勇者、日雇い冒険者になる~重力操作の技巧があるので、社会に貢献できる荷運び人(ポーター)をやってみた。頑張って働いたらみんなが優しいんだが、俺だけこんなに幸せになってもいいんだろうか?~

和泉鷹央

第1話


 周囲から歓声が沸き上がった。

 ラプスはそれをどう受け止めていいかわからず、ただ茫然とその場に立っていた。


「おいあんた! ありがとう!」

「は? ああ……? 俺は特に何もしていない。ただ、できることをしただけだよ」

「何言ってんだよ、あんだけ数いた山賊どもを蹴散らしてくれた! あんたは凄いな!」

「えっ、いや――俺は本当に何も……ただ、仲間を守りたくて……」

「謙遜すんなよっ! 本当に助かった! あんたがいてくれると思うと安心して荷物を届けることが出来るよ! なんて役に立つ男なんだ。荷運び人(ポーター)をやらせておくには惜しいぜ、うちで専門の護衛やらないか!?」

「俺が……役に立つ……のか?」

「ああ、めちゃくちゃ有能だよ! さあ、行こう、あと半日で目的地だ。あんた名前は?」

「俺か、俺は――ラプスア……、あ、いや――ラプスだ。ラプスだよ、親方」

「そうか、ラプス! ありがとう、知り合えて最高の気分だぜ!!」


 護衛の話はまた考えさせてくれと一言おいて、ラプスは不慣れな不格好な笑いを親方に返した。

 彼は王都から地方への救援物資を輸送する隊を請け負っている冒険者集団の頭目だった。

 山道の見通しが悪い場所で不意に襲いかかってきた百人近くの山賊たち。

 一度目の襲撃で仲間を失った勇者は、数度目のその襲撃を一蹴した。

 仲間を守ろうと思いしただけなのに親方はラプスを最高に役立つ男と絶賛し、感謝の声を上げている。


 この隊には荷物の移送に必要な人員として、日雇い契約の荷運び人(ポーター)として参加していただけなのに……

 戦場で戦うことと殺ししか知らない俺がこんなに感謝されていいのだろうか……???

 数年前まで勇者として活躍し、幾多の戦場で魔族相手の殺戮をくりかえしてきた戦闘マシーンはあっけに取られてしまう。

 寝ても覚めても殺してきた亡霊たちの嘆きの声に追い回され、精神を病んでいたラプスは何だろう、と胸に手を当てて考えていた。

 この暖かい感覚、ふわりとした感情。

 優しい熱い思いが湧き上がってくる。人に感謝されるというのは、こんなにも生きていると思えるのか?

 俺がこんなに幸せになっていいんだろうか?

 元勇者はひそやかに首をかしげながら、隊列に戻るのだった。

 

 ――四年前。

 戦争が終結した。

 数百年続いていた、西の大陸の魔族と人間族、竜族の三つ巴の大戦。

 何人もの勇者や聖女が参戦し、魔王と戦い……その命を散らしていった悲しい戦争でもあった。

 最大の激戦地、西の大陸は人類最大国家ラーディアナ帝国は新たな皇帝が即位する。

 稀代の名君と呼ばれた彼は――たった数年ですべての戦争を終わらせてしまった。

 魔族との和解という、誰も想像しえなかった方法で。



 そして勇者は失業した。



 ☆


「なあ……?」

「ん? なんだ勇者殿」

「もう戦争は終わったからその役職は辞めたいんだが……。どうして俺はこんなに心が苦しいのかな、魔王?」

「苦しい? ほう??」

「ああ、苦しい。戦争は終わったはずなのに、いつも耳の奥では剣と剣がぶつかり合い、魔法の攻撃音と誰かの悲鳴と――そんなものが聞こえる。寝ていたら夢の中に聖女が出てくるんだ。俺の手の中で死んでいったあいつが……血まみれでもう助からないと分かっていてもずっと息を引き取るまで回復魔法を俺はかけ続けた。死んだって理解しているのに、毎晩のようにあの光景が目に浮かぶんだ。起きたら――この手にべっとりと血がついている。そんな幻覚を見てしまう……」

「聖女? ああ、タチアナか。炎の女神殿の現世の代行者だったあの彼女な……あれは強かった。死んだのは勇者、お主の責任ではあるまい。あれは戦争だった。殺したのは――この魔王フェイブスタークだ。気に病むのは筋違いというものだ、勇者ラプスア。ラプス……お主は心を病んでいるのではないか?」

「心? 精神を病んでいるってのか、この俺が? あれだけ多くの魔族を殺してきたんだから、それは背負うべき罪だと思っていた……」

「罪? バカバカしい。神と魔の戦争に代理人として巻き込まれただけだ。誰にも罪などない、魔族の長たるこの魔王と、人類、竜族のそれぞれの長がその罪を抱えればいいだけの話だ。ラプス、お主は戦い過ぎたのではないか? もう休んでもいいころだと思うがな」


 紫の髪を持つ魔族の王はそう言い、部下の夢魔が淹れてくれた紅茶をそっとすすっていた。

 魔王なら人間の生き血じゃないのかとラプスアはそう思ったが黙って見ていることにして、もう四年近くになる。

 皇帝は帝都にいてくれと勇者だったラプスアにそう望んだが、彼は仇敵で一番心根の知れた相手である魔王の元に身を寄せていた。

 魔族との戦争が終わったら、今度は人間の国家間で国境線をかけた戦争が起きたからだ。

 もう、自分の行き過ぎた戦力で誰かが死ぬのを見るのは……彼には辛かった。


「フェイブスターク……なあ、フェイブ。あんたはそう言うが俺にはどうしていいか分からんよ。十二歳から十五年もずっと勇者をやってきた。戦いしか知らないし、まともに働いたこともない。でも、もう戦いはしたくない」

「だから休めばいいではないか。というか、この宮殿でこうしてチェスを打つようになって四年近く。傷など癒えたと思っていたが人とは案外……弱いものだな。人生まだあと半分はあるだろう? いまから学べばいいではないか」

「人の寿命は五十年とは言われているけど、何を学ぶ?」

「何でも、だ。そうだな……まずは多くの人と交わり戦いを忘れることだろうか?」

「交わるって?」

「こんな魔族の都に逃げ込んでも、人生は変わらんよラプス。どんなにつらくても、人は人の世界で生きるべきだ」

「だが、どうすればいい?」

「誰かを助けれてみてはどうだ? 社会貢献とかそうすればお主の心も癒されるかもしれん。感謝の声はとてもありがたいものだ」

「人助けか……」


 それは考えていた。

 だけどどうすればいいか分からない。何より帝都に戻ればまた勇者として利用されるのは目に見えている。

 いまは人間が何よりも怖い。

 ラプスは心のどこかでそう思い、魔族の中に潜むようにして紛れ込んでいた。

 魔王はふふんっ、と笑うと勇者に語り掛ける。


「我はもう千年近く生きてきたが――知っているか?」

「何をだ?」

「元は東の大陸で船乗りをやっていた。人間の仲間と共にな?」

「えっ……あんたがか? 魔王が!?」

「そんな時代もあった。魔族と人の混血児として忌み嫌われたものだ。いまはこうして魔王だが……ラプス。帝都に戻れ、無理ならこの魔都の隣にある王国に行けばいい。あそこは帝国から遠いし、まだ戦乱の爪痕に苦しんでいる。助けはいるはずだ。勇者なら、困った人民を助けるのが使命ではないのか? 少なくとも、我のかつての知人たちはそうだった」

「六年前、冷酷で無慈悲にも仲間を殺さないでくれと懇願した聖女を……殴り殺したあんたに言われたくないよ、魔王」

「かもな。さて、話は決まったと思っていいかな?」

「……ちょっ、おい!? 待――っ」


 魔王がさっさと行けとばかりに手のひらをひらひら振ると、音もなくラプスの姿はその場から消えていた。

 声だけを残して。

 後ろに控えていた部下の一人がフェイブスタークにそっと質問を投げかける。行かせて良かったのですか、と。


「構わん。そろそろ坊主の寝言も聞き飽きていたところだ。聖女、か。協定を破り禁呪でこの魔都の人民百万を焼殺しようとしなければ我もああは怒らなかった。勝つためには非道な女……ラプスの目には愛する女だっただろうが。あいつは仲間に恵まれない勇者だったのかもしれん」

「勇者殿のお荷物は?」

「放っておけ。聖剣を失い、魔族と仲良くしたことで主神からも呆れて放置されている勇者なぞ、どうでも良いわ」

 

 それよりもうすぐ来る冬の対策を練らなくては。

 小さくぼやくと魔王は親友の未来が明るくあるように、魔族の神である魔神にそっと祈っていた。


 ☆


 やられた。

 いつもなら遮蔽魔法で相手の魔法の効果範囲をごまかしてかからないようにしていたのに。

 聖剣がなければ神からの力も降りてこない。

 魔王に転移系の見知らぬ魔法で送り届けられた先は、彼が言っていたイリヤーブリット王国の王都マージナル……だと思う。

 ラプスは戦争時に何度か訪れたそこで見覚えのある尖塔を遠くに見つけてそう、当たりをつけていた。


「フェイブスタークのやつ。俺にどうしろっていうんだよ。いたいだけいればいいとか調子よく迎えたくせに……」

 

 生まれ持って与えられた重力操作の技巧がメイン。あとはだいたいの魔法を適度に使える程度。

 それと――剣や体技。

 いま使えるのはその程度でしかない。

 世間一般の騎士や上級冒険者からすればそれは達人の域のもので魔族には脅威だが、ラプスはそれを理解していなかった。

 戦争で得た経験、戦った相手は誰もがハイクラスの上級魔族だったからだ。

 彼にはまだ、平均的とか当たり前とか、常識という肝心なものがどこか欠けていた。


「寒いな。ここは魔都のように気温を一定に保つ結界すらないのか……。どうするかな、金はないが宝石類はある――」


 指輪に装飾品など。

 勇者として外見にもこだわれと持たされたものがほとんどで身に着けるのが習慣になっていたそれらは、過去に帝国から与えられたものだった。たった一つの指輪を除いて特に大事な思い入れもない。かといって以前の身分を使い冒険者ギルドに戻るのは嫌だった。新しい身分がいる。戦争で難民になったとでもいいわけするか? そうなると――


「売るか、この上等な服を着ている難民もいないもんな……」


 街中に行けば質屋なり換金所なりあるだろう。身なりが豪華すぎるのはまずい、妙な疑いは持たれたくなかった。

 数件をはしごして対応のよさそうな質屋で服ごと貧しい身なりのそれと交換することにした。

 金貨三枚。まあまあの額だ。

 この王国なら何もしなくても数年は暮らせるだろう。

 とりあえず宿屋を借りてそれから考えよう。

 ラプスはそう考えると、繁華街へと足を向けた。


「とりあえず一月泊まりたい。あと、仕事が欲しいんだ」

「銀貨二十枚――金貨の支払いなら半年はいてもいいけどな? なんで仕事を? あんたまだ数枚も金貨を持ってるじゃないか。数年はのんびりと暮らせるだろ?」

「全財産だ。ここに落ち着くよりもはやいうちに職を見つけてまともな部屋も探したい。荷物もこれだけだ……分かるだろ?」

「……難民かよ。部屋に妙なもの持ち込むのだけはやめてくれよ? 働くならそうさな――総合ギルドにでも行ってみればいい。何かあるだろ」

「総合? 各職業ごとに分かれているんじゃないのか?」

「戦争が終わる前くらいにな、国王様が公営にされたんだ。はみだし者、ゴクつぶしが行きつく先だった冒険者が、いまじゃまともな仕事になっちまった。経営する側はお役人様だぜ? ふん……時代も変わるもんだ」

「公営……か。わかった、明日にでも行ってみるよ」

「まあ、好きにしな。三階の奥だ。飯は朝晩二回。湯がいるなら別料金だ」

「分かった。ありがとう」


 日用品をまた買い出しに行かなきゃならない。これから要る物を頭で数え上げながらラプスは与えられた部屋へと向かう。

 なぜだか、その日は疲れ果ててしまい泥の中に埋もれたように眠ってしまった。不思議と悪夢は見なかった。


 翌朝。

 朝食を終えたラプスは道を教えてもらった通りに進み総合ギルドの門を叩く。お定まりの受付嬢との会話、簡素な手続きと参加費・手数料を払い最下位のFランク冒険者のプレートを得た。特に派手さのない薄い魔石を加工して作れられた紫色のそれには、ラプス、とだけ名前の表記があった。名前は変わっても冒険者に依頼をする方法はどこも変わらないらしい。一回の大ホール。壁際の告知板に貼り付けられた依頼書を見上げながら、ラプスはFランクでもすぐにできる仕事を探した。


「なんだ? 日雇い……? 即日に給与手渡し……へえ。雇用はギルド側がするのか」

 

 普通はギルドが仲介する依頼は、雇用は依頼主側になる。冒険者は一個人事業主のようなものだが、契約上の問題があったときに間に入ってフォローできるようにギルドに参加はしているが安定しない職業だ。しかし、この王国ではギルドに登録すればその期間中の雇用主はずっと総合ギルドだという。

 ――つまり身分だけは国家公務員の最下層に属することができるわけだ。これは画期的だった。


「国に雇われていることになるのか?」

「そうですね、といっても常用雇用になるには段階がありますけど。日雇いでも最低限の身分は保証されるんです、そうすると下宿も借りやすいしお金がないときも支援できる制度もあります。難民の方々には早く安定した職に就いて頂きたいんですよ」

「へえ……この制度を始めた王様は変わった人だな」

「はい。陛下は良い意味で改革的ですから」


 時代が不安定から安定へと変わるとき、どこの国でも名君が出るものなのかもしれない。

 ラプスはそう思いながら、日雇い冒険者になることにした。

 選んだのは荷運び人(ポーター)。

 自分の体力には自信があったし、もし不安でも重力操作の技巧がある。

 それにこれなら黙々と静かに作業をすればよさそうだったし、一番給与がいいのに成り手が少ない。聞くと重労働だから人気がないのだという。成り手が少ない職なら、逆に自分が自主的に手を挙げることで社会に貢献できるかもしれない。そう思ったからだった。

 

 まず最初の仕事は――建築中の資材の搬入作業。二週間の日ごと区切りの契約だった。

 これは確かに重労働だった。戦争から数年経過したとはいえ、経済の中心は帝国であり、ここは辺境。物資は不足し運搬する荷車を引く馬や牛に足りてない。人力で引っ張るとなればそれは誰もやりたがらないというのも納得のものだった。


「魔法は――使わないのかい?」

「魔法? そんなもの使える奴はみんな戦争で死んじまったよ! ここをどこだと思ってんだ、兄ちゃん。隣はあの魔王が住む魔都があるんだぞ? 戦争に出て、誰も生きて帰ってこねーよ……」

「そうか。ここは激戦区だったもんな……すまない」

「いいさ。昼までには運び込んでくれ。それが終わったら終わりだ」

「短いな? 時間は夕方までの契約だが?」


 そう言うと、職人は空を見上げた。

 雨が降るかもしれないから、長めに時間を設定しているのだという。早く終わればそれだけ早く帰れる。残業があれば残業代が出る。定期雇用ではないだけ生活は不安定だが、そういう面では便利だなとラプスは思った。

 なるべく周囲に悟られないように広範囲の重力操作を行い、仕事仲間たちの負担を減らそうとラプスは考えた。

 それは日雇い冒険者たちがよく働くという好印象につながり、彼の評価は緩やかに上がっていった。


 働くというのはいい。仕事があると生きていると暇を弄ぶことがない。責任をもって何かをするというのは意外なもので生きているという実感があった。汗をかき、金を得ると誰かの役に立てる自分がいると気づかされる。最初のうちは不慣れで人見知りもしていたラプスは、次第にこの仕事に慣れて行った。 

 その日だけだが仲間ができる。日雇い冒険者たちは同じ境遇だからか、奇妙な仲間意識があって連帯感が強い。現場をこなせばこなすぼど、顔なじみが増えていく。仲間同士で食事や仕事がない日は遊びに行くことも覚えた。朝早く起きて夜は決まった時間に就寝する。

 最初の頃は酒や睡眠を促進する魔法に頼っていたラプスは、一月もしないうちに自然と寝起きができるようになった。

 悪夢はある日を境に――姿を消していた。


 そんなある日のことだ。

 遠方まで物資を運搬する輸送隊が人員を募集しているが参加してみないかと、顔なじみの受付嬢からアナウンスが入る。

 王都を離れてみるのも悪くないかもしれない。

 そう考えたラプスは二つ返事でその依頼を請けていた。


「多いな。何人いるんだ?」

「二百近くじゃないかな。四つの隊が交互に輸送するんだ。王都から辺境の村や都市までな……ようやくここまで来れたなあ」

「ここまで?」

「これまではいろんな神様の神殿騎士様や王国騎士様たちに護衛されての輸送だった。物資もなかなか集まらなくてなあ。これが届けば国内は潤いだすはずだ。ようやく昔のような王国に戻るって気がしてな。嬉しいんだよ。戦争はもういい……」

「ああ、そういうことか。そうだな――戦争は最悪だ」


 忘れかけていたあの戦場での喧騒が一瞬、脳裏に浮かび上がる。懐かしくも吐きそうなその光景にひっそりと一人の女性の影が映っていたことに、ラプスはふと気づいてしまうが頭を振ってそれを打ち消した。

 彼女は――死んだのだ。


 輸送隊は二ヶ月の間に数回の襲撃を受けた。

 そのどれもが戦争が終わり職にあぶれた元傭兵や山賊、貧乏が災いして物資を村ごと襲いに来るところもあった。

 これまでは厳重な警戒だったのが今回は冒険者たちだけだという噂が先に広く流れていたらしい。

 少なくて数名。多くて百名近くの大集団でそれらはやって来た。


「殺してに来てるぞ!? 正気か?? 物資だけくれてやれば俺達には危害は……?」

「おい、ラプス? 何甘いこと言ってんだよ。相手は俺達を生かして帰す気なんてないに決まってるだろ? 逃がせば次は騎士団がやってくるんだ。皆殺しにするに決まってるじゃないか」

「……なんてことだ。俺はそこまで考えてなかった……」

「うだうだ言ってる暇はないんだよ。剣を持つか、使えなきゃ荷馬車を逃がす方法を考えろ! 仲間で集まって生き延びることだけ考えろ! さもないと……殺されるぞ!?」

「……。剣を貸してくれ。俺も戦う」

「ああそうしてくれ! 死ぬなよ、ラプス」


 隊の護衛を請け負った冒険者が腰から予備の剣を引き抜いて放り投げてくる。

 その日、輸送隊を襲った敵の数は五十弱。

 どこまで元勇者としての強さを発揮していいか悩みながら防戦していたラプスが、数時間後に撤退していく敵を視界の隅にしてた時、剣の元の持ち主は帰らぬ人になっていた。


「俺がもっと戦っていればよかったのか……?」

「気にすんなラプス……これが戦争だ」

「戦争? だって、ここはもう戦場じゃない」

「俺たちにはそうだろうが!? 誰もが必死になって生きようとしたんだ。誰のせいでもねーよ……行くぞ。埋葬しなきゃならん。出来るか?」

「あ、ああ……大丈夫だ……」


 茫然自失とするラプスに仲間はそう声をかけた。誰もが命をかけて戦ったのに、俺は何をやってた? 勇者だってことを知られたくなくてただ逃げるだけじゃなかったのか。俺はこれでいいのか……?


――勇者なら、困った人民を助けるのが使命ではないのか?


魔王のそんな声が頭のどこかで聞こえてきた。

勇者か。誰も救えない勇者に価値なんてねーよ……フェイブスターク。

数年ぶりに仲間を失った苦しみは、ラプスに剣の柄を改めて握りしめさせる。

次は守ろう。

誰も死なせてたまるかよ……そう決意したラプスの影から、夕闇に紛れてそっと一匹のコウモリが飛び去ったことに気づく者は誰もいなかった。


 ☆



 北の山岳地帯、魔都グレイスケーフで魔王は一人、静かに笑っていた。

 追い出した時に張り付けておいた見張りから入った報告が、いかにもあいつらしいと思わせたからだ。

 勇者はどこまで行っても勇者らしい。

 なら、魔王は魔王として動くことにしよう。

 フェイブスタークは背の闇色の巨大な両翼を数年ぶりに開く。なにか魂が躍動したときに魔王が見せる仕草だった。


「父上……?」

「ああ、いいことがあったぞ。親友が蘇った。善くも悪くもあいつらしく、な」


 玉座の傍らで控えていた娘の一人が魔王の皮肉気な微笑みを見て、不思議そうに小首をかしげる。

 勇者ラプスがどうやらまともになったらしい。それは魔族にかつての脅威が蘇ったことを示唆している。

 だが、魔王はそんなことに恐怖を感じているわけではないらしい。それに、勇者と戦う未来を見ているようには娘には思えなかった。


「喜ばしいことですが、しかし、ラプス様が戻られたということは……戦争はまた?」

「いいや、いいや。それはないぞ、エミスティアや。ここまではかつての旧友どもが予言した通りよ。帝国は偉大なる皇帝を抱き、これから竜と人の対立に時代は移り変わる。竜王が今度は苦しむだろうな。魔族は静かに生きればいい――だが、その前にやるべきことができた。付き合え、エミスティア」

「どちらにお越しになられるというのですか、魔王陛下」

「決まっているだろう? 我が魔都に向けてはならぬ牙をむけ、いまだにあれの悲しみの原因になっている者の魂を独り占めにしている愚か者どもの館……ガキどもが神を気取っている天界だ!」

「天界? しかし、神々との直接の対立は千年前のあの条約で禁止されたはず……」

「その条約を二度も破られて黙るような王などおらぬわ。あやつら、今度は操る糸を手放したはずの存在にまで興味があるらしい。行くぞ、神を屠るなど数百年ぶりだ……」

「陛下、お待ちを!? 兵が足りません! それに二度の約束を破ったとは? それほどに勇者が大事ですか??」

「兵などいらぬ。黙ってついておいで。たまには善きこともしたいではないか? 魔王も一人の親友を大事にしたいときもあるものだ」

「はあ……父上様、また悪い癖が出ておられますよ。犠牲になる若き神たちが可哀想ですわ、陛下。かつての神殺しの暴竜が目覚めるなんて……」

 

 フェイブスタークと容姿が似ている王女の一人が彼が招き入れる両翼の中に包まれると、玉座の間は主の帰還を待つ家臣たちの沈黙で包まれた。

 一度目の条約破りはあの聖女の件だろうと誰もが理解する。二度目のそれとは何だろう? 家臣たちが疑問を持つなか、一人したり顔でまたか、と笑っているのは事情を深く知る魔王の懐刀の宰相だけだった。



 神の館は久しぶりに騒がしかった。

 普段、訪れるはずのない客人がいきなり押しかけたからだ。

 護衛する下級の武神たちを軽々と一蹴すると、かつての神殺しは緩やかに歩を進める。

 後ろにはここに居れば安全と思いながら、伝説に聞く偉大な父王の魔力を見物し一人悦にいる、魔王女エミスティアの付き従う姿があった。

 魔王はまるで懐かしい我が家を歩くように迷うことなく、閉じられている扉を目に見えない圧で押し開き、行く手を阻もうとする結界をあっさりと無効化していく。

 娘はそれに不可思議さを感じて声をかけた。


「陛下? まるで旧知の場のようにお行きなさいますが……」

「当然だ。地上と地下の魔界を統べる二十四柱の魔王は等しくこの館の中を知っている。隅々までだ」

「それはなぜ……? いつから我らはこの天界を追われたのですか?」

「追われたのではない。千年前に六人の王がいた。神の影に生きた六王との約定により魔王は天界を後にしただけだ。地上世界での戦争は代理戦争とする。各種族が増えすぎないように、どの民も滅びないようにすること。それが盟約であり、条約だった」

「では、それが破られた、と?」

「一度目はな。二度目は……」

「はあ、二度目は?」

「神の地上の代理人たる勇者と聖女は、その任務が終わればただの人に戻れる。一度でも神との契約が途切れれば二度目に無益な戦争には引き込まない。そういう盟約だった」

「では、ラプス様は一度はその役割を果たされた、と?」


 そういうことだとうなづくと魔王は眼前に現れた扉を楽しそうに見上げていた。ここだ、エミスティア。そう言うと、彼は爆風のような怒りを行く手をふさぐ巨大な扉に叩きつける。

 それはあっけなく灰燼と帰し、元の外観をとどめないほどに砕け散ってしまった。

 ……さすが、我が魔王。

 エミスティアは心で感嘆の声を上げた。

 その向こうにいたのは三柱の神だった。

 男神が二柱、女神が一柱。

 古き神々より地上世界の管理を託されたはずの新世代の神々だった。

 魔王は咆哮を上げる。


「はるか千年より守られてきた盟約を軽く反故にしおった愚か者が……たかだか数百年しか生きておらん若造どもが調子に乗るなよ、このクソガキどもが! さあ、戻してもらうぞ。我が親友の宝を、あの聖女の魂をな!」


 神々は古の暴威にその刃を向けると、老害が、と静かにせせら笑う。

 彼らは己が犯した罪の深さを……まだ知らなかった。


 ☆


 あれから二度、だ。

 山賊どもは追い払ったはずなのに襲来するたびに数を増やしていた。

 最初は五十、次は七十、そしていまは――百に近い数の敵に取り囲まれている。ようやく本体と合流した敵が総力を挙げて襲ってきた……ラプスにはそう見えた。


「いい感じだ」

「え? おい、ラプス。お前、何を言って……?」

「いいじゃないか。敵の全数に近い数があっちから来てくれた。死んだやつらの仇を探す手間が省けた」

「お前――まともじゃないぞ……あの数を見て気でも触れたんだな。まあ、分かるよ。こっちは多くて三十だ。あっちは三倍からいるからな。もう死ぬしかない。俺も気が変になりそうだ……」

「なあ、みんなは集まっているよな?」

「は? そりゃそうだろ。荷物の周りにいるよ。誰が出ていくってんだ、こんな状況で……」

「なら、よかった。ここにいろ」

「おい、ラプス!? どこに――」

「決まってるだろ。敵を迎え討つんだよ。動くなよ」

「おいっ!!?」


 誰かが止める暇もなかった。

 輸送隊の周囲に楕円形の砂塵を巻き上げる力場がせりあがる。それは半ボウル状に隊をうちに飲み込むように覆い被さると天高く昇った三日月の銀色の光を受けてぼんやりと鈍く輝く。

 外界と断絶されたその内側からは外のことが何も見えず、かすかに音が聞こえるだけだった。


 広がれ……奴らを捕えろ。仲間を守るために!!

 ラプスの意識を受けて新たな重力の輪が山賊たちを取り囲む。巨大な網の中に捕らえられ、普段とは桁違いの重さに身体の自由を奪われた犯罪者たちがラプスの一撃……それでも、刃をかえした峰での殴打に崩れ倒れ行く様をただ月だけが静かに傍観していた。


 外の見えない囲みから彼らが解放されたのはそれから数分後のことだ。

 仲間たちを倒され、ほうほうの体で逃げ出す山賊たちを見て彼らはラプスを勇者と称え、逃げ出す敵に向かい勝利の雄たけびを上げていた。

 それからあったのは先に述べた通りだった。

 元勇者は本当の意味での勇者となれたのかもしれない。

 ラプスは目的地に向けて歩みを再開した荷馬車の空いた隙間に座ると、静かに月を見上げた。

 守れてよかった。

 仲間が喜んでいる様を見るのは何よりも嬉しい。

 これが終わったら長期派遣してもらえるように頑張るか……

 でも、と勇者は思う。

 タチアナ、俺はまた死に損なったよ。いつになったら、お前の側に行けるんだろうな、と。

 


 

 一月後。

 王都に戻ったラプスの宿の部屋を遠慮がちに叩く一人の女性がいた。

 扉を開けたラプスの目は大きく見開かれ、驚きと喜びと、少しばかりの悲しみに彩られる。

 これは夢じゃない、そう思うと彼は思わず彼女を抱き締めていた。

 もう二度と失うことはないようにすると誓うよ。

 俺はこんなに幸せになっていいんだろうか?

 そう思いながら、ラプスは女性を招き入れるとそっと扉を閉じていた。


「陛下、よかったのですか? いかに親友のためとはいえ、ここまでしなくとも……あの神々、可哀想に……陛下に散々、殴られ恐れおののいていたではないですか」

「たまには魔王が善行をしてもよかろうが? 産まれるはずの子の魂を人質にされたのでは、母親は従わざるを得なかった。そうと分かれば責めることもできぬわ」


 あの小僧どもはまた可愛がりに行ってやろう。

 いい暇つぶしができたと喜びながら空間に投影したラプスとかつての聖女タチアナの幸せそうな姿を見て満足そうにうなづくと、魔王はたまには妃に構ってもらうかな。そう言い、玉座を後にしたのだった。

 


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