固定観念の絞殺2

 階段に差し掛かったところで、彼の手を振り解こうと力を込めた。


「スヴェン、離してくれ。私は大丈夫だから」

「大丈夫って……」

「ほら、血だってもう止まってる。そもそも死なないって言っただろう? 私は葬儀屋の魔法で生かされているんだ。傷付いても彼が魔力を注いでくれたら元に戻るようになっている。だから何をされても大丈……」

「大丈夫なわけないだろ。葬儀屋の魔法がどういうものかは知らないが、本当に死なないとしても、痛みが苦しくないわけがない」


 見上げた先で、彼の鋭い目見は険を含んでいた。怒っては、いるのだろう。けれどその憤懣の芯は憂いで固められていた。


 私を安全な所に無理矢理引き込むような、純粋で力強い心配。そんなものを向けられたことなどなくて、堪えきれずにそっぽを向いた。


「……ありがとう。けど、今後そういう心配は不要だよ」

「死なないからか。そういう問題じゃないって言ってるだろ」

「そうじゃない。勘違いをしてしまいそうになるから」


 私が、生きた人間なのだ、と。そう紡ぐことは出来なかった。


「それより何かあったのかい? 少しだけ、顔色が悪い」

「……嫌な夢を見ただけだ。それで起きて、部屋を聞いていないことを思い出して葬儀屋に聞きに来たんだが……聞くに聞けなくなったな」

「ははっ、確かにあんな剣幕で飛び出してきて、部屋はどこだって聞きに戻るのは面白いね。今日は私の部屋で寝ていいよ、葬儀屋には明日聞くといい。明日にはいつもの調子に戻っているだろうからさ。付いておいで」


 ヒールの音が甲高く響く。それに続く音色はなかった。彼が踏み出さないから怪訝に思って振り向くと、何か熟慮しているようだった。


「スヴェン? どうかした?」

「その、あんたが、性別がないって。葬儀屋から聞いたんだが」

「あぁ……そうか。そんな私といるのは嫌だったかな」

「っ違う!」


 にわかに大声を上げられて吃驚する。何故それほどまでの否定をしたのか分からなかった。自分と違う人間を避けたり特別視してしまうのは普通のことだ。そういう人達ばかり見てきているのだから、私がどう思われようが今更何も思わない。首を傾けたら、彼の眼光がぶつけられた。


「性別なんて関係ない。あんたはあんただろ」

「無理はしなくていい。人は誰しも、自分が信じる常識から外れた存在を見たら、偏見や軽蔑を抱く。それは当然のことだよ」

「俺は別にあんたを軽蔑してなんかない。ただ、あんたに不快な思いをさせたくなくて確認がしたかっただけだ」

「確認?」

「女扱いされるのは、嫌、だよな?」


 難解な質問に唇を閉ざす。女として扱って欲しいとは思わないし、けれど男として見て欲しいとも思わない。どちらか、しかないのだろうか。煩悶の後、結局「好きにしていいよ」としか言えなかった。


「いいのか?」

「私の行動に制限をかけないのなら、どちらで扱ったって構わない」

「そ、うか……」


 二階の一番端。自身の部屋の扉を開けて、彼に入るよう促す。恐る恐るといった様子で入室するものだから微笑してしまった。必要最低限のものしか備えられていない部屋だ。葬儀屋お手製の人形のような不気味なものは置いていないし、居心地は悪くないだろう。


 私は袖から取り出した武器を机に置いて髪飾りを外し、ベストとキモノを脱ぎ捨てた。戦いで焦げてしまった袖はどうにもならない。後で捨てるか、と勘考して、佇んだままのスヴェンに向き直った。


「ベッド、使っていいよ。私はソファで寝るから」

「それなら逆だろ、あんたは女――いや、その……」


 こちらを見ない彼が困ったように頭を掻く。夜の暗色の中で、彼の白煉しろねりの髪はとても綺麗に見えた。私の髪も他人から見たらそう見えるのだろうか。


「君のそれは制限じゃなくて気遣いだよ。優しさを向けられるのは嫌じゃない。でもこの部屋の主は私だからね、私に従って君はベッドを使ってくれ」

「……わかった」


 目を凝らす。窓硝子を色付ける夜陰。そこに反射した自身を嘱目する。ふ、と口端が軽く持ち上がった。彼のように綺麗にはなれないな、と自嘲した。はたから見たら私の髪も、肌も、手の平も、純白に見えるのかもしれない。この目には黒ずんでいるように見えた。


 妹のはらわたと脳髄が散らばる部屋。肉塊の脂で滑る血溜まりの中に何度も叩き落とされた。その時の穢れは、いつになっても私だけの視界から消えてくれないのだろう。


     (一)


 昨日の事件のせいで、俺は心身共に疲弊し、やつれていた。フェストに来て、葬儀屋の屋敷に来て、今日で二日目だ。嘘だろう。一日で多くのことが起きすぎていて未だに尋思じんしが巡り続けている。事件のこと、魔法のこと、〈神の子グレイス〉という存在、俺の心臓。把捉はしてきたが、気持ちは付いてこなかった。


「スヴェン? 口に合わなかったかな」

「あ、いや、そうじゃない。美味かったよ」


 空いた食器をアドニスに差し出す。その顔は不安げなままだ。彼女は俺を見守ったまま手際よく皿を片付けていた。日輪を受けて煌めく白髪が揺れている。生糸のようで綺麗だなと眺めていれば、俺の正面でティーカップを傾ける葬儀屋がわざとらしく息を吐いていた。


「あぁ、スヴェンくんが辛気臭い顔をしているから紅茶が冷めてしまった。やめて欲しいものだよ、清々しい朝に淀んだ空気を流すのはさ」

「紅茶が冷めたのはあんたがずっと新聞を眺めてたから自業自得だろ、俺のせいにするな」

「お、なんだい? 元気が出てきたじゃないか。もしかして僕と話すと元気になるのかな? いいね、沢山話そう。今日のパン、なんだか風味がイマイチだったと思わないか?」

「普通に美味かっただろ、文句言ってないで紅茶飲んでろ」


 やれやれ、といった様子で両手を持ち上げる彼。事も無げに振る舞われると調子が狂う。昨晩、俺が彼を突き飛ばしたことも、アドニスを勝手に彼の部屋から連れ出したことも、叱責するつもりはないようだった。


「まぁ、蒙昧もうまいな君が多くの知識を身につけ、事件をちゃんと解決したんだ。疲れたことだろう。また怪しい殺人事件が起きるまで揺籃ようらんでゆっくり休むといいさ」

「……あんたと話してると腹立つんだよな」

「葬儀屋、調査すべき事件はないのですか?」

「あぁ、怪しいものは今のところね。だからホテル巡りをしてきたらどうだい?」


 葬儀屋の提案にアドニスと顔を見合わせる。思い返してみると、確かに昨日ホテルを回る時間は取れなかった。良いのかと確認するように黒目を持ち上げたら、葬儀屋は食べかけだった肉をフォークで刺し、それをたわんでいる口唇へと運んでいた。


「僕だってね、アドニスにも常に労働させてるわけじゃないんだよ。だから君も仕事がない時は好きにするといい」

「そう、か」

「ではお言葉に甘えて、昼食は適当に何か食べてください。私はスヴェンと出掛けますので」

「いやいや待ってくれアドニス、せめて作っていくとかしてくれないか。サンドイッチでいいよ、薄くスライスした人肉を焼いていつものソースを掛けてレタスとアボカドを挟んでくれ、肉は多めに重ねてくれたまえよ」


 煩瑣はんさな要求にアドニスの眼差しが鋭さを帯びていく。舌打ちを零しそうなくらい唇を歪めてから、彼女は「かしこまりました」と低く吐き捨てていた。


 卓上にあった食器を全てワゴンに片付け、食堂の扉を開けに行く細い背中。手伝おうかと離席すると、開いた扉から飛び退いた彼女が踵を滑らせて尻餅を着いていた。


「うわっ!?」

「っすまない! 怪我はないか!?」


 アドニスに手を差し出していたのは知らない男だ。葬儀屋の知り合いだろうか。祭服キャソックに身を包んだ彼はアドニスを立たせるなり方向転換、新聞を広げている葬儀屋へ勢いよく詰め寄った。


「ヴォルフ! 君はまた……妙な事件に手を出しているんじゃないか!?」

「やれやれ、煩いのが来たな。アドニス、招かれざる客だ、出口へ案内してやってくれ」

「なにが『煩いのが来た』だ! 君、玄関は見たか!? 子供の死体が折り重なっていたぞ!? なんだあれは!」


 旭光を受けていた葬儀屋の黒髪が靡く。彼は新聞をソファに投げ捨てると足早に退室していった。すれ違いざまに覗き見た彼の目顔は怫然ふつぜんとしており、僅かに動揺してしまう。飄々としている彼に、その表情は似つかわしくなかった。


 男性も葬儀屋を追いかけていってしまった為、残されたアドニスに視線を向ける。彼女は俺を一瞥すると、彼らを追いかけていった。


 人通りも疎らな早朝の街路。曙光を受ける石畳には五人の幼子が倒れていた。うち三人が少女、二人は少年だ。先程男性が告げた『折り重なっていた』という言葉はとても適切だった。物でも捨てるかのように乱雑に投げ置いたのが見て取れる。葬儀屋と男性がそれを見下ろしている後背で、俺とアドニスはどうにかその光景を覗き込んでいた。


「……ふむ、重ね方が美しくないな。思い遣りも感じられない」

「そういう問題ではないだろう!?」

「観察は大事だよコンラート。つまり、だ。君も事件と言っていただろう? この子供らの親が僕に埋葬を任せたくて置いていったわけではない。殺してしまった死体の処理に困って、都合の良い僕へ押し付けてきたのだろうね。それにしても、全員腹部が血塗れだ。衣服を捲ったら臓器が見えていそうだな、食べられているかもしれない。あぁ、腕がない子や足がない子もいるじゃないか。この子はよく見たら首が取れてる。凶器はなんだろう、断面は綺麗だから鋸ではなさそうだ。一太刀で切れる長く鋭利な剣、或いは人体の緩やかな丸みに添って湾曲した刃……そもそも人の力ではこんなに綺麗に切れないだろう」


 葬儀屋は遺体に触れないで観察を続けていた。腕や足、首が切断されてはいるものの地面はさほど濡れていない。死後だいぶ時間が経っているようだった。一番新しい死体は少年のものだろうか。彼の指先はいくつか切り落とされているが、血が凝固しきっていなかった。


 祭服の男性は冷や汗を額に浮かばせながら辺りを見回し、どこかへ踏み出そうとしていた。


「一先ず警察に連絡を……」

「待った。僕を巻き込むのはやめて欲しいな。死体の発見場所を適当に変えておいてくれ。ここに子供の死体なんてなかった、そうだろう?」

「そういうわけにもいかないだろ!? というか既に通報されてるかもしれな――」

「警察だ。何を騒いでいる」


 葬儀屋と男性が揉み合っている間に、二人の警察と逢着ほうちゃくしていた。警察は俺達全員を流し目で刺すように見てくる。怪しまれているのだろうなと顔を顰めていたら葬儀屋に肩を押された。


「スヴェンくん、アドニスも。君達子供は食堂で待っていてくれ」

「……あ、ああ」


 有無を言わさぬ声柄と共に玄関へ押し込まれ、扉が閉められる。事件が起きてしまったとなると、今日もホテルを回ることは出来なさそうだった。アドニスと共に食堂へ戻り、何の気なしに新聞を手にして着座した。


「葬儀屋、大丈夫なのか?」

「子供を殺してはいないし、葬儀屋の家の前に死体が置かれていることなんて多々あるから問題ないよ。ただ今回は事件性があった、だから警察に連絡した人がいるってところかな」

「……そもそも死体が置かれていて問題ないってなるのはこの街では普通なのか?」

「どこから説明したものかな……葬儀ってね、お金がかかるんだよ。ちゃんとした葬儀屋に依頼できる人間なんて、裕福な一握りの人くらいなんだ」


 俺の村での葬儀を思い起こす。狭い村だったから全員で祈りを捧げ、献花をして、大人が土を掘り遺体を埋めていた。人口が多いとそうもいかないのだろう。人を弔うことにも貧富の差が生じる。その事実に瞳を細めた。


 陶器が涼やかな音を立てる。紅茶を注いだティーカップが座右に置かれていた。


「この街だと、金のない人間は自分で死体を抱えて教会に行き、手続きをして埋葬まで自分の手で行わないといけない。教会の墓地を借りるからやっぱり金はかかる。それに大切な人の死体だとしても埋めるという行為を感情的に拒んだり、疫病や穢れを恐れて、やりたくないという人も多いんだよ。そのせいで昔は死体が転がっていることも多かったらしい」

「事件で死んだのか、病死かも分からない状態の死体が転がってる街とか……最悪だな」

「あぁ、警察は苦労しただろうね。今はウチの葬儀屋が、死亡届を出すところから埋葬を終えるまでの全てを無償でやって、遺族に埋葬を終えたことを手紙で報告してる。無償葬儀屋の噂を知って頼ってくる人もそれなりにいるから、遺棄される死体は減っている。尤も、葬儀屋の仕事のほとんどはさっきの神父……コンラートさんがしてくれているんだけどね」


 相槌を紅茶に混ぜて飲み下す。葬儀屋ごっこと彼が称していた為、適当な死体処理をしているだけかと思っていた。彼なりにちゃんとしていたのだなと、少しだけ見直した。神父の労苦は量りかねるが。


「死体の身元が分からない時は警察が絡むって感じなのか?」

「それかコンラートさんに丸投げしているよ」

「丸投げって……けど一応死亡届とか出してたんだな」

「昔はしてなかったって。臓物だけ食べて適当に埋めてたら警察に怒られたって言っていたよ」


 それはそうだろう。殺したのが彼でなくても、死体の腸を食べ、証拠隠滅のように埋めていたら彼が犯人だと思われかねない。ふと昨夜のことを回顧し、不安が喉元に染み渡ってきた。


「なぁ、昨日の……ヘルマン・ハックの遺体はどう処理したんだ?」

「あぁ……あれは」

「――待たせたね二人とも」


 扉の開閉音が割り込んでくる。見慣れてきた喜色満面の笑みを携えている葬儀屋。そんな彼とは対照的に、神父だという男性は所労で沈鬱としていた。俺の隣にアドニスが座り、正面に葬儀屋と男性が腰を下ろしていた。

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