固定観念の絞殺4

 煉瓦道を踏み鳴らす。日中の人通りは多く、どこの店も客を引き込もうと活気付いていた。それを聞き流す俺達の目的地は劇場だが、どこにあるのか俺は知らない。フリルキュロットを揺らすアドニスを頼りに歩を進めた。事件のことを改めて考えていれば嘆息が零れてしまう。


「大地と農耕の神クロノス……か」

「役者は危うい存在かもしれないね。その役のイメージを強く植え付けられたら、魔法使いになってしまう可能性が高い」

「そうだな。けど劇の、神話の通りなら食べられる子供は五人だけなんだろ? となると犯人も、五人の子供を殺したことで終わりにするつもりで葬儀屋の家の前に遺体を遺棄したとも考えられるんじゃないか?」

「五人で一区切り、もう一度少女から殺し始めてまた五人の遺体を置いていく、とも考えられるよね」

「――違うよアドニス、次に殺されるのは男の子だ」


 馴染みのある声に振り向く。雑踏に立っていたのは葬儀屋だ。手にしている杖はただの飾りファッションだろう。漆黒の装いに百合の花束を抱えている姿は葬式にでも行くようだった。


「葬儀屋、ここに何か用でも?」

「コンラートのせいで外出することになったからね、ついでに君がいつもお世話になっているグレーテくんに挨拶をしておこうかと」

「よく分かりませんが、グレーテに妙な真似はしないでくださいね」

「するわけないじゃないか」

「どうして男の子が殺されるんだ」


 割って入ると、葬儀屋の切れ長の目が楽しげに俺を映す。涼風に弄ばれた百合が花片を散らす。ひとひらの皓白こうはくは青空の眩さに溶け消えた。喧噪と遊離した静けさを纏って、彼は言った。


「ゼウスが死ぬからさ」

「神話だとゼウスは死なないはずです」

「それはクロノスの妻、レアが石を食わせるからだ。だがこの事件の配役にレアは用意されていない。いるのは子供を殺すクロノスと、殺される子供だけ。レアがいないのなら当然ゼウスも死ぬよ」

「……つまり私達が、石を食わせる代わりに、仕留めなければならない」

「そういうことだ」


 アドニスの懸珠オッドアイが刃のような鋭さを帯びていった。高い踵の音を皮切りに、黒衣もまた翻る。


「犯人の居場所を突き止めに行きます」

「クロノスが魔法使いなら大地に焦がれているかもしれない。僕が死体を愛してしまうように」


 通行人とぶつからぬように進んでいくアドニスの背中を追った。肩を並べて面差しを覗き込むと、葬儀屋の助言に考え込んでいるようだった。柳眉を寄せる彼女の爪先は、それでも止まることを知らない。一直線に突き進み、飲食店から遠のいていく。


 辿り着いた劇場は凝望してしまうほどの美しさだった。細かな彫塑ちょうそで粉飾された柱や壁面。屋根の窪みには彫像が供えられており、神殿のような造りをしていた。現在上演している劇はないようで、入っていく人はいなかった。


 入口へと踏み出したアドニスに付いていく。ちょうど扉が開け放たれ、足を止めた彼女が男性と衝突しかけていた。彼女は好機とばかりに彼へと詰め寄った。


「すみません、あの」

「なに、君、俺の愛好家ファン?」

「え、いえ」


 精悍な顔立ちの男性が優雅な仕草でアドニスの手を取る。俺は咄嗟に、呆けている彼女の肩を引き寄せて彼から引き剥がした。


「俺達は人を探してここに来たんだ。あんた、『神々の誕生系譜テオゴニア』って劇で」

「いやぁ、嬉しいね。君みたいに可愛い子に会いに来てもらえて。稽古が終わったら一緒に食事でもどうかな、夜になっちゃうけど待っててくれる?」

「っ俺の話を聞け」


 嬉々としてアドニスに伸ばされる手を振り払う。華奢な肩を俺の背へと押しやって、男性を睨め付けると、白けた目を向けられた。


「男とビジネス以外の話をする趣味はないんだよね」

「いいから教えてくれ。クロノスを演じた役者、分かるか?」

「あぁ……マルガのファン? あの女のどこがいいんだか」

「女?」


 俺とアドニスの呼気が重なった。農耕の神クロノスは、女神ではないはずだ。女性が男性役を演じていたことになるが、確かに演劇ではそういったことも珍しくはないのかもしれない。思考を巡らす俺に彼が吐出したのはあざけりだ。


「もしかして知らなかった? うちの劇団は男装役者なんて求めてなくてね、あいつは男だって偽って劇団に入ってたんだ。クロノスを最後にひっそり役者を辞めて、その後で女だったことがバレてファンからバッシングされたそうだよ。今生きてんのかな?」

「……マルガさんは役者を辞めたんですか? 貴方の口ぶりからして、辞める前はバレていなかったんですよね?」


 彼の口吻に対してアドニスが苛立っていることがわかる。丁寧に聞きながらも、その声音は微かな冷たさを孕んでいた。


劇団員おれたちにバレたから辞めたようなもんだよ。あいつ、大声で俺のこと非難しやがって」

「――ヨハンどうしたの? なにかあった?」


 豪奢なドレスが目を奪う。劇場の扉から現れたのは令嬢と称するのが相応しい女性だった。演劇の衣装だろうか、重そうな裾を揺らした彼女は男性の腕に絡みついていた。


「あぁ、マルガについて聞かれてさ」

「マルガ……マルガ・クロイツァー? 彼女がどうかした?」

「知らないよ。会いたいんじゃない? イリーネあいつの家とか知ってる?」

「ええ。橋の向こうに服飾店があるじゃない? そのすぐ傍、煉瓦造りの建物よ」


 フェストの土地勘がない俺ではよく分からないが、アドニスならわかるのだろう。目配せをしてみるとアドニスは俺を見上げて点頭していた。


「ねぇ、教えてあげたんだからお兄さんウチに入らない? 貴方なら舞台映えすると思うわ」

「悪い。教えてくれてありがとな」


 アドニスの手を引いて歩き出す。蒼天を仰げば太陽はまだ高いところにあったため、昨日よりは早く解決出来ることを祈った。


 俺の手をすり抜けた彼女が、先導するように前へ出る。橋の上も午刻だと人が多い。景色を眺める恋人、ベンチに座って飲食をしている親子、街並みを描く画家。彼らを横目にねいせいな日常を泳いでいたら、アドニスがモーニングコートを着た紳士に引き止められていた。


「お嬢さん、死者蘇生に興味はありませんか?」


 怪しげな言葉と共に差し出されている招待状。俺がその手を払う前に、アドニスは冷めた目で招待状を受け取っていた。とはいえ警戒しているのは彼女も同様で、その表情は硬かった。


「一人で来るのは不安でしたら、保護者の方と一緒でも構いませんよ。興味があれば、来週式場までお越し下さい」


 煤色の髪が風に遊ばれる。アドニスが招待状を懐に収めたのを見届けてから、彼は他の通行人の方へと焦点を移していた。光に当たって血色に見えた鳶色の瞳が、やけに印象に残った。


「……おい、まさか行かないよな」

「死者蘇生なんて信じていないよ」


 瞬刻だけ、彼女が燻らせた好奇。それは煙霧のように消散していく。彼女の足取りは薄氷うすらいを踏んでいくようで、危うさが滲出していた。それは気のせいかもしれないが、時折見え隠れする脆弱さが俺に心配を抱かせる。危ない橋を渡って欲しくはなかった。


 服飾店のすぐ傍、煉瓦造りの建物は一軒だけで、すぐにそこだと推断出来た。ドアノッカーを躊躇なく鳴らす彼女。数秒の後に俺達を出迎えたのは壮年の女性だった。


「どちらさま?」

「マルガ・クロイツァーさんのお宅ですよね。マルガさんはいらっしゃいますか?」

「あぁ……あの子なら出て行ったわよ。帰ってこないでしょうね。追い出したもの」


 遠くを見る双眼。そこに愛情は感じられず、眉を顰めた。心配さえしていないのだろう。女性は煩わしいと言わんばかりに無味乾燥な声でアドニスに応じていた。


「私達、探偵のような仕事をしているんです。マルガさんについてお話を伺ってもよろしいですか?」

「あの子の何について聞きたいのかしら。ヨハンとかいう役者に強姦されて妊娠させられたこと? ポストから溢れるくらい批判の手紙が送りつけられたこと? それとも産んだ子供を川に捨てた話かしら?」


 悉皆しっかいと重ねられていく真実に驚きを隠せない。先程悪びれもせずマルガを嘲罵していた役者、ヨハンに対して怒りが込み上げてくる。拳を固めていたら、アドニスが人好きのする笑みを保ったまま問うていた。


「手紙を、見せてもらっても構いませんか」

「そこのポストに詰まってるでしょう。どうぞご勝手に」


 女性が手で示した先、玄関のすぐ傍にある紺色のポストには、大量の手紙が詰まっていた。収まりきらなかった手紙が三通ほど庭に落ちており、便箋の色が雨や土によって変色していることから、幾日も放置されていたことを推量した。何通か開いて内容を確認する。殴り書きの筆記体で書かれていたのは脅迫じみた文面だった。


『貴方が演じたクロノスのように、子供に殺されるがいい』

『こんなことをしたのだから赤ん坊に恨まれている、貴方は赤ん坊の霊に殺される』


 アドニスといくつか見せ合ってみたが、どれもそんな内容だ。差出人は当然書かれていないがどれも筆跡が違う。多くの愛好家から恨まれていたようだった。


 何人もの恨みと悪意、失望。それは望まぬ妊娠をして既に傷付いていたはずの彼女の心を、簡単に壊してしまえただろう。そして『クロノスのように報いを受けろ』という無数の呪詛。歪められていてもおかしくはなかった。


「馬鹿よねぇ。女の子なんだから女の子らしく、可愛い服を着て淑やかに生きていればよかったのよ。男として振舞っていたんですってね。こんな風に話題になっちゃって、私の育て方までおかしかったみたいじゃない。どうしてあんな風に生まれちゃったのかしら」


 俺達を後目で捉えて黙っていた女性が、堪えきれずといったように愚痴を吐き捨て始めた。マルガの生き様を、その親が否定する。まるで生まれた時点で間違っていたとでも語るように、嘲る。それは厭わしいものでしかなかった。


「昔からそう、男の子みたいに泥まみれになるまで遊んで、男物の服ばっかり着て。何度叱っても直らなかったのよ。男になりたいとか言って役者を始めたのも、親として恥ずかしいからやめなさいって言ったのよ? 女に不相応なことをするからこうなるんじゃない」

「好きなように生きることは、いけないことですか」


 凛冽と振り下ろされた氷刃は少女の低声だ。彼女の指先から、手紙が枯葉のように零落していく。近付けば電流が走りそうなほどに迸っている慨嘆。悶着が起きる前に止めた方が良いのだろうが、彼女を引き止めようとは思えなかった。


「女ならこうしろと押し付けられるのも、女でないならそんなことをするなと言われるのも、私は全部不愉快です。私でさえそうなのだから、本当の女性は、男性は、きっととても嫌な気持ちをして苦しんでいる。そんなことくらい、私でも考慮出来る」

「な、なんなのよ」

「貴方達は性別を持っているのにどうして同性の気持ちにさえ寄り添えないのですか。生まれる姿を選べなかったからこそ、生き方くらいは選びたいと思いませんか。こうあるべきだなんて、そんな言葉は貴方自身の首だって絞めていきますよ」


 女性の色差しが憤怒で赤らんでいく。落ち着きなく動く唇は今にも怒鳴り出しそうだった。それでも追い打ちをかけるようにアドニスが開口したため、静観し続けるわけにはいかない。手紙をポストに収め直し、彼女へと歩み寄った。


「女だからこれは控えないと。こんな振る舞いはやめないと。そんな風に制限された中で生きていくのは、生き辛いだけじゃないですか。人の脳味噌にはしたいことがいくつも詰まってる、夢を見れる。それなのに他人に制限される人生なんてクソ食らえだ」

「っアドニス、そろそろ……」

「貴方はその服を好きで着ているんでしょう? 好きなように着飾って生きているんでしょう。それは正しいし素敵な事です。だから好きなように男装をして、好きに生きていた彼女も。貴方に罵られるようなことなどしていなかった。せめて貴方には認めてもらいたかったはずです」


 眼球の奥深く、その脳髄さえも貫いてしまいそうなほど真っ直ぐな眼勢。アドニスは片時も目を逸らすことなく女性に自論を突き刺した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る