【1000字小説】十月十日

八木耳木兎(やぎ みみずく)

【1000字小説】十月十日

 弟が銃殺された日の前日の朝、ポケットの中にありったけのアイテムを詰め込んで、私は弟と川へ釣りへと出かけた。

 私たち兄弟が、少年時代から暇さえあれば釣りをしていた、川の上流だった。

 実に三十年ぶりになる、二人だけでのフライ・フィッシングだった。


 普通の高校生活を送り、今現在も働いている町内のカフェに就職した自分とは、弟は何もかもが違っていた。

 でなければ中学を出た後に、我々家族に何の相談もせずに家を出たりはしない。


 十年後、彼は見るからに豪奢な恰好で帰って来た。

 この国の都市部で、映画スターとして大衆文化の担い手になっていたのだ。


「明日、久々に釣りにでも行かないか?」

 その私の言葉を、弟は聞かなかったふりで返した。

 代わりに弟が向かったのは、州の大物を数多く招待したダンスパーティーだった。


 さらに十年の月日が流れ、弟はますます大物になっていた。

 俳優のみならず製作にも携わるようになり、大物映画人の一人となっていた。

 しかし同時に、彼に関する黒い噂も日に日に大きくなっていった。

 犯罪集団と、当時禁止されていた酒の闇取引をしているという噂だった。


 そしてある年のある時期を境に、映画のクレジットで弟の名前を見ることがなくなった。

 原因はわからないが、とある新聞は弟が闇取引で隠れて金をくすねたから、と報道していた。

 犯罪集団とのトラブルが原因で映画業界から干されたことは明白だった。

 弟の関係者の謎の死を告げる報道も、日に日に増していった。


「久々に釣り行こうぜ、兄貴」

 その日の前日、突然家に帰ってきた弟は、食い気味で私にそう告げた。


 針の選択。狙うべきポイントの選択。リズムに合わせたキャスティング。

 龍のように空中を舞う釣り糸。

 全てが芸術的かつ神秘的で、どこか触れば消えてしまう儚い幻想をも思わせた。


 我々が、幼い頃父親から教わったフライ・フィッシング。

 

家出をしてから今までの間、弟がそのフライ・フィッシングを欠かさず行っていたことは、その日の弟の姿からも明らかだった。


 翌日銃殺されることになるその日、弟は私に何も相談しなかった。

 無理もない、どうせ私が解決できることではなかっただろうから。

 ただあの日思い出の場所で釣りをしている弟は、紛れもなく、少年時代の彼に戻っていたのだ。


 恐らく死を覚悟していた弟が、釣りをして少年に戻った日。


 奇しくもその日は、十月十日―――東洋の国で、【釣りの日】とされている日であった。

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【1000字小説】十月十日 八木耳木兎(やぎ みみずく) @soshina2012

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