第5話

 流里さんと話をしてからも、私と晃子さんの関係に特に変化はなかった。

 連絡を取り合い、都合が合えばデートをしたり、食事をしたりする。

 流里さんが「応援する」と言ってくれたからだろうか。晃子さんとの関係に不安を感じていたけれど、付き合っているとか、恋人だとか、それともセフレなのかとか、そんな肩書きを気にする必要はないと思えるようになった。

 私が晃子さんを好きで、晃子さんは言葉にしてはくれないけれど、私のことを好きだと思う。

 お互いに好きだと思い合えているのであれば、それで充分なんじゃないかと思う。

 そんなある日、定例の劇団の稽古に行くと、見知らぬ男性がやってきた。

 二階さんの古くからの演劇仲間で、五島(ごとう)という名前らしい。

 そうして持ちかけられたのは、五島さんが所属する劇団公演への客演依頼だった。

「こっちはしばらく公演の予定もないし、いいんじゃないか?」

 二階さんが言う。

 台本を見せてもらうと、コメディながらホロリとさせるところもあって面白いと思った。私に持ち掛けられたのは、主人公をサポートするなかなか重要な役どころだ。

 他の劇団で芝居をすると得られるものが多い。出演したい気持ちもあったけれど、公演日まであまり時間がないため、かなり稽古日が多く入っていた。

 公演日まで、仕事終わりも休日もほとんどを稽古に費やすことになる。

 今の私は演劇を趣味の範囲でやろうと思っている。もちろん、公演日が近くなれば通常よりも稽古が多くなるけれど、それでも余暇を使って芝居をしている状態だ。

 客演することになれば、以前のように芝居中心の生活になるだろう。

「少し考えさせてもらってもいいですか?」

「それはもちろんです。あまり時間がなくて申し訳ないんですけど……。良いお返事を期待しています」

 五島さんは爽やかな笑みを浮かべて帰って行った。

 その日の夜、私は晃子さんに電話をかけた。

 客演のことを相談するためだ。

 呼び出し音を聞きながら、今まで付き合っていた人にこんな相談をしたことはなかったなと思い出した。私は、自分のやりたいことを優先していて、相手がどう思うかなんて考えようともしなかった。

「楓子?」

 電話にでた晃子さんが私の名前を呼ぶ。なんだかそれだけで嬉しくなった。でも、そんなことを悟られるのは恥ずかしいから、平静を装って客演依頼について説明する。

「晃子さん、どう思う?」

「いいんじゃないの? 面白そうなお芝居なんでしょう? 私も見るのが楽しみだわ」

 晃子さんは考える間もなくすぐに返事をした。

「でも、お稽古で忙しくなるから晃子さんと会う時間が少なくなると思う……」

「そんなこと気にしなくていいわよ。あなたがやりたいことをやってイキイキしている方がうれしいもの」

 晃子さんのそんな言葉が嬉しかった。だけど同時に寂しくもある。会う時間が少なくなることがイヤなのは私だ。

 晃子さんが私のことを尊重してくれるのはわかっている。

 だけど、晃子さんは私と会えなくても平気なんだと思うと悲しくなる。

 これは私のわがままだ。

「うん。じゃあ、依頼を請けようかな」

「またお稽古場に差し入れも持って行ってあげようか?」

 晃子さんの言葉に即時に頷こうとしたけれど、それをグッと堪える。

「ありがとう。でも客演で向こうの雰囲気がわからないから、差し入れに来なくてもいいよ」

「そう、わかった」

 晃子さんの声が少し残念そうに聞こえた。

 晃子さんが稽古場に来てくれたら嬉しい。だけど客演先の雰囲気がわからないから、晃子さんがイヤな気持ちになるかもしれない。

 なによりウチの劇団に来たとき、晃子さんを狙う野獣たちが押し寄せていた光景を思い出すと、手放しで歓迎もできないのだ。

 あのとき晃子さんに群がっていた団員の中には、本気で晃子さん迫ろうとする人もいた。

 晃子さんは上手にかわすのだろうけど、私の恋人だと宣言もできずに、ヤキモキしているのは嫌だった。

 肩書きなんて必要ないと思えるようになったけれど、やっぱり私は肩書きがほしいみたいだ。

 晃子さんと話をした翌日、五島さんに客演を請ける旨を伝えて、その三日後から稽古に合流することになった。



 五島さんの劇団は、かなり真剣に演劇に取り組んでいる。私が所属している劇団は、趣味の延長線上にあり、ゆるい雰囲気なので、ピリッとした空気の中で演技をするのは久しぶりだった。

 公演が迫っていたため、火・木の夜と土日の終日稽古をする。それ以外にも場合によっては追加の稽古や個別の打合せがある。

 ほとんどが初対面の人ばかりだったけれど、稽古をはじめたらすぐに打ち解けることができた。

 稽古終わりにみんなで食事に行き、演劇論を交わすのも刺激的で楽しい。

 だけど晃子さんに会えないのが寂しかった。

 公演日が近付いてくると、臨時の稽古が度々入るようになった。

 公演が翌週に迫った金曜日の夜の臨時稽古のとき、土曜日の通常稽古日を休みにすると告げられた。一度のんびり休んで鋭気を養おうという趣旨らしい。

 丸一日休めるのは久しぶりだ。かなり疲れている自覚があったから、いつもならば一日中家で寝て過ごしていたと思う。

 だけど私は迷わず朝一番で晃子さんに電話をかけた。

「今日、稽古がおやすみになったから久しぶりに会わない?」

「そうなの? 残念だけど、先約があるのよ」

「先約? それはずらせないの?」

「ごめんね。疲れているでしょう? 今日はゆっくり休んだら?」

 久しぶりに晃子さんとゆっくり会えると跳ね上がっていた気持ちが急激に落ち込む。

 遅い時間だからと遠慮したけれど、金曜の夜のうちに電話をしていたら『先約』をずらしてもらえたかもしれない。そう思うと余計に悔しいような悲しいような気持ちが迫ってくる。

 晃子さんと会えないのなら出掛ける理由もないと、家でゴロゴロしていたけれど、目が覚めてしまったし、なんとなく落ち着かなくて私は少し散歩をしようと家を出た。

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