第3話

 晃子さんが差し入れに来てくれた翌週の土曜、日曜に計三回の公演が開催された。

 晃子さんは、日曜昼の最終公演を見に来てくれる。いつも一人で見に来るのに、今回はチケットを二枚頼まれた。

 どんな相手と来るのだろう。心がザワつく。幕が降りたままのステージにスタンバイして、幕の向こうにいるはずの晃子さんの姿を思い浮かべる。

 見知らぬ誰かと肩を寄せあって座るところを想像して心にモヤがかかる。私は頭を振って邪念を吹き飛ばした。

 幕が上がれば私は別人になる。役者として別の人生を生きるのだ。

 そうして芝居を演じきり、舞台は無事に幕を閉じた。

 役者陣は衣装のままロビーに移動する。来場者にあいさつをするためだ。来場者のほとんどが役者の関係者だ。友人の場合もあるし、役者のファンのこともある。私たちを見るために足を運んでくれた方々にあいさつをして回るのだ。

 ロビーや玄関先には、目当ての役者を待つ観客で賑わっていた。

 ロビーに出ると、早速いつも舞台を見に来てくれる女性の二人連れに声を掛けられた。

 お礼を言うと、彼女たちは口々に劇の感想を話しはじめた。私は笑顔で話を聞きながら、横目で晃子さんの姿を探す。

 何か用事がない限り、晃子さんはロビーで待っていて私に労いの言葉を掛けてくれる。

 しかし今日は、誰かと一緒に来ている。もしかしたら帰ってしまうかもしれない。せめて、どんな人と一緒に来たのか少しでも見ておきたかった。

 しばらく探すと、ロビーの端にその姿を見つけた。どうやら、ヒゲの二階さんに捕まっているようだ。私は心の中で二階さんに感謝の言葉を贈る。

 女性二人連れとの話を終えて、私は晃子さんの元へ向かった。

 晃子さん横には背の高い女の子がいた。遠目からでも仲の良い様子が伺い知れる。

「晃子さん」

 私が声をかけると、晃子さんよりも先に二階さんが答えた。

「おお、久我からも言ってくれよ。打ち上げに誘ったんだが、来てくれないって言うんだよ」

 晃子さんを見ると困ったような笑みを浮かべた。

「お誘いは嬉しいんだけど、今日は子ども連れだから」

 その言葉を受けて、晃子さんの隣に立つ女の子を見た。晃子さんよりも背は高いが顔は幼い。

「子どもじゃないのに」

 そう言って頬を膨らませる姿はまさに子どもだ。

 二階さんが常連のお客さんに呼ばれて立ち去り、私たちは三人になった。

「えっと、来てくれてありがとうございました」

「いえいえ。すごく楽しませてもらって、こちらこそお礼を言わないとね」

 私は笑顔で答えた晃子さんに少し頭を下げたあと、隣に立つ女の子に視線を移す。

「ああ、この子は流里(るり)さん。どうしても見たいって言うから、仕方なく連れてきたの」

 晃子さんはため息交じりに言った。

 すると、流里さんは晃子さんを睨んで再び頬を膨らませたが、すぐに私に視線を移した。

「はじめまして。木下流里(きのしたるり)です。お芝居すごく楽しかったです。お芝居なんて学校の演劇部くらいしか見たことなかったから、すごく感動しました」

「ありがとうございます」

 流里さんは高校生くらいだろうか。幼さの残る笑顔がかわいいと思う。

 流里さんを見る晃子さんの顔がいつもよりやさしい気がした。晃子さんは、メークをしていない童顔の私を見ていつも喜んでいる。

 いつだったか、デートのときメークアップスタジオに連れて行かれた。

 普段の私のメークはきつすぎるからプロにメークをしてもらおうと晃子さんが提案したのだ。私は少し渋ったけれど「役者なんだから、メークでいろんな顔が作れた方がお得でしょう?」という晃子さんの言葉に折れた。

 メークスタジオで施してもらったメークは、確かに普段とは印象が全く違うが、童顔さも隠されていて私自身も気に入った。

 何より、晃子さんが絶賛していたのが嬉しかった。

 だけど自分ではそのメークを再現することができず、次のデートでは、いつものメークに戻ってしまった。

 晃子さんは気にしていないようだったが、本当はがっかりしていたのかもしれない。

 晃子さんは年下が好きなのだろうか。流里さんのような若い子が好みだから、私にも若く見えるメークを勧めたのだろうか。

 そんな私の心のモヤモヤした想いを解することなく流里さんは屈託のない笑顔で続ける。

「舞台の久我さん、すごくきれいでした。もう、本当に見惚れちゃいました」

 すると晃子さんが「流里さんの眠り姫も負けてなかったわよ」と言う。

「もうその話はやめてよ。鍋島先生のそういうところ、本当に嫌い」

 そうして流里さんは頬を膨らませる。

 すると晃子さんは、楽しそうに笑いながら流里さんの膨らんだ頬を両手でつまんだ。

「やだ、嫌わないでよ。私は流里さんのこと大好きなのに」

 流里さんが晃子さんの手を払ってじゃれ合っている姿を私は呆然と眺めていた。

 私には一度も好きだと言ってくれない晃子さんが、流里さんにはサラッと好きだと言った。好きどころか大好きだと言った。

 そこからは何を話したのかよく覚えていないが、「他の方へのあいさつもあるでしょう?私たちはそろそろ帰るわね。打ち上げで飲み過ぎないようにね」と晃子さんが言って、流里さんとともにロビーを出て行った。

 半分魂がそがれたような状態で、他のお客様とのあいさつを交わしていると「久我さん」という声が聞こえる。

 声の方を見ると、立ち去ったはずの流里さんがそこにいた。

「あの、これ、私の連絡先です。今度二人でお話しませんか?」

 と言って、連絡先のメモを渡された。

 宣戦布告というやつだろうか。

 私は連絡をするべきか悩んだが、二日後、流里さんに連絡を入れ、その週の土曜日に会うことになった。

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