この曲は君のものかもしれない

竹野きの

第1話 後悔とメロディ

「好きな人とかいないの?」


 生きて行く上で、何が正解だという事は無いと思う。だけど、距離の近い関係で、自分の気持ちを隠して言ってしまった僕。宮園佑みやぞのたすくの言葉はきっと間違っていたのだと思う。



 ──高校最後の冬。

 高校生という三年間の終盤。合格発表が終わってからというもの、卒業までの時間はやり残した事を終わらせる為にあるのだと思っていた。


 バンドや文化祭、受験。仲の良い友達との出来事……。

 僕はどれも本気でやった自信はあった。それでも高校生活でやり残した事というのはほとんどの場合は今更やろうとしても遅い事が多い。だが、最後に一つだけ。いや、最後だから出来る事はあった。僕はそれ・・をする為に週末の昼休みの終わり際に勇気を出して声をかけた。


「あのさ小春こはる……放課後、話があるんだけど」

「話って何?」

「うーん、まあ大事な話? だから終礼が終わったら屋上に来て欲しいんだ」

「そう……まぁ、いいけど」


 西村小春にしむらこはるは、そう少しめんどくさそうにそう言うと自分の席に戻る。文化祭までの一緒にバンドをしていた時は二つ返事で「いいよ」って言ってくれていたのだと思う。


 普段の僕は、特に面白い話題も無く音楽以外の話をするのは苦手だった。文化祭が終わり受験シーズンを迎えた頃、僕は二度・・過ちを犯した。


 きっかけは最後の文化祭。それまで僕は音楽の事

、それもバンドの事しか考えていなかったと思う。ライブを終えステージ裏でハイタッチをした瞬間、高校最後だったからなのか緊張感みたいなものが切れた。


 一度目はいつも通りの明るい小春。

 問いかけに僕と親友の名前を言った。問題は二度目……そのせいで僕は小春と話すのが怖くなった。


 授業が終わり、急いで帰りの支度をしていると、中学生の頃からの親友、立花麦たちばなむぎが声をかけてくる。


たすく、今日は……なんだよ、いそいでんのか?」

「ごめんむぎ。ちょっと用事がさ」

「そうか、じゃあ終わったら連絡くれよ!」

「……うん。わかった」


 結果がどちらにしても、麦に連絡は出来ないかも知れない。そう思った。だが、そんな小さな罪悪感は、教室を出る前に言った麦の一言で救われる。


「頑張れよ」

「なにを?」

「まぁ、なんでもいいからさ」


 多分麦は分かっていて、僕が何かをしようとしているのだと思ったのだろう。


 彼と別れた後、急いで廊下の端から階段を上り屋上に向かう。立ち入り禁止のチェーンを抜け、腰上くらいの鍵のかかった柵に手をかけ登る。階段を抜けると開けた視界からは荒れた黒い海や冬色の住宅地が見えると冷たい風が吹いた。


「くぅ、寒いなぁ……」


 2月の屋上は思った以上に寒く、通学用のジャケットだけでは心許ない。なるべく風が当たらない様に、貯水槽の隙間に身体を埋める。


 ふと逃げ出したくなり真上を見る。今にも雪が降りそうな、灰色の分厚い雲が敷き詰められていてその形すらわからなかった。身体を縮こめる様にポケットに手を突っ込み屋上を見ていると三年間の思い出が顔を出した。


 屋上の殺風景なコンクリートはどこもかしこも思い出でいっぱいで、正直ここに居る事が胸を締め付けるような気になってくる。


 初めて来たのはバンドを始め録音した音を他の人に聞かれない様に探したのが始まりだったかな。次第に集まったり話したりするのに丁度いいこともあり、小さな頃の秘密基地の様に特別な場所だと感じていたのかもしれない。


 しばらくして、校舎の外が下校の生徒の声で騒がしくなってくる。


 それにしても、小春遅いな……。


 先に着くために早く出たとは言え、そろそろ来るはずなのだけど……


 そう思っていると、入り口の方から柵に何かが当たる音が響いた。


 小春か?


 反応して立ち上がろうすると、少し掠れた様な声で聴いたことのない歌を口ずさんでいるのが聞こえる。


 呟く様に歌っている芯のある歌声と、どこか懐かしく卒業式に合いそうな綺麗なメロディ。誰の曲なのだろうと意識が向く。


 今まで、知り合い以外にも屋上に来た奴は居る。だけど穴場という事もあり、誰かが来る事はほとんど無かった屋上。


 気になってバレない様に隠れながら覗き込むと、ショートボブで黒い髪をした後ろ姿が一瞬小春に見えた。だが、短いスカートに細い生足は、その颯爽とした雰囲気も含めて寒がりな彼女のはずがない。


 彼女の手には……拡声器?

 腰の高さ程の防護柵にそれを置き、彼女はそのまま躊躇う事なく柵の上に足を掛けた。


「それは危ないって!」


 慌てて声が出てしまう。気付かれるのは仕方がない。


「誰?」


 少し掠れたハスキーな声。それと共に綺麗で色白の横顔が見える。前髪が目にかかり顔はよく見えないが、風で靡いて見える顔が美人だというのは分かる。


「あ、いや。流石に危ないと思って」

「別に、危なくてもキミには関係なくない?」

「そうだけど……でも、そんな所から落ちたら流石に死ぬと思うよ?」


 当たり前の事を言っているのは分かっている。だが、彼女は返事する事も無くそのまま外に足を向けて座り拡声器を持った。


 何か言わないと。

 会話が止まった事に僕は焦り、少しづつ近づきながら話を変えようと必死になる。


 そんな事を気にする様子も無く、彼女はまた歌い始める。


「さ、さっきの歌……」


 そう言うと、サビの終わりに歌を止め小さく呟いた。


「いい曲でしょ?」

「うん、その……なんて曲?」


 すると、彼女の横顔が笑った様な気がした。


「音楽、好きなの?」

「好きって言うか……そうだ。文化祭にバンドで出てたんだけど見てない?」

「文化祭は見てないかな」

「そっか……結構自信あったのだけど、見てないなら仕方ない」


 次に何を話せばいいか分からなくなった。


「もしかして、自殺するとでも思った?」

「……いや。自殺って言うか落ちたら危ないし、それに今の歌もう聴けなくなっちゃうし……」

「あはは、なにそれ曲の為?」


 そう言うと、雪が降り始める。雪の降る空を仰ぐように彼女は拡声器のスイッチを入れると、周りに響く様に曲をアカペラで歌い始めた。


「マジかよ……」


 全く物怖じする様子のない彼女に唖然とする。拡声器の割れた音でもわかるくらいのクオリティ。多分こんな声と実力があるなら直ぐにプロにもなれると思う。


 見惚れる僕をチラリと見ると、笑いかけ勢いに乗る彼女はその場で立ち上がると、仁王立ちで声を張った。


 スケールが違う……。


 バンドをしている以上、それなりにプロのライブは見てきた。でも彼女はそのどれにも引けを取らない……いや、それらが霞むほどの存在感。


 そのまま彼女は細い防護柵を平均台のように歩きだし、そこがまるでステージの様に映る。

 しかし、向かう足先に防護柵の窪みがあるのが目に入り慌てて叫ぶ。しかし彼女の歌に僕の声は掻き消え声援くらいにしか届いていない。


 僕は走り、気付いてくれと願いながら彼女に駆け寄り再び叫んだ。


「危ない!」

「えっ?」


 窪みに足を取られて体勢を崩すのがわかる。勢いに任せて彼女の腰に飛びついたものの彼女の重さで重心が持って行かれるのが分かった──



「うあぁぁああああ」



 彼女にしがみついたまま落ちている様な浮遊感が全身を走った。そしてきゅうに目の前が真っ暗になる。





 ……あれ? 意識が有る。

 僕は助かったのか?


 暗闇の中でフェードインしてくる聞いた事の有るメロディ。


 まるで天国かの様な、のどかな音。徐々にはっきりと歌までを認識し始めると『G線上のアリア』をサンプリングした『SWEETBOX』の名曲だというのがわかった。するとイヤホンが外され、音が消えると麦の声がした。


「佑!」

「えっ? 麦?」

「えっじゃねーよ。いつまで寝てんだよもう昼休みだぞ?」

「昼休み? 天国じゃなくて?」

「心配しなくても佑は天国行けねーから。わかったら現実と言う名の地獄に帰ってこい」


 まるで昼休みまで寝ていたのを、ただ起こしただけの様な麦の反応。


 なんだよこれ。まさか夢……だったのか?


 周りを見渡すと、曇り空だった窓の外は青々とした空が広がっている。肌寒い感覚もなくなり、麦も何故か夏服を着ている事に気が付いた。


「あれぇ? 佑また寝てたの?」


 少しまったりとした声がして、すぐに小春なのだと理解した。


「小春……」

「昨日も夜中まで曲作ってたの?」

「曲?」

「文・化・祭のきょーく!」

「いやいや、僕らはもう卒業だよ?」

「何? 寝ぼけてるの? それとも曲に悩み過ぎて現実逃避しちゃったとか?」


 よく見ると小春もブレザーを着ておらず半袖のブラウスは女子の夏服だった。何より以前の様に小春は明るく話しかけて来ている事に違和感がある。


「あのさ……今何月?」

「本当に寝ぼけてるの? 今は7月。もう少しで夏休みだし締め切り近いんだから、早く曲決めて文化祭の申請だすよ」


 7月って……それじゃ、さっきまでの記憶は何だったんだ?

 リアルな夢過ぎて混乱しているだけなのか?


 僕は曖昧な記憶に、あの出来事が現実なのだと自信が持て無くなった。だけど、以前の距離感に戻った小春とやり直す為のチャンスが与えられた様な気がした。

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