「赤」「悪夢」「さよならだけが」

@fluoride_novel

夜道で出会った血塗れの殺人者に一目惚れした(20歳・男)

 それはそれは、甘い悪夢だった。

 

 彼女と初めて出会ったのはアパートのすぐ傍の小道、大学2年生、飲み会で潰れた同期を家に送り届けた後の深夜2時半。普段は酒に強いと自負している僕もその日は珍しくくらくらしていた。口に残ったコークハイの苦みと甘みに吐き気を感じながらの帰路、彼女はそこに立っていた。


 彼女は赤だった。服が、とか、口紅が、とかではなくて、顔も手も真っ赤だった。光が揺らぐ街灯に照らされて、てらてらと赤も揺れる彼女がひどく色っぽく僕の瞳に映った。足元に知らない人が倒れていた。彼もまた全身赤色で、彼女とお揃いなことに僕は若干の嫉妬を覚えた。我ながら気持ち悪いなとは思ったけど、全部酒のせいにした。


 「うちに来ない?」


僕は自分でも自覚なくそう彼女に言葉をかけていた。僕が現れてからも、僕どころかどこも見ていなかった虚ろな目の彼女が初めて顔を上げた。


 「ダメだよ」

 「どうして?」

 「あなたも捕まっちゃう」

 「大丈夫捕まらないよ」

 「何を根拠に――」


 彼女が少しいらついて声を上げたときに、彼女が持っていたものが右手から滑り落ちて、深夜の住宅街にキーンと高い音が響き渡った。言葉通り、鋭く静寂が切り裂かれた。彼女は黙った。僕はナイフを拾った。


 「何か理由があるんだろうし、凶器は誰にも見つからなければ大丈夫だよ」

 そう告げた僕に、彼女は「――いいの?」とか細い声で言った。無言で頷いてアパートに向かう僕の後を彼女が恐る恐るついてきた。死体は道に置き去りにした。



酔っていなければ、大学2年生という若さでなければ、彼女があまりにも綺麗でなければ、こんなこと僕はしなかったのかもしれない。

 まぁどうでもいいけれど。全部全部、先輩に無理矢理飲まされたアルコールのせいにした。



 六畳一間家賃5万円のアパートに女の子を連れてくるのは初めてだった。たまたま今朝掃除していたため、服やら教科書やら普段は散らかっている部屋を彼女に見られずに済んだ。ありがとうグッジョブ今朝の僕。


 赤く染まった彼女に心惹かれたけれど、流石にそのままはまずいと思い彼女を風呂場に連れて行った。洗面台の鏡に映った自分の姿に彼女は目を見開いた。酷く動揺してその場にしゃがみこんで口元を抑える彼女に、「気持ち悪かったら吐いていいよ」と声をかけた。大学生が大好きな連日の飲み会で吐瀉物には慣れていた。慣れたくはなかったけれど。結局彼女は吐かなかった。


 彼女がシャワーを浴びる音を聞きながら、彼女の服をごみ袋に詰めた。赤くなくなった彼女に、とりあえず僕の服を着させた。オーバーサイズのスウェットを着る彼女がかわいらしかった。


 何があったのか聞こうとは全く思わなかった僕は、「疲れてるだろうし、寝ていいよ」と彼女にベッドを譲った。彼女は少し戸惑ったけれど、数時間前にあったことを忘れようとするが如く布団を被って丸くなっていた。寝てはいなかったのだと思う。朝日が入る部屋の向こうで、パトカーのサイレンが反響していた。



 彼女が部屋にいる間、僕はずっと大学をさぼった。友人からのLINEは、「体調不良」と言って流し続けた。その頃流行りのウイルスがあったため、大事をとったと考えられて深堀されることはなかった。今の世の中は便利になったもので、食事だけでなく日用品もネット注文したらすぐに届けてくれたため、本当に家の外に一歩も出ることがなかた。


彼女は連れてきた初日は何も食べてくれなかったけれど、次の日の朝に僕が差し出したカップ麺をゆっくり食べ始めた。食事やトイレ以外では、彼女は何もせずぼーっとしていることが多かった。夜になると彼女は必ずベッドの中で泣いていた。僕も何かをするわけでもなく、ずっと彼女の傍にいた。


「DVを受けていた」ぼそっと彼女が言ったのは僕の家に来てから3日目のことだった。それ以上彼女から言葉が紡がれなかったため、「そうだったんだね」とだけ僕も返事した。


さらに数日経つと、家のインターホンがよく鳴らされるようになった。おそらく報道関係者か、もしくは警察か。いつも日中にしか来なかったため、学生という口実で居留守を使い続けた。インターホンの音が鳴らされる度に彼女が酷く怯えるため、外に聞かれないように小声で「大丈夫だよ」と言いながら彼女の背中をさすった。だんだんとインターホンの頻度は減っていった。


ある日ようやく落ち着いてきた彼女は、僕が集めている漫画を読み始めた。「アプリで1巻しか読めなかったけど、続き面白いね」と言ったときに、彼女の笑顔を初めて見た。何回も読んだけれど、僕も一緒に漫画を読んだ。Switchも持っていたから、2人でスマブラをして遊んだ。彼女は僕より上手かった。コントローラーを握る彼女もよく笑っていた。悔しくて、彼女が寝ている間に1人で特訓した。多分最終的な勝敗は半々くらいだったと思う。


少しずつ彼女が心を開いてくれているのが、たまらなく嬉しかった。このままで良かった。大学なんか消えてしまえ、将来なんてどうだっていい、友だちも家族もいらない、犯罪がどうしたんだ、彼女がいてくれれば、彼女さえいてくれれば後はどうでもよかった。



 僕は唐突に鳴らなくなったインターホンの意味を考えなければならなかった。




 彼女との生活が始まってから約1カ月、僕が殺人犯だと警察が疑っていると、友人からLINEが入った。コップを持っていた彼女がそのLINEをたまたま見てしまった。コップがカツンと床に落ちる音がした。インターホンが鳴らなくなったのは、僕に対する扱いが慎重になったからだったのだろう。彼女はしばらくその場で黙って、コップを拾いあげた。落としたコップをキッチンで丁寧に洗いながら彼女が、「あの漫画、最後まで読みたかったなぁ」と呟いた。僕は何も言わなかった。言えなかった。



 本当は分かっていたさ、こんなにうまくいく訳がないって。僕はずっと、あの日から、酔いがぐるぐる回って気持ち悪い悪夢に魘されていたんだ。



 夜になって、彼女が僕のベッドで寝ている隣で雑魚寝しながらそんなことを考えていた。彼女がかすかに聞こえる声で、「こっちおいでよ」と言った。


 ゆっくり起き上がった僕に「だから、布団のなか」と言って彼女が布団をめくり上げた。突然の誘いに驚いている僕に彼女が「早く、寒い」と言った。僕は恐る恐る彼女の隣に入った。


 「いいよ、しても」彼女が僕の目を見つめながらそう言った。


 「ダメだよ」

 「どうして?」

 「僕はそういうことがしたくて君といるんじゃない」

 「君みたいな変人、このままだと一生童貞卒業できないよ」


 彼女はふふっと笑うと「まぁ君ならそういうと思ったよ」と言った。ちょっと腹が立ったので唐突にキスをした。ファーストキスは歯が当たって、とてもキスと言えるものではなかった。彼女はまた可笑しそうに笑った。


 「さよならだけが、今の私たちを悪夢から救ってくれるよ」


 「さよならなんてそんな、僕は」

 「嘘だよ。明日のお昼カレー注文しようよ、いつも君のお金だけど」




 朝、僕が目を覚ますと、君は跡形もなく、僕の部屋からいなくなっていた。




 僕はテレビを捨てた。君のことをニュースで聞きたくなかったから。スマホも、しばらく触ってなかったけれど流石に親と友人からの連絡がうるさかったため生存報告だけした。大学にも、少しずつ行き始めたけれど、単位が足りなくて留年することになった。親にものすごく怒られた。Switchは友人にあげた。同棲している彼女とあつ森をするのが楽しみだと友人はとても喜んでいた。



 あれから数年経つ。僕は予定より1年遅れで社会人になった。君は今どこにいるのだろうか。スマホを開けばわかったかもしれないけれど、迷った挙句やめた。そういえば、君の名前ちゃんと聞いていなかったなと、今更気づいた。



 「さよなら」なんてできていない。僕はまだ、あの日のコークハイみたいな、君との甘ったるい悪夢のなかに居続けている。

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