制度。

 また、酒やタバコなどの嗜好品には、他の生活必需品よりも高い税率を掛けるなどの大胆かつ弾力的な税制の運用などなど…。

 まるで10歳の少年とは思えぬ知識や思慮深さには驚かされるばかりだった…。


 彼は一体何者なのだろうか…。

 到底私より八つも年下の10歳とは思えない。

 もちろん考えても結論など出ないのだろうが…。


 そして、会食もつつがなく終了したその夜、寝室に案内されると、決して豪華とは言えないが、丁寧に仕立てられた寝具が用意されているとともに、私が気に入ったことがわかったのだろう、夕食時に用いられた水差しや夜食として丁寧に切られた、瑞々しいトマートまでが用意されていた。

 

 そしてベッドの横には、さっきとは少し違うが、印象的なかわいい花が。

 それを優しく手に取り、そっと鼻を近づけてみる。

 うん、いい香りだ…。


 今日は色々あったが、ぐっすりと眠ることができそうだ。


 明けて次の日。

 私はプラウドロード家を去るのだが。


 実は、今回の出来事が原因で消失してしまった私の剣…。

 プラウドロード家を発つ際に、彼が試作品として領内の鍛冶師に作らせたという剣を一振り、私に譲ってくれたのだが…。

 これがまた異様な物だった…。


 刀身はとてつもなく高い純度の鋼で形成されており、柄の部分にはめ込まれた小さな魔石のせいだと思われるが、剣自体が魔力を帯びていたのだ。


 彼の説明では、魔法使いが好んで使う杖のように、魔法の発動体として使えるよう実験中らしい。

 実は試しに、帰り道でこの剣を発動体として軽い氷結魔法を使ってみたのだが、結果は凄まじかった。

 なんと目の前の川が、目に見える範囲一面に凍りついてしまったのだ…。


 なんなんだこれは…。

 私は何を持たされたのだ?

 これはいわゆる「魔剣」と呼ばれているものでは?

 周りに見せびらかすのはやめておこう、必ず問題になる。


 そして私が、お土産に…ではなく、「水魔法で野菜を育ててみよう計画」という実験に協力するため、トマートを始めとした美味しい野菜や果物を、自分の乗って来た馬車に積み込ませ、出発しようとした時だった。


「気を付けてかえってくだたいね」


 5歳の末娘として改めて紹介された、エリザベート・プラウドロード女史から、なんとも可愛らしい花束を渡されたのだ。

 なんでもエリー嬢は彼と一緒に花壇をこしらえ、誰にも頼らず、自分自身で花を育てているらしい。


 その時私は気付いた…。

 そう、この花束の中から顔を出している花…。

 これは、最初に私が寝かされていたベッドの枕元で見た花だった。

 また、就寝時に案内された寝室においても、美しく生けられていた花だったのだ。


 このエリー嬢は、あんなこと・・・・・をした私に対しても、まるで聖母を思わせるような優しい心で接してくれていたのだ…。

 目頭が熱くなった。

 わずか五歳の少女が持つ懐の深さに比べ、私はなんと愚かでつまらない人間だったのだろう。


 エリー嬢の気遣いに、私は精一杯の笑顔で答えた。

 この笑顔にだけは今でも絶対の自信を持っている。

 少し顔を赤らめ、恥ずかしそうにはにかむエリー嬢の姿が微笑ましい。

 その時隣に立っていた彼が、見る見るうちに鬼の形相に変わっていった気もするが、気が付かないフリをしておこう。


 …いずれにせよ、今回のことで、いかに自分が世間知らずで、小さくそして取るに足らない存在だったのかを嫌という程思い知らされた。

 この上は、自分が一度死んだものと思い、全てを一からやりなおそうと考えている。


 王国に尽くし、そして国民に尽くす。

 最も大事な務めを忘れていた愚かな自分に、やっと気付けたのだから。

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